緊急救援活動

新潟県中越地震被災者支援派遣報告

AMDA職員  諏原 日出夫

AMDA Journal 2005年 1月号より掲載

前後、左右、上下どんな揺れか分からない大きな揺れが床から伝わってくると同時に、ガタッガタッガタッと建物全体から色々な大きな音が出てきた。茫然と立ちすくむ。“何かにつかまって”“壁から離れて”事務長さんの指示で書画が掛けられた壁際から動いてロビーの中央に少しずつ移動した。

11月4日8時58分、介護支援をする予定で訪問した新潟県小千谷市“春風堂”の姉妹施設“那由多”を見学中のことだった。テレビの速報が伝える “中越地方で震度5の余震がありました〜。”生まれて初めて経験する震度5 の揺れ、それでも1階に居た自分たちはまだ良かった。春風堂の2階に居て、既に介護支援を開始していた同行の宇野介護福祉士は大きな揺れに恐ろしくてうずくまってしまった、と後から話してくれた。活動の最初に余震とはいえ、キツイ洗礼を受けて今回の新潟県中越地震(以下地震という)の凄さを思い知った。揺れが収まった後、ロビーの掛け時計が8時58分で止まっていたのが目に焼きついている。

10月23日の地震発生後、阪神大震災の時とは比べ物にならない行政の迅速な対応で救援物資・医療支援は十分であるとの情報であった。しかし AMDAとして現地で、現状を確認するため、第一次派遣として、救援物資を積んだ2台の車で、10月27日、岡山から中越地方を目指した。しかし、震源地である川口町、堀之内町への道路は不通で入ることはできず、十日町市、 長岡市の市役所、ボランティアセンターを訪問し、救援物資の贈呈と被害状況・対策状況の聴き取り調査を実施した。

結果、救援物資は全国から続々と寄せられ量は十分確保されていて、 AMDAとして出来ることはほとんど無い。問題は、分別、配送のみである。また、医療支援についても高度医療機器の損傷で総合病院の一部は診療を停止しているが、ほとんどの開業医院・クリニックは診察を開始しており、AMDAとしては緊急医療救援活動を撤退するレベルに既に達していると判断した。

AMDAの出来ることは無いのか?皆が思いつかない盲点に AMDA菅波茂代表が気付いた。菅波代表が経営しているのと同じ介護老人施設には支援を求めている人が居るに違いない。自らも被災者である職員には道路事情で通勤できない人や、家が壊れて後片付けのため出勤できない人たちが必ず居り、入所者に対する十分なマンパワーが確保できていないはずだ。また、施設の建物や設備の損壊によりサービスの質は低下しているに違いない。岡山県老人保健施設協会(以下老健協という)副会長の立場と独自のルートから支援を求めている施設を調査し、支援先が決まった。新潟県小千谷市にある“春風堂”である。11月1日のことであった。

11月2日は準備に忙殺された。毛布、寝袋、携帯ガスコンロ、割箸、紙コップ、紙皿、食料、魔法ビン、テント等等を準備・購入した。廊下でも、最悪は戸外でも滞在できるだけの装備・備品を準備した。派遣される人たちへも個人備品の準備指示と注意事項が伝達された。AMDA海外緊急救援部の日ごろの経験に基づく指示により準備はテキパキと進んだ。

11月3日、津曲医師を団長とする第二次派遣チームは朝9時AMDA集合、 9時30分出発式、10時いよいよ現地に向けて出発し、19時30分目的地“春風堂”に到着した。夜勤の職員さんの案内でありがたくも提供いただいた部屋に案内された。床には畳を敷いてふとんまで用意していただいていた。一同7名は夕食を取りながらミーティングを実施し、明日の予定を確認した。同室に新潟県東蒲原郡三川しんあい園から派遣されていた介護福祉士2名がいらしたので施設内の状況と介護の模様、入所されている方々の様子を教えていただいた。準備万端整えて明日は早起きのため早々に就寝した。22時、一同道中の疲れもあり爆睡。

11月4日、5時30分起床、6時朝食、6時30分から介護福祉士と看護師は介助作業開始。津曲団長と、11月21日まで滞在する調整員諏原が春風堂の大平事務長と今後の派遣者の支援活動について打ち合わせた。介助作業を続ける2名の介護福祉士以外の5名で春風堂の姉妹施設である那由多の見学に向かう。8時55分到着、ロビーで施設の概要説明を受け始めた時だった。
来た!

