コソボ

AMDAコソボ難民
帰還難民救援プロジェクト活動報告


2000年3月9日

コソボプロジェクト調整員
看護婦 近藤 麻理
AMDA Journal 2000年 4月号より掲載

私は、6月7日より3ヶ月間と、10月28日より4ヶ月間の2期にわたりコソボ難民・帰還難民の救援活動に参加した。この2つの期間中に、アルバニアで難民生活を送る人々と、コソボ自治州内に帰還し復興に汗を流す人々という、質的にはかなり異なる援助活動に遭遇することになった。今回、私にとっては初めての海外における緊急救援および、復興援助活動であったにもかかわらず、多くを学ばせてもらい自分自身が大きく成長するきっかけとなる活動となった。

世界各地で起きている紛争と難民問題、それらをめぐる国際機関やNGO援助活動のあり方、援助する側、される側の現実を目の当たりにして、本や人から聞いただけでは到底理解できない、生きた経験ができたことを、AMDAにかかわる全ての人々に心から感謝したい。

 調整員という仕事は、医療援助活動を行うAMDAでは医師や看護婦の陰に隠れて表に出ることは少ないと思う。簡単に言えば、現地の活動が円滑に進むための現場監督の役割を果たすのだが、それだけではなく現地の情報を収集し、プロジェクトを考案、緻密な予算を立て国際機関や政府と交渉しプロジェクト予算を獲得することも大切な仕事である。

これは現場の努力だけでは不可能なことで、AMDA本部担当者との強力な連携が重要となる。これらには全て英語力が要求されるが、実際に現場でそのような場面に出くわすと、英語以上に重要なのはもしかすると、交渉や戦略を練る能力ではないだろうかと思えた。また、本部事務局の仕事がいかに任務の重いものであり多忙かを知ることができた。私は、調整員は派遣前に事務局でその責任を共有してから任地へ赴くのが理想だと思う。

 民族紛争という言葉でくくられがちなコソボ自治州をめぐる問題は、実はアルバニア系とセルビア系の対立という単純な図式が初めから存在したのではなく、長い歴史の中で複雑に絡み合った要因があるということ。バルカン半島の歴史や社会体制そしてヨーロッパ、米国など大国の目論見を理解しなければ見落としてしまうことがたくさんあることを、今回の活動を通して現場を体験することで学んだ。

世界中で起きている民族紛争を一元化して語ることが出来ないように、紛争地での援助活動もまた、全く異なった活動内容になるはずだ。民族浄化という言葉がマスコミで使用されたが、ではなぜ山の中の村々が集中的に攻撃されたのか。4WDを使っても入るのが難しい山の中で、ご丁寧にとしか表現でき ないほど一軒一軒の家を残らず砲撃するのは、ゲリラ戦の敵壊滅を狙うための作戦のように思える。大都市の住民は、家屋は村ほどの被害を受けているとは言いがたい。

 アルバニアの国境モリニへは、プリズレン市内から車で南西に20分程度で到着する。11月以降にクケスの町を訪問したが、夏の賑わいはまったくなく、車を停めて数メートル離れただけで集団のギャング達が車を囲み、鍵をこじ開け始める。車に張り付いていないと数分で盗難に遭う。それが追い 払っても、次から次へとやってきて集団で車を囲むため、早々にお茶を飲むのを止めてコソボ内に戻った。救援物資を運ぶトラックなども軒並み強盗に襲われたため、アルバニアからのトラックは国境には並んでいない。

アルバニア人国境警察も、危険だから入国しないほうが良いと親切に教えてくれる。山を越えてのコソボへの不法入国も後をたたないため警備を強化した。今ではすっかり変わってしまったアルバニアとコソボ自治州内風景だが、思い起こせばNATOが3月24日に新ユーゴに対し空爆を開始後すぐの4月4日に、AMDAはコソボ難民救援のため第一次隊をアルバニアに派遣している。アルバニアでは、4月9日よりコソボとの国境に程近いクケスにてモバイルクリニックと救急病院での診療活動を開始。

首都ティラナでは、難民キャンプとなったスポーツコンプレックスの浄水プロジェクトを支援。また、デュレスではモバイルクリニックによる巡回診療を中心に7月16日までアルバニアに残っている難民に対して医療活動を展開した。ここでAMDAの診療を受けた多くの患者さんと、数ヶ月後にはコソボで再会するとは当時は夢にも思っていなかった。日本の医師とコソボ難民の医師の見事な仕事振りは、コソボ帰還後も人々に語り継がれている。

  6月18日には、NATO空爆停止合意(6月10日)を受けて、急速な難民帰還に対応するため、8日間に渡りコソボ自治州プリズレン県内における医療施設の破壊状態など、現地調査と緊急の診療活動のためコソボ州内に入った。コソボ難民であった現地スタッフ通訳の家族5人と共に現地入りした。同時期にAMDA現地スタッフもそれぞれの家に帰還することができた。こうして、アルバニアでの医療支援活動 を展開していたコソボ難民であった医師や看護婦、通訳とコソボ内でも一緒に仕事を継続するという幸運に恵まれた。

 7月中旬からはプリズレン市内にAMDAプリズレン診療所開設、そしてクルーシャマレ村診療所、ジャコヴァ市内(ジャコヴァ県)診療所を相次いで開設した。コソボ自治州内での帰還難民のための医療支援活動は現在も継続しており、主に必要な薬品・医療備品の援助、診療所内の修理を行っている。

11月からは気温が急激に下がり小児の呼吸器疾患が激増し、一日の外来患者数は通常の5倍(一箇所で1日500人を超える)にまで増加し、今までの薬品の量では足りないため、急遽、小児用の薬品などを大量に援助することになった。この原因には、長期にわたる停電により暖房器具が使用できなかったこと、それに代わる薪ストーブの配給が遅れたこと、食料配給では十分な栄養がとれないこと、10人以上の家族が一部屋で集団生活を送っていることなどがあげられる。

 また、8月から現在までは、ベオグラード近郊にある6ヶ所の難民キャンプの精神ケアプロジェクト(主にPTSD)がセルビア系のコソボ難民に対しても同時進行しており、AMDAボスニアヘルツゴビナ(スラプスカ)支部からの医師を含むAMDA精神科専門医3名が活動している。奇遇ではあるが、AMDAがサポートしている難民キャンプはすべてプリズレン県からの脱出者であった。

海外からの援助の手は少なく、彼らには離れ離れになった家族と連絡をとるすべもない。将来、コソボ自治州内プリズレン県に帰還できる日が来た時には、アルバニア系もセルビア系もAMDAを共通の話題として、日本の援助を語り合えるのではないだろうか。現在では、現地スタッフ全てがベオグラードでのセルビア系コソボ難民を援助するAMDAの活動に誇りをもっている。しかし、まだまだセルビア系に対して過激な人々がいたり、家族を失った人々の傷は癒えていないため、その時が来るまで家族にもこの活動は話さないことに皆で決定した。時間はきっと傷を癒し、解決を見出してくれると信じたい。

  8月中旬には、クルーシャ村に暮らす子どもたちに焼きたてのパンを配り、子どもたちに自由に絵を描いてもらった。この絵は日本に持ち帰り、9月に岡山県倉敷市で展示された。11月には日本の子どもたちからの絵やメッセージをプリズレン文化センターで共同展示し、その後はクルーシャ村診療所に飾られている。日本の子どもたちとコソボの子どもたちが、絵やメッセージを通じて交流することは「自分達は忘れられていない」という安心を与え、明日への希望をつなぐかけがえのない贈り物となった。

 トルコ地震(8月17日)の緊急救援活動時には、プリスティナ大学病院に勤務するアルバニア系コソボの医師2名(外科、麻酔科)が8月23日より参加し、AMDAインターナショナルと共に現地で活動した。また、10月21日にはプリスティナ大学病院のガズメンド・カチャニク医師(眼科医)がAMDAの招聘で来日。

NATO空爆後の混乱が続くコソボ自治州から海外に医師が医療研修に出るのは初めてのケースであり、日本の金沢大学付属病院がその研修先となった。12月下旬にはコソボに戻り、現在は日本で学んだ技術や知識をプリスティナ大学病院の医師たちへ教育・指導している。また、日本で寄贈されたレーザー医療機器がプリスティナ病院に春には搬送される。

  こうしたAMDAとのかかわりの中で、AMDAコソボ支部設立の動きが当然のように起こってきた。

  7月7日より日本(金沢大学付属病院)で網膜芽細胞腫の治療を受けていたネジール君(3歳)が、治療を終え完治して両親と12月9日コソボ自治州内プリズレン市内の自宅に戻る。現在も継続して、ガズメンド・カチャニク医師が経過を診ており状態は良好である。2月には正式にネジール君プロジェクトが日本・アルバニア協会と共同で発足し、今後コソボで難病に苦しむ子どもの治療や、医師の日本招聘や現地での研修などが行われる。

 今後、長期の復興支援のためにプリズレン市内の学校保健や精神疾患をもつ子ども達への援助を検討している。これによりAMDAの医師や専門家とコソボの医療従事者の交流を深めることとなり、医療NGOとして物資だけの援助を行うのではなく、心の通い合う暖かい関係を今後のコソボと日本の間に築いていくことになるだろう。

冬が終わり予算が切れる時期となり、多くのNGOが緊急救援から撤退しようとしている現在だが、ここに来てようやく暖かな春が訪れたコソボは、やっとスタート地点に立ったばかりだといえる。これからが始まりなのだということを、厳しい冬の間に人々はしっかりと心に刻みつけた。ここまで生き延びたのだから。

ニヤジ医師をはじめとする、AMDA現地スタッフからの手紙には、AMDAとコソボとの援助を越えた関係が見えてくる。コソボの人たちが主役になる復興プロジェクトを私達はこれからも一緒に作っていかなくてはならない。

  最後に、私を支えてくれた多くの日本人スタッフ、現地スタッフ、そしてAMDAという場を次の世代に残してくださった菅波茂代表にお礼申し上げます。ありがとうございました。



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