緊急救援活動

パキスタンレポート
ソフラブ・ゴス アフガン難民キャンプでの診療活動


AMDA主任調整員 谷合 正明
AMDA Journal 2001年12月号より掲載


 このキャンプは、現在、パキスタン政府によって保護管理されており、UNHCRなどの国際機関や国際NGOの支援は入っていない。私たちがこのキャンプで活動するにあたっては、警察やカラチ市の難民担当官、また難民キャンプのリーダーにそれぞれ今回のAMDA 医療活動の意義と目的を説明し、それが受け入れられるまでに1週間ほどかかった。今回の交渉は、主にAMDAパキスタンの代表であり、バカイ医科大学の総長であるバカイ博士に尽力をいただいた。バカイ医科大学からは、医師6名、看護婦5名、その他アシスタント6名のパキスタン人医療メンバーが、今回のAMDAの緊急救援に駆けつけてくれた。

 日本人チームは、はじめこのキャンプが80年代にできたものであり、大都市カラチにあることから、アフガン人といえど、ある程度、パキスタンに同化あるいは、生活習慣も都市化しているのではないかと、予想していたが、まったくこのキャンプはアフガニスタンそのものであるとの印象を受けた。診療を始めてみると、ブルカを身にまとった女性、日本人にどことなく似ているモンゴル系のアフガン人も見受けられた。2000年にアフガニスタンでの診療活動の経験がある若山医師も、都市にあるとはいえ、生活習慣がまるっきり変わらないでいるこの難民たちに驚いていた。

 AMDA多国籍医師団は、内科、外科、小児科と3つに分かれ、それぞれ日本人医療チームとパキスタン人医療チームがコンビを組んでおこなった。調整員の私も含め医師や看護婦が直面した問題はまず言葉であった。パシュトン民族が主であるアフガン難民は、カラチで主に使われるウルドゥ語を理解しない。日本人はもちろんのこと、パキスタン人医師も、パシュトン語を理解しない医師もおり、難民に直接コミュニケーションをとる大変さを痛感した。

パキスタン支部の医師と日本人派遣医師と看護婦による診療風景

 その日は、午前11時すぎから午後3時まで診療を続けた。私たちは合計250人の患者を診察した。患者の6割は10歳以下の子供で、それについで、年老いた男女が多かった。診察が開始されると、それまで待ちわびていたかのように、キャンプから子供連れの母親が多くやってきた。外来受付や薬受け渡し場所には人があふれ、騒然とした。子供たちがたくさん、仮設診療所の中や外でわいわい騒いでいた。この元気な子供たちのおかげもあって、患者が並んで順番を待つことは最後までほとんどなかった。

 患者の症状は蚊やダニなどの虫さされによる皮膚疾患、呼吸器系疾患、栄養不足による貧血、マラリア、結核が多く見られた。処置としては、外科的皮膚処置、内服薬投与(抗生剤、ビタミン剤、鉄剤、筋肉注射)で対応した。薬を渡すとき、医療スタッフが足りず、現地のカメラマン、ガードマンまでが自分の仕事を差し置いて、患者の名前を呼んで薬を手渡した。カラチのこの難民キャンプには、重度の栄養失調児はみられなかったが、もしかしたら本当の重病人は、私たちの診療所にも来れずにいたのかもしれない。

 実際に診療が始まれば医師・看護婦の方は、それぞれプロである。1週間以上 寝食をともにしていたが、それまで見ることの無かった真剣な表情、てきぱきとした行動を垣間見、ある意味感動した。特に、これまでキャンプでの医療活動の経験がある、上田医師や若山医師は、すばやくパキスタン人医師と診療活動に入られた。外科を担当した若山医師は、まず患部を診るというより、相手の心を診るといったほうが正解なくらい、一瞬にして、患者の信頼を得ていた。私自身、日本人医師・看護婦に向かって泣いてよろこぶ老人の姿を何度か目の当たりにした。一方で処方した薬や日本から持ってきた機材に信用がおけないのか、それを拒否する難民もおり、激しい感情の起伏にとまどうケースもあった。また一緒のパキスタン人医師・看護婦と意思疎通を図ることにも苦労した面もあった。

 今回大いに反省したことは、アフガン難民の女性にカメラを向けたということで、診療活動が終わった夕方に一時緊張が走った。仮設診療所に向けて、投石や撤去を始めようとする難民がいたのだ。撮影の許可は事前にとっていたが、「ユダヤ教徒が、アフガン女性を撮影した」といううわさが広まり、彼らの怒りを買った形となった。

 私は、今回のパキスタンにおけるアフガニスタン難民医療支援は、他のアフリカやコソボでの経験とは比較にならないほど、医療支援を始めるまでの難民との信頼関係の構築が必須であることを痛感した。アフガン難民に対して、「彼らにルールを守ってもらうことはできない」「食糧配給をしたら一歩間違えれば騒乱になる」「キャンプに学校や病院など作ってもすぐに壊される」 といった悪評を聞くことがあった。が、一方的にアフガン難民を非難することはできない。信頼関係なしでキャンプでの支援を開始することはできない。今まで日本が、アフリカや旧ユーゴでの内戦など、政治的にほぼ中立な立場であったのとは違い、このたびは大きく関っている。アフガン人にとってみれば、日本は敵かもしれない。戦時下での活動という大きな難局に直面しているが、こういう時だからこそ、逆にNGOの持つ利点(アフガン難民の人々と直に話し合える)が発揮されると信じている。

国境に近づく

 帰国日が迫る中、ようやく空路でクエッタに行くことが出来た。ここには10月21日と22日という駆け足の滞在であった。この都市は、北部ぺシャワールと同様、アフガニスタン国境近くにある主要都市である。アフガニスタンまでは、車で2〜3時間ほどの距離にある。高温多湿のカラチと違い、標高の高いクエッタは、朝晩の気温はめっきりさがる。当時で最低気温が6度近くになった。これから冬場に来て、氷点下になれば、難民のとりわけ子供の健康状態が悪化することは誰の目にみても明らかであった。

 着いた当日、地元各紙はAMDAの到着を大きくとりあげた。クエッタには、多くのNGOや政府の調査団がやってくるが、安全確保ができていない理由で、なかなか食糧・