緊急救援活動

アフガニスタンでの活動報告

AMDA本部職員 小西 司
AMDA Journal 2003年 1月号より掲載

最近のAMDAの活動について

(1)パキスタン・アフガン難民キャンプでの活動

2001年11月より、パキスタン・アフガン難民キャンプにて医療救援活動を実施。現在は原口珠代医療調整員、岸田典子調整員、佐々木久栄看護師がパキスタン・クエッタにて駐在し、継続している。

7月
生越まち子医師、岸田調整員によるアフガニスタン南部カンダハル州の医療調査開始


8月
中原慶亮医師、佐伯美苗本部職員による帰還難民・国内情勢の医療調査・支援


9月26日
小西 司の派遣、29日より僻地医療調査開始


10月7日〜11日
小林直之医師とともに国内避難民キャンプでの巡回診療を実施(地元NGOのAHDSと共同)


10月12日より
アフガニスタン南部、カンダハル州マルーフ郡での医療支援活動を開始


1. アフガニスタン南部・僻地に復興の槌音はこだましない

復興の槌音は都市部では目覚しく、カンダハル市も電気・水道なども少しずつ復旧しはじめている。陸路国境からカンダハル市に入ると、街は別世界だ。停電が頻発するとはいえ、夜間には街は電照で輝く。街の書店では「タリバン時代に比べてビデオも見られるようになったし、客が集まっても警察にとやかく言われない。 商品? もちろん増えた。たくさん輸入できるようになったから」。

幹線道路沿いは地雷除去なども進みつつある。路傍にある石、白いペンキに塗られたのは地雷除去済、赤い石は除去予定。しかし、幹線道路から一歩入れば、道は砂丘の轍か干上がった河床となり、そこには赤い目印さえない。地雷探査もまったく行われていないからだ。

カンダハル州ではこの6年間、厳しい旱魃が続いており、農業・遊牧では生活できず、村人は国内避難民キャンプへ流入が続いている。爆撃で橋が落ち、舗装のなくなった道路端には少年少女が佇み、誰に頼まれるでもなく道路の穴を石で埋める作業をしている。 すでにラクダを売り、路端で砂埃にまみれながら、物乞いではないとの最後の誇りか、街の子どものようにすり寄って乞わない。ただ仕事の手を止め、じっとこちらを見つめる。

この国の主役たちは、誰なのだろうか、カンダハルに居ると混乱してくる。

「国際NGOからクレームが来てね。『学校建設をしようと、支援契約を取り付けて、現場に行ったらすでに他のNGOが建設中だった、アフガンの役所は支援を調整できていない』って」。 一人一台のコンピュータ、24時間対応の自家発電、新しい4輪駆動車、ポロシャツ。国連の事務所に勤めるアフガニスタン人なのだが、私たちよりも外国人のようだ。データを駆使し、的確な英語で情報を照会してくれる。それはとてもありがたい。しかも、目敏い。 「いいクルマや事務所が必要ならボクにいつでも言ってよ。いいところを紹介するから」。

一方、カンダハル市にある、援助団体を統括する政府の計画局には、コンピュータはもちろん、コピー機もない。停電は普通だ。

「ようこそ来てくださいました。今、アフガニスタンにはすべてが必要です。特に遠いところほどなにもありません。診療所のない郡部へ、支援いただければありがたいです。」建設などでプロジェクトが重複しているトラブルについて聞いてみた。

「学校も病院も、まったく足りないです。実をいうと多くの団体が入って来ていますが、ある団体に建設場所をお願いしても、その団体は予算が取れなかったから中止、と言って、いつのまにか帰ってしまったり。しかも連絡もなしなのです。管理が難しいです。 あ、ファイルを1冊、持ってきてください。団体にひとつ、ファイルを作っているのです。」

ここで受取った各地域に関するデータは、すべて国連機関が提供しているデータからのコピーだった。この国の主役は、予想通りだが、すでに交代してしまっている。

公衆保健省の地域事務所は、病院の副医院長室も兼ねている。

「マルーフ郡やアトガル郡、ミヤネシン郡など、僻地へ行って欲しいです。診療できるものはなにもないのです」

自身はカンダハル市の大病院ミルワイズ病院の医師として勤務しつつ、アフガニスタン南部地域公衆保健省の事務局次長を兼任する。この病院すら、入り口ロビーは患者と家族で溢れているのだが、それでも、僻地医療に支援してくれという。