余震のショックから立ち直り介護支援を再開した。しかし、11月4日現在の施設の状況は通常のサービスができる状態ではなかった。施設の建物は外観上被害の様子は窺えない。しかし、電気は使えるが、冷暖房の配管や、排水管の一部が損傷を受けているため使えない水設備があり、給水車により最少限の水は確保されているものの、水道は復旧していない。ガスも復旧しておらず、プロパンガスを燃料として厨房で料理をされている。食器などの洗浄はできない状態であったため、食器をラップでくるみラップに料理を盛るなどの水を使わない工夫をされていた。入所者は食堂などの広いスペースに集中したベッドで生活されていた。 そんな中での介護支援の内容は、派遣者が通常自分の施設で行っている作業とは少し違ってくるため、職員の方の指示を受けながら介助を開始した。

地震発生から即時に復旧活動は始まり日々進んでゆき、渦中の人の状態も変化する。そんな中では、支援に対するニーズも刻々変化して来る。今回の地震における日々の出来事を春風堂を例に時系列で並べてみる。

10月23日

地震発生。

食事前で入所者が全員食堂に集まっていたのが負傷者が皆無の理由で幸運だった。すぐには断水しなかったので、手元の容器に水を貯めた。懐中電灯の灯りで食事介助。電池切れもあったので点検と予備が必須。食堂にふとんを敷き詰めて入所者に寝てもらった。日勤職員の退社直前で、職員の在場が一番多い時間で助かった。

10月24日

職員が市役所に行き水・パンなどの食料をもらってきた。夜は、携帯ガスコンロでおかゆ、パンがゆなどの食事をつくった。食材はいつも提供をうけている業者から購入できた。給水車による水の供給開始。節水は厳しく徹底した。発電機をレンタルしその電気は照明、ミキサー食作りに使用。10:30と16:30の一日2食が4日間続いた。入所者のトイレはポータブルトイレを使用。介護の質は低下し、おしめ交換が精一杯だった。携帯電話は早朝から使用可能になった。

10月25日

ベッドを食堂に並べ入所者を床に敷いたふとんから徐々に移行させた。冷凍食品などを含めた救援物資が届き始める。

10月26日

プロパンガスによる調理開始

10月27日

電気復旧 ミキサー使用再開

11月5日

水道復旧。外部の入浴施設を借用し入浴サービス開始 6〜8人/日
岩手県から提供された入浴車により施設内で特浴サービス開始 3人/日

11月8日

地域の要望によりデイケアサービス開始。10人から開始。

11月11日

本格的給食再開。質・品数ともに大幅に改善された。

11月18日

入所者全員が居室に移動。今までは食堂にすし詰状態であったため、強いストレスを感じていた入所者の方も元の環境に復帰し、明るさが戻ってきたようである。

11月19日

施設内での入浴サービスを開始

11月30日

非常勤務体制では休日は減り(6〜7日→4日/月)、夜勤は増えている。(3回→5〜6回/月)。非常時勤務体制は11月末まで継続された。

12月1日

勤務体制を通常体制にもどした。

地震から3日後からは、少ないとはいえ救援物資が届き始めている。インフラの復旧はまだまだであるが少なくとも3日間は何処からの援助が無くても生き延びるだけの準備を、個人も組織も常日頃からやっておくことが大切であろう。
支援する側も、最初の3日間は生存に必須の食料を調理の必要なく摂取できるようおにぎり・パンなどでいいが、それ以降は暖かい食べ物等の質を配慮した支援に目を向けるべきであり、雨や寒さなどの気候に耐えるための用具の提供も大切であろう。

1. 入所1年目の若い介護福祉士が言われていた、“結局リーダシップが大切である。若い自分たちは言われた事をやっていただけ、責任者がどっしり構えていたので信頼してついて行けた。”
“もしも”に備えるのが危機管理であり、管理責任者の仕事である。事が起こった時、被害をいかに最小に抑えるかに最善を尽くす大平事務長に、危機に敢然と挑むリーダの姿をみた。

2. 大平事務長がボランティアを受け入れた理由は、職員に疲れが見え笑顔が無くなった事に気付いたためだった。些細なことで口論になったり、入所者が笑えなくなっていた環境を改善するため、少しでも余裕を持って欲しい、休ませてあげたいという気持が、手間がかかり面倒という意見を抑えて、10月28日新潟県老健協にボランティア要請をしたとのことである。今回の岡山県老健協・AMDAのチームのように、介護福祉士・看護師・作業療法士などの専門職を現場に滞在させて、1週間での交代とはいえ引継ぎも十分なされるような長期支援の形態をとったことは、被支援者の負担を減らし効果的な介護支援を行うという、一つの支援形態のモデルとして提案できると思っている。

最後に、派遣中にお世話になった春風堂の皆様にお礼申し上げますとともに、一日も早い復旧をお祈りいたします。         (文中敬称略)

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