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両親を失った子どもたちも少なくない |
1. はじめに
2004年9月18日、カリブ海の島国ハイチ共和国では、ハリケーン「ジーン」の影響による大規模な水害が発生しました。同国では中部・北部を中心に猛威をふるい、死者1,870人、行方不明者884人、被災者300,000人以上(10月10 日現在ハイチ政府発表)とされています。ジーンは洪水被害だけではなく各地で鉄砲水や土砂崩れ、地滑りなどありとあらゆる水害を各地におよぼしました。
ハイチ共和国はカリブ海に浮かぶイスパニョーラ島にあります。島の西側半分がハイチ共和国、東側半分がドミニカ共和国と1つの島に2つの国が存在しています。これは17世紀初頭のヨーロッパ諸国の植民地獲得競争によるもので、当時ドミニカ共和国はスペイン領、そしてハイチはフランス領として支配に置かれていました。独立後も、その名残でハイチはフランス語、ドミニカではスペイン語が公用語として使われています。また、ハイチ共和国のあるイスパニョーラ島はアメリカ合衆国・フロリダ州から南に約900km に位置し、マンゴー、コーヒーの生産・林業などを中心に人々は細々と暮しており、カリブ海諸国の中でも最貧国としても知られています。
現在、ハイチ共和国はアレスティッド元大統領の国外退去に伴ない、暫定政権下での国家運営が行われています。元々不安定な政治情勢の中、本年 5月には同国東部地区を襲った豪雨被害、そして今回のハリケーンジーンによる水害と本年2度目の大規模災害に見舞われています。本来、災害対策機関であるCivil Protection Commissionも十分に機能を果たせていません。その為、現在は国連関係機関などが中心となり災害対策に着手しています。
2. 被災状況
ハリケーン「ジーン」は9月18日、19日の2日間にわたりハイチ中部地方に大量の雨をもたらしました。主に報道にあげられているゴナイブ(Gonaives)市を中心に、グロモン(Gros Morne)市・シャンソーム(Chansolme)市・ポルドペ(Port-de- Paix)市など被害は中部・北部全域に広がりましたが、地理的条件によって被災状況は大きく異なります。しかし、倒壊家屋数や農業被害など被災の全容は、まだハイチ政府ですら把握できていません。
1)ゴナイブ(人口約25万人):
海山に囲まれた都市型災害
ゴナイブは三方を山々に囲まれ、町の西側のみが海に面し、しかも海抜0m地帯という立地のために大きな被害を受けました。9月18日ジーンによる豪雨は山から木々をなぎ倒し流れ下りましたが、海に押し戻され、行き場を失って町に溢れました。当時町の殆どの機能は停止し、排水と雨の混ざった水は最高3m近くにも達し、人々を追い詰めました。人々は屋根や高台に避難し不安な一夜を過ごしました。3週間経った現在水位は下がったものの、それでも場所によっては50cm近く水が残っています。今は町中が排水とヘドロの混じったような悪臭が漂い、泥の町と化し、とくに町の南側では、乗用車などでの通行が困難な場所も多数残っています。
2)グロモン市(約10万人):
増水による浸水
一方、グロモンはゴナイブから北に30km、四輪駆動車で1時間ほどかかる高台の小都市です。三本の河川に囲まれた高台にある中心部は被災は免れたものの、増水により下流に点在する小さな集落は呑み込まれ、最終的には南のゴナイブまで流れ込みました。住居が倒壊した約400人が、現在でも避難所生活を送っています。
3)シャンソーム市(約2万人)と
ポルドペ市(約12万人):鉄砲水
さらに、河川の下流に位置するシャンソーム市とポルデペ市は一滴の雨も降らなかったにも関わらず、鉄砲水に直撃されました。グロモンからトロワ・リビエル(TroisRivieres)河沿いに北に約60km下ったところにあるシャンソームには、18日の深夜、川が濁流となって町に流れ込みました。通常の水位が1m程度で、また町とは2m程度の高低差があったことから推測すると、最大で4m以上水位が上がったものと考えられます。町は上流から流されてきた草や木、そして石などにより被害を受け、中には川岸ごと家屋をさらわれている場所もありました。
また、北西部最大の都市ポルドペでは、とくにポーラーン(Paulin)地区とトロワ・リビエル(TroisRivieres)地区では、3週間経つ今も避難所で暮らす住民が大半です。ほとんどの家屋が河川から拾った小石をセ
メントで固めて作った簡易なもので、流れ込む濁流には何ら意味をなすものではありませんでした。被災地を歩いていると、そこにはまだ発見されていない遺体があるためか、時折異臭が漂います。
3. 支援活動
