緊急救援活動

アフガン難民支援活動報告「岩山の裾野から」

AMDA緊急救援対策局長 小西 司
AMDA Journal 2002年3月号より掲載

AMDAは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)クエッタ事務所との協力により、昨年末から国境沿いのムハンマド・ケイルキャンプにおいてアフガン難民支援活動を開始した。そしてUNHCRをはじめ国際機関、現地の政府や医療機関などとの協力のもと、現在に至るまで支援活動を継続している。

年頭からは二つめのキャンプ、ラティファバドでの活動も開始した。現在までの概況を報告する。

ムハンマド・ケイル キャンプ (Muhammad Khail)

AMDA医療支援チームが拠点とするクエッタ(Quetta)の市街から、南西に約75kmの山裾の平野にある。12月に開設されて以来、年明けまでに2万人の難民が保護されたが、2月6日現在では約5万人の人口を抱え、クエッタおよびチャマン周辺では最大の難民キャンプとなった。

AMDAは同キャンプ内にテントを構え、母親と子どもに重点をおいた保健活動を実施している。内容は、前号谷合報告に詳しいが、世帯毎の保健登録(家族の健康管理の基本データとなるカードの作成)、幼児の栄養状態測定、児童の予防接種とビタミンA投与、などが含まれる。 子だくさんの11人家族というところも少なくなく、毎日150家族、少なくとも300人、多い日には500人を越える子どもたちが訪れ、はしかの予防注射を行うテントでは、嫌がる子どもたちに言い含めて注射をうつため、日々泣き声が絶えず、作業は難渋している。

ラティファバド キャンプ (Latif Abad)

ラティフ・アバドはムハンマド・ケイルの南7kmに位置し、国境まで約20km、峻険な山並みを間近に臨む。

同キャンプは1月16日から難民が到着し、ハザラ人など北部アフガニスタンから流入した難民を中心に形成がすすみ、2月6日現在約4,500人が保護されている。1日200世帯以上が入ってくるこのキャンプでは、AMDAは8つの仮設医療テントを中心にした診療活動を実施している。

一月下旬には、世界食糧計画(WFP)より高カロリービスケットの提供を受け、栄養不良児童たちに配布を開始した。1月末にはムハンマド・ケイルと共に、ポリオ予防のための乳幼児へのワクチン投与キャンペーンを実施した。 また、ここでは、毎日のように出産があり、乏しい設備での授産は危険を伴うため緊張が走る一方、生気に乏しいキャンプに希望と活気をもたらしている。

このキャンプで初めて産声をあげたのは、第七子にして初めてという女の子だった。1月21日朝母親が急に産気づいたが、母親の消耗が激しかったため一時は危険な状態に陥る可能性が高く、無理をおしてクエッタの病院に移送することが検討された。 しかしAMDAチームのファジラ看護婦が、難産の末、元気な女児をとりあげた。母親は出産直後から栄養不良状態が続き、現在も栄養補給を受けている。六人のお兄ちゃんに見守られて眠る赤ん坊を見ると、将来この子どもたちが平和の地ですこやかに暮らせるようにと祈らずにはいられない。

当初AMDAチームには、助産婦や産科の臨床経験の豊富なスタッフが乏しかったが、現在は助産経験の豊富な現地スタッフの参加により、素早く、的確に対応できるようになっている。

この2ヵ所のキャンプでの活動は、AMDA本部から派遣された谷合主任調整員、筆者と引継ぎ、現在は山上正道調整員と工藤ちひろ看護婦が手分けして全体の運営を行ってきた。我々と共に活動全般をみるのがパキスタン人のシャノワーズ調整員、医療面から適格な指揮を執るのが5人の医師たちである。 そして、毎日突発的にいろいろなことが起きるキャンプでの活動には、保健医療の専門知識ももちろんだが、当の難民と母語を同じくし、かれらを思い遣る世間知に富んだ現地スタッフの働きが欠かせない。活動の拡充に伴い、AMDAに参加している現地スタッフは、両キャンプ合わせて現在総勢35名を数えるまでに至った。 うち5名は医師だが、それぞれ実に様々な背景をもつ。キャンプ内の保健活動の要は保健衛生管理であるが、イスラム社会では女性患者は女性医師に、男性患者は男性医師の診療を求めるため、キャンプで実際に活動に従事するスタッフの半数が女性である。 工藤看護婦はつぎつぎに起こる問題のたびに彼女らの中に入り、且つ指揮を執り、見事にチームをまとめていく。

また、正式なスタッフではないが、キャンプの中に入った難民の中には、自らすすんで我々の手助けをかって出てくれる人もいる。光の宿らない目を地面に落として座り込んでいる女性が多い中、常に入れ替わりで何人もの男性が我々の存在を受け入れ、手伝おうと申し出てくれる。

空爆が開始されたばかりの昨年10月の救援チーム派遣では、AMDAは苦い教訓を受け取ることになった。たとえ熟練の日本人チームが出かけて行っても、世界のすべてに怯える人々から急には受け入れてはもらえない。 少々回り道に思えても、時間をかけて我々も共に歩く人々を求め、行動を通じて我々も平和の実現を望んでいるのだということを理解してもらうしかない、という簡単明瞭なことを痛感したときであった。

1ヶ月半の後に、谷合調整員が再度クエッタに渡り、現地で地道にアフガン難民への支援を続けてきた病院を始めとする関係機関と協力関係を築きあげ、今日に至る活動の基礎が確立された。

内戦、旱魃、崩壊した社会資本、難民。この地域に長く、深く、厳しい問題が山積する中で、AMDAの活動はまだ、ようやくその裾野に立ったところでしかない。99年、AMDAがアフガニスタンで活動を続けていた時期、もし国際社会と私たちがこれほどの関心を持ってアフガニスタンを見つめていたならば、事態は大きく違っていたのではなかろうか。

平和の反対は無視と無関心であり、紛争はその結果だ。平和を守るとは、関心を持ち続けることだと考える。AMDAはアフガニスタンの人たちのため、今度こそ関心を持ち続けたい。アフガン難民にとっては、まだ何も終わっていない。




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