緊急救援活動

緊急救援から復興支援に向けて

(インドネシア)

調整員 金山 夏子

AMDA Journal 2005年 5月号より掲載

はじめに

1月6日、津波から11日が過ぎようとしていたその日の午後、私はAMDA の調整員として、約3ヶ月間の緊急医 療支援活動の拠点となるバンダアチェ市内ザイナルアビディン病院へ到着した。一回目の派遣期間は1月3日 から 24日までの22日間、日本への一時帰国を経ての二回目の派遣が2月13日から3月25日までの41日間、更に 今回、三回目の派遣のため4月6日に日本を出発した。活動を開始した1月当初、汚泥と瓦礫に覆われた市内 で民家や商店は閉ざされ、津波の傷跡が町と人の心に「あきらめ」となって残っていた。わずか2ヶ月余りで 市や病院の機能がこれほどまでに回復するとは誰が当時想像できたであろう。インドネシアの人々と国際社 会による協力の賜物であるに違いない。そして、AMDAもその協力に重要な役割を果たしたのである。
 津波の直後、ザイナルアビディン病院の支援に駆けつけた最初の支援機関として、AMDAインドネシア支部 の医師たちは自ら医療活動を行うのみならず、病院支援を申し出る各国の衛生軍や国際機関、NGOをコーディ ネートする中心的な役割を果たしていた。そのAMDAインドネシア支部を支援するため、各国支部から派遣さ れたAMDA多国籍医師団の医療スタッフは、それぞれの経験と専門分野を活かした適所に配置され、病院や避 難民キャンプでの支援活動を開始する。
 インドネシア政府が国際支援活動を認めるために設けた緊急フェーズの3ヶ月間、AMDAは常にインドネシア 政府と国連機関(医療に関してはWHO /UNICEF)との連携を「リーダーシップへの協調」として、またAMDA インドネシア支部と地元コミュニティーとの繋がりを「パートナーシップの尊重」として重視した。従って 、混沌とした状況の下、凄まじい速さで展開される緊急支援活動のさなかにあっても、その時その都度、政 府や国連が何を優先課題とし、NGOに何を期待し、そしてコミュニティーが何を必要としているのかを活動 内容決定の基準とすることができたのである。その結果、 12月27日から3月24日まで一貫して継続された支 援活動は、状況に応じた四段階に区分される。緊急支援物資の調達と配布及び病院内での医療活動を中心と した第一段階、巡回診療と感染症予防を重視した第二段階、医療活動と併せ遠隔地の状況と医療ニーズの調 査を実施した第三段階、社会活動や医療知識の教育活動等を含む支援活動へと発展させた第四段階である。 今回は特に、第三、四段階の報告に重点を置かせていただきたい。

第三段階
現地における医療ニーズの調査

第二段階においてUNICEFと協力し展開していたはしかワクチンの予防接種活動を終え、アチェ人の看護師を 迎えたAMDA多国籍医師団(インドネシア・ネパール支部、本部)は、バンダアチェ市と周辺のアチェブサー ル県を中心に巡回診療を行っていた。 市内中心部における病院の機能が回復し外来数が増加する一方、交 通手段の不備から市郊外の住民に対する医療サービスが決して十分ではなかったためである。アチェ州全体 では緊急支援活動が終局を向かえ、復興支援への移行がしきりにアピールされていたが、バンダアチェ市内 でさえ緊急フェーズから復興支援へと発展させる速度には地域差があり、コミュニティー間には支援のギャ ップが生じていた。そのような問題は遠隔地でより深刻であることが予想されたため、AMDAとして緊急支援 活動フェーズの最終月である3月の活動内容の一つに、支援の地域差を埋めるためのフォロー・アップという 意義を込めた遠隔地での活動実施を決定した。その候補地の選定には、AMDAのパートナーとして協力関係に あったスラウェシ・スルタン(インドネシア西部のスラウェシ島マカッサルから派遣されている支援組織) や国連機関からの情報を元に、東海岸ピディ県ジャンカブヤ、スマトラ島の北に位置するサバン島、西海岸 アチェ・ジャヤ県サンポイニエッの3ヶ所に決定した。以下が調査結果の要点である。

《ピディ県ジャンカブヤ》

津波の直接的被害を受け避難民が発生したが、慢性的貧困、地理的条件、反政府ゲリラの独立アチェ運動 (GAM)に関するセキュリティーの問題から、津波後も十分な国際支援を受けることができなかったため、 避難民キャンプでの巡回診療が必要であった。

《サバン島》

局地的な津波の被害を受け避難民がキャンプでの生活を継続していたが、国際NGOが提供してきた医薬品に関 する誤った噂や認識があったため、医療トレーニングが必要とされた。

《アチェ・ジャヤ県サンポイニエッ》

西海岸において最も深刻な津波被害を受けた地域の一つであったにも関わらず、交通経路の遮断とGAMに関 するセキュリティーの問題から支援活動が困難な地域であった。特に、歯科医と眼科医のニーズが非常に高 かった。