「いろんな団体にお願いしているが、遠いところはなかなか支援してくれるところがなくてね」

看護師がひっきりなしに呼びに来る合間、次々とやってくる大小の団体にも丁寧に対応してくれる。

「いつまで、居てくれますか? なるべく長く、お願いしますよ。」

2. 谷間の村から

WHOが発行する統計資料を見ても医療については、都市部とアクセスのできるところは急速に復旧しているが、遠隔地になるほど支援が及ばず、僻地が放置されているのは明らかだ。その僻地へ向かう。 しかしカンダハル市から1時間の所にあるシャワリコット郡の郡役所の人たちは、そこから10km先のミヤネシン郡へ行く私たちを必死に止めた。

「ミヤネシン郡? その車で行くって? 冗談じゃないよ、4輪駆動でなきゃ。それに軍の警護兵を4人は付けて。この6ヶ月で30台の車が強盗されているんですよ」

「そりゃ、診療所なんてないですよ。学校もないし、山の中でそのままに暮らしてるんでしょう」

10km先は闇の中なのだ。僻地は情報が命。しかしAMDAは武装医師団は組織できない。たとえ無事にたどり着いて診療できたとしても、後で患者が危険になるかもしれないから。唇を噛みながら、カンダハル市へ戻った。

AMDAが支援を開始したカンダハル州マルーフ郡は、人口3万2千人、東部の山岳地帯に位置する。カンダハル市から160kmだが、道はなく、砂丘に残る轍を追い、干上がった川底を通り、8時間かかってやっとたどり着く。途中、重機関銃の薬莢はそこいら中に落ちているが、地雷除去の印も赤い石もまったくない。夜間には米軍機の監視飛行が続く。

公的な医療施設はなく、疾患患者は少々の医療知識(解熱剤や栄養剤の投薬程度)がある薬店(郡に1件のみ)に依存してきた。その医薬品も、山道を9時間越えた先のパキスタンから来る行商に頼っている。 このため、地域の病状すら正確には把握されておらず、薬店主によるとマラリヤ、下痢、ハシカ、乳幼児の栄養不良、結核、リーシュマニア(サシバエからの寄生虫症)、髄膜炎、肺炎などが確認されている。

ただマルーフ郡内の一小集落にはアブドラ医師が在住、出身地である集落で細々と診療している。このため、この集落の患者のみ、診療を受けられる状況にあったが、診療器具は聴診器(折れている)、体温計、血圧計(指針は歪んでいる)のみであった。この地で育ち、17年間の経験で診療を続けてきた。 お歳は?「たぶん、50歳」とのこと。「ごらんの通り、建物が古くてね。汚れていて申し訳ない。まあ、座ってくださいな。」マルーフ郡ではじめて英語が話せる御仁に会った。奥の部屋では若い薬剤師が患者に丁寧に、薬の説明をしている。

「たしかに冬はたいへんでね、子どもたちが栄養不足で、高熱と衰弱で。栄養さえ付けてやれれば、なんとかなるのですけどねえ。ほう、診療所をつくるの? いいですよ、手伝いましょう。うちの看護師も喜びますよ。」

アブドラ医師の診察室に医薬品を寄贈

冬季には、マルーフ郡へ医薬品を運ぶ山道が使用できなくなる。医薬品の在庫確保などで緊急対策が必要であったことから、同郡役所と協議し、当面2ヶ月分の医薬品を提供した。またアブドラ医師、郡役所との協力を得、マルーフ郡の中心町にて診療室の開設をすすめている。 すでに用地、建物は確保し、医薬品の追加在庫と医療機器の調達を開始した。アブドラ医師には、こわれた器具に替えて、聴診器、体温計、血圧計を寄贈し、医薬品を渡すとき、

「うれしいです。貧しくてお金の払えない患者のために、使わせてもらいますよ。実はね、他にも来てくれた外国の人もいたけれどね、診療室つくると言ってた人たちもいたなあ。でもみんな一回きりで帰ってしまってね。本当に、また来てくれるんですね。」

郡役所でも、アブドラ医師からも、しきりに言われた。何度も答えた、「必ず」と。

「僻地? どうしてそんなところで診療所をつくるんです? 日本の援助でしょう、都会の目立つところに、大きな建物、例えば一万人の生徒が学ぶ学校とかを作って、大きな看板を掲げて、日本人や外国人をたくさん招いて、見せて、自分たちの団体をアピールしなければ意味がありませんよ。そんな田舎に誰が見に来てくれるんですか?」

ある団体スタッフのこの言葉は、今進行している「アフガン復興」を見事に表現していた。




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