AMDAでは9月30日から、現地の協力団体であるMontfortain Missionaries1(以下モンフォルタン修道会)と共に、グロモン市・シャンソーム市・ポルドペ市を中心に支援活動を実施しました。
1) 被災者に対する支援物資(生活物 資・食料・医薬消耗品)の提供
AMDAでは、9月29日グロモン市の地元災害対策協議会と協議し、モンフォルタン修道会が避難所として提供している職業訓練センターにて実施する事で合意し、さらに医薬用品は、同市保健センターにて配布することになりました。避難所には、洪水や鉄砲水により家屋を失ったり、生活が困難な状態にある約400人が生活していました。これらの被災者に約300人分の歯ブラシ、歯磨き粉、石鹸など生活支援物資を主に配布し、住民が共同で利用できるよう懐中電灯や乾電池なども配布しました。また10月5日から7日までの期間、北端の町ポルドペ市のポーラーン地区・トロワ・リビエル地区の被災者約30家族に対し、約1週間分の米、豆、食用油、魚缶詰などの食糧支援を被災者自身も参加して実施しました。
2) 北部被災地域の状況調査
9月30日から10月2日までの3日間、同国政府の依頼により、グロモン市・シャンソーム市・ポルドペ市において被災状況の調査活動を実施しました。北部地域には、政府の出先機関などが無いため行政機関が十分に機能していません。AMDAでは、上記地域で実施した支援活動と平行して被災地域での状況調査や市町村関係者などからの聞き取り調査などを行いました。10月3 日には一旦首都ポルトープランスに戻り、Civil Protection Commissionに上記3地域の被災状況の報告と、今後必要と考えられる食料などの輸送について提案・協議しました。
3) 日本政府支援物資の輸送・配布
9月29日から30日の2日間、日本政府からハイチ政府に提供された緊急支援物資の輸送・配布を委託され、実施しました。AMDAでは、まだ支援が及んでいない北部被災地域(グロモン市・シャンソーム市・ポルドペ市)へ輸送・配布を提言し、これからの物資の輸送・配布を実施することになりました。輸送物資は、発電機4機・テント4張・毛布100枚・マットレス30枚・水タンク(5L)60個などで、車輌3台に積み込み、上記3地域へそれぞれ輸送・配布しました。
4.まとめ
ハリケーン「ジーン」により多数の死傷者を出したゴナイブでは、現在でも多くの人々が避難生活を送っていますが、そこには運良く避難所に入れた被災者、避難所に入れず崩壊し泥まみれになった家に寝泊りする家族など状況は様々です。
ここでは都市構造の欠点である上下水道の整備不良により、排水は町に留まったままで今後は感染症、皮膚病などの蔓延も危惧されています。定期的に行われる食糧配給だけでは生活が困難な為、多くの被災者は食糧を求め、各国からの支援物資の集まる倉庫に連日集まり、食糧不足を訴えています。北部地域では農作物の被害が甚大で、主食の米・豆・バナナ等の収穫は最短でも6ヶ月は見込めません。特に北部の農村地帯では農作物や家畜はお金に等しい価値を持ち、今後政府や国際機関の支援なくしては生活が成り立たないと予想されます。各国からの支援物資などの多くはゴナイブ市のみに集中し、北部地域の被災地には支援がまったくなされていませんでした。水害被災者がこれまで通りの生活を取り戻すまでには、今後1年以上を費やすことが予想され、AMDAでも、引き続き現地協力団体を通じた支援を検討しています。
今回のは多くの個人・団体の方々からの支援により実現することができました。現地情報など、NPO法人e&G研究所(広島県)からさまざまなアドバイスをいただきました。またハイチ国内においては、前在日ハイチ大使のマルセル・デュレ氏のご協力により、円滑な政府関係機関との交渉を進めることができました。さらに被災者自身が救済活動に参加したことは、今後の被災地の復興を推し進める一つの力になると私には感じられました。
最後になりますが、被災者のかたがたからメッセージを紹介します。「日本の支援者の皆さん、またAMDAの皆さんのご支援を心から感謝しています」。私の訪れた地域の人々は必ずこのメッセージを伝えるように口々にいわれました。
1Montfortain Missionariesgはフランスに本部を置くカトリック修道院で、ハイチでの活動の歴史は100年前に遡ります。現在ハイチの中部・北西部を中心に、飲料水支援・学校・病院運営など地域住民に密着した活動を展開しています。
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ポルドベ市での食糧配給 |
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