2003年5月21日(水)19時45分ごろ(日本時間22日午前3時45分ごろ)、アルジェリアの北部で
マグニチュード6.7といわれる地震が発生し、大きな被害が出ていることが伝えられた。
震源地は首都アルジェ(Algiers)の東部テニア(Thenia)の近郊であり、第一報で死者250人、
アルジェリア北部の主な町、ブウメルデス(Boumerdes)やルイバ(Rouiba)などで多数の家屋倒壊が
起こり、さらに多くの死者が出ることが想定された。やはり、報道が更新されるたびに死者やケガ人の
数は増え、2日後の 24日には死者数1600人と報じられた。AMDAは、26日、緊急救援事業部職員 佐伯
美苗を派遣。
現地ではまず日本大使館を訪問し、領事より国内の治安状況や物価などの基本情報をご教示いただき、
さまざまなご助言をいただいた。そして28日、ブウメルデス市内の状況と被災者キャンプの状況を調査
した。
ブウメルデス市内でも大きく倒壊した家屋の多い地区と被害が比較的少なくてすんだ地区とがあった。
団地では隣近所が集まってテントを張り、肩を寄せ合うようにして暮らしている。
市内の最大の人口を抱える、オリンピック競技場跡に設置されたキャンプを視察したところ、仮設診療
所はすでに稼働しており、多くの患者がつめかけていた。重傷者など緊急患者は首都に搬送されている
ため、テントの中には比較的軽症者と付添家族であった。搬送体制が動いていることは、少なくとも
この周辺地域ではロジスティクスラインが壊滅していないことを意味する。
仮設診療所を運営する複数の地元団体のスタッフは、この競技場跡のキャンプは落ち着きつつあるが、
慢性疾患を悪化させている患者が多いと語った。ある地元団体は心理ケアのテントを独自に開設して
おり、すでに列をなしている状態であった。
地元団体「プロテクシオン・シビレ(Protection Civile)」など仮設診療所を運営する各団体と話し
合った結果、この仮設診療所に水や包帯などを提供することになった。町中にあるとはいえキャンプ
のテント内での診療活動であり、衛生的な水や外用品の使用を節約しているとのことであった。
29日午後、要請のあった物資をもって再度訪問。「日本もいつも地震ばかりだな。今日のことはほんと
うに感謝してるよ。日本に帰ったらぜひお礼を伝えてほしい」十数名のスタッフに握手を求められ、
患者さんたちからも満面の笑顔で歓迎をうけた。
大きな制約条件が課せられた状況下での緊急支援であったが、現地団体がしっかりと被災者の支援活動
に取り組んでいる姿に感銘をうけた。しかし一方で、それは、大きな災害に何度も見舞われ、国際社会
の中では孤独を強いられているこの国の、自分たちでなんとか乗り切っていこう、という諦念に近い
意志さえ感じられた。今後は、現地団体がすでに行っている緊急医療活動の側面支援を継続していきた
い。
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