緊急救援活動

カンダハル調査報告

クエッタプロジェクト事務所
主任調整員 岸田 典子
AMDA Journal 2002年 9月号より掲載

 AMDAは、昨年11月、パキスタン国内でアフガニスタン難民支援活動を始めました。 支援活動の拠点はパキスタンのクエッタです。

 今回、クエッタから北西へ行き、国境を越えた、難民の祖国アフガニスタンのカンダハル周辺で数日間、生越まち子医師らと調査活動を行いました。 アフガニスタンへクエッタから入り、最初に出くわす都市カンダハルは、国内では首都カブールの次に大きな街です。

 昨年、アメリカ軍による空爆が始まりましたが、半年以上が過ぎたカンダハルの現状をご紹介します。


 パキスタン国境の街チャマンより、3時間ほど走ったところにカンダハルはありました。 土漠(土の砂漠)の中を走る、チャマンからカンダハルへのでこぼこ道は、土の粒が風や走る車の為に舞いあがり、10メートル先が霞んで見えません。 昼の12時だというのに、ヘッドライトを灯して車は走りました。少し不安と疲れを感じ始めた時、「Welcome to kandahar(これよりカンダハル)」の表示を道沿いに見つけました。

 カンダハルへ入ると、パリの凱旋門のような大きな門が最初に目を引きました。 タイル張りで美しく、イスラーム的印象を受けました。空爆で壊れたのか、ゲートの左上に穴があき、上の部分が欠けており、現在、修復中です。 街には、空爆で壊れた建物が今だに残るものの、復旧が進んでおり、車も多く、クエッタでお馴染みのリクシャ(三輪タクシー)も数多く走っていました。 小売店も多く、物が豊富で、お隣の国、イランやパキスタンから運ばれてくるとのことでした。 旬を迎えたブドウは道端の屋台でも沢山売られていました。かつて、カンダハルは、美味しい果物でとても有名な街だったそうです。 空爆を受けた痕は多く残りますが、それ以上に商業の拠点としての長い歴史を感じる落ち着いた街、という印象を受けました。

 しかし、実際のカンダハルはまだまだ色々な問題を抱えていました。 まず、政権が20数年安定しない為、基本となるデータ等がなく、政府が同地域の現状を把握できていないようでした。 例えば、カンダハル市の人口は、国連の資料を見ると、約45万人となっているのですが、100万人、あるいは150万人という人もいました。 そして、乳児死亡率等は不明であると保健省(Ministry of Public Health)の幹部が言われました。 調査ができていない上に、タリバン政権が交代する時に、色々な資料を廃棄してしまったためだと、政府関係者やNGO関係者は言っていました。 政府だけでなく、公共サービスも同じで、水道や電気も料金の請求が来ないことがよくあり、誰が管理しているのか分からない、とも聞かされました。

 そして、医療に関しては、絶対的な量の不足を感じました。

ミールワイズ国立病院の病棟にて。医師の説明を受ける生越まち子医師
ミールワイズ国立病院の病棟にて。
医師の説明を受ける生越まち子医師
 カンダハル市内には、約300床の病院、ミールワイズホスピタルがあります。 ミールワイズホスピタルは、アフガニスタン南西部では唯一の国立総合病院で、南西部のヘルスポストや地方病院から集まる重篤な患者さんをみるための施設です。 しかし、これは各地にヘルスポストや地方病院があればの話で、実際は、45万人の住むとされる南西部に、ベッド数はたった720床、医療施設がまったく無い地域も多いと言われています。 そのため、多くの患者さんがミールワイズホスピタルに直接訪れ、300床のベッドと40人の医師では、とても間に合いません。 多くの人が訪れ、また、掃除もあまり行き届いていない為か、病院内は人の臭いが充満しています。 女性たちは皆、ブルカを被っていて、表情が分かりませんが、じっと、外来受付の前の床に座っています。


 病院に来られない人も大勢います。 国内避難民(IDP: Internally Displaced People)キャンプでは、医療だけでなく、もっと基本的な食料や水、トイレ、住居も、十分ではないように感じました。

 カンダハルの周辺には、大きなIDPキャンプが2つあります。一つは、パキスタンとの国境沿いに位置し、帰還民のキャンプ・スピンブルドック、そして、もう一つは、数年前干ばつ等で財産や住む場所を失ったIDPのキャンプ・パンチパイです。 どちらもカンダハル市より車で2時間ほどの所にありました。

アフガン支援プロジェクト(パンチパイ国内避難民キャンプ)
アフガン支援プロジェクト
(パンチパイ国内避難民キャンプ)
 パンチパイは、6,000家族が生活すると言われ、400家族ずつくらいが小さな集落をつくり生活しているそうでした。 今回私たちが訪れたキャンプ内集落・トゥルカーンは、舗装された道路から外れて1時間ほど行った、砂利だらけの土地にありました。 IDPのキャンプの為か、国際機関の支援も殆ど入っていません。 クエッタのAMDAが活動している難民キャンプと比べても、テントはぼろぼろ、給水タンクは無し、仮設診療所(BHU)も、外来診療(OPD)のみ週2回と、劣悪な環境でした。 車で1時間ほど行った所には、ひまわり畑が広がり、普通に農民が畑を持って生活している場所があるとは考えられないほどの環境でした。 自然環境が厳しい中、内戦や災害で全てを失うという事は、これほど大変なことなのかと思いました。

 もう一つのキャンプ、スピンブルドックには、約1,500家族の難民が生活していました。 舗装された道路からすぐ近くの所にあり、学校も、BHUも毎日開かれており、パンチパイと比べると、比較的整っている印象を受けました。 パンチパイのIDPの生活を目の当たりにした直後だった為、このキャンプの人々が、この後、自分の住んでいた土地に帰り、生活が送れるようになることを祈らずにはおれませんでした。

 どちらのキャンプも、それぞれ大変な環境にありました。しかし、そんな中、子どもたちは、明るく無邪気で、人間の強さを感じました。

 今回、カンダハルとその周辺を見て廻り、アフガニスタンの抱える問題は昨年末に始まったものではなく、過去何十年も続いてきたことなのだと実感しました。 ここに支援を開始するには、相当の覚悟が必要ではないかと思いました。それほど、アフガニスタンの人々が、必要をしている支援は大きいと思いました。 現状を見ると、カンダハルが、昔のように栄え、アフガニスタンの人々が自分の土地で生活するようになる日が本当に来るのだろうかと、悲観的になりそうでした。

 しかし、カンダハルは首都のカブールと比べると、支援の入り方もまだまだ少ないそうです。 そのため今後、国際社会がアフガニスタンを忘れず、復興を助けていけば、再建も可能だと、 元気な子どもたちを見て考え直しました。 `CN圭N



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