第四段階: 遠隔地での支援活動

遠隔地では、ヘリコプターやボートといった交通手段の確保、他のNGO が地域にもたらした医療支援に対す る偏見や誤解、外国からのNGOとインドネシア側からのNGOとの間における方針の行き違い等、活動に際し運 営上の問題に多々直面したが、どのような場合においても、その地の慣習を尊重し関連アクターが互いに納 得する対話を通じた活動運営をAMDAは目指してきた。他のNGOとの協力による情報交換や交通手段の共有、合 同診療といった、バンダアチェ市のような中心部では見られないような活動形態は、そこで得ることのでき た経験の一つと言えよう。
 各地において避難民キャンプを中心に巡回診療を行い、皮膚疾患がどの地域でも多く見られたが、その原 因や解決には衛生環境も関わってくることから、必要性に応じては衛生問題に関するトレーニングも行った 。西海岸のサンポイニエッでは、アチェ・ジャヤ県全体で歯科医が不在ということから、歯科医と眼科医の ニーズが大変に高く、インドネシア人の専門医を派遣し仮設診療所での集中的な活動を実施した。やはり津 波後、これまでにないほどの数と種類の医薬品がコミュニティーに入り込み正誤の情報が入り乱れていたた め、コミュニティーに頻繁にみられる疾患と投与すべき薬に関するトレーニングへの要望が高く、村長や避 難民キャンプ・リーダー、地域の母親を対象にした医療知識の教育をジャンカブヤとサバン島において実施 した。

第四段階
ソーシャル・アクティビティー

遠隔地における医療ニーズの高さとは対象的に、バンダアチェや周辺のアチェ・ブサール県では巡回診療の 際、疾患を訴える患者数が低下し、健康診断や精神的な問題を訴えるケースが増加していった。また同時期 、WHOと UNICEFが精神ケアや避難民キャンプでのソーシャル・アクティビティーを実施する重要性を訴え始 めていたが、これは、津波から2ヶ月が経過し、定着しつつあるキャンプ生活において持て余す時間が増え、 トラウマやストレスが精神不安定の要素になりうるといった点を問題視しての対策であった。そのような状 況を受け、AMDAとしてもバンダアチェ市とアチェ・ブサール県内での巡回診療を終え、二つのソーシャル・ アクティビティーを実施した。

《移動図書館》

AMDAがこれまで巡回診療で訪問していた避難民キャンプや村、またその地域の子供たちが通う学校へ移動図 書館として訪問することを立案。現地の価値観や宗教観を尊重する上でアチェ人のスタッフが図書館の本を 選定し、各コミュニティーとの連携に奔走した。常時約250冊以上の本を用意し、活動を終了した3月24日に はコミュニティーへ寄贈した。

《PYP:Persahabatan-Yujo Project》

Persahabatanとはアチェ語で友情という意味であるが、この名前が示すようにPYPは、アチェと日本の子供た ちが絵やメッセージ、写真の交換を通じて励まし合い、友情を育む機会を提供することを目的とした。アチ ェの小学校と避難民キャンプを訪れ、日本には地震や津波の被害が多く、同じような問題を抱え乗り越えて きた子供たちがたくさんいることを紹介する。また、阪神大震災で被害者となられた日本人の学生を招待し 体験談も語られた。それを受け、日本の子供たちへのメッセージとしての絵が描かれ大阪と岡山の小学校へ 届けられた。そこにおいても今回の津波被害に関する学習会が行なわれ、アチェからの絵のお返しとして 、日本の子供たちから励ましの絵が送られた。それらがアチェに届けられ、再びアチェの小学校と避難民キ ャンプを訪問し、日本からのメッセージとして届けることができたのである。
 自分たちの絵が日本の小学校で紹介されている写真を目にしたアチェの子供たちは、大喜びで自慢し合 い、返事として届けられた日本からの絵に見入っていた。その心の中で、「自分たちの辛い思いを分かろう としてくれる友人が日本にもいる。アチェにいる自分たちは一人で苦しんでいるんじゃない。」と感じてく れていることを願わずにおれなかった。

終わりに

緊急支援活動としての3ヶ月が過ぎようとしていた3月24日、AMDAも全ての短期プログラムを一切無事故で終 了することができた。一緒に活動をしたアチェ人のスタッフはいつもこう口にしていた。「国際支援がなけ れば、私たちは何をすることもできなかった。たくさんの人々がたくさんの国から来てくれたおかげだ」と 。ヘリコプターとボートを乗り継ぎ活動した地域の避難民や住民は、こう言葉をかけてくれた。「AMDAは我 々の要望を聞いてくれた。こんな所まで来てくれてありがとう」と。しかし、全てを失った状況においても 、再び立ち上がろうとする人間の強さを教えてくれたのはアチェの人々だ。人は強い。前に進もうとする力 を、最大限に応援し支える我々も強くなければ。「困った時はお互い様」というAMDAの心で、アチェの人々 と同じ視線で立とうとする時、「届けられる支援物資」「提供されるサービス」という枠を超え、その応援 したい気持ちが真っ直ぐに通じるということを学んだ3ヶ月であった。
 この4月、AMDAは長期支援復興の立案にとりかかる。難民キャンプや村の人々の隣にいる気持ちで、「彼ら が何を望んでいるのか」「彼女らのためにできることは何か」、その視点を見失うことなく引き続き取り組 んでいきたい。

    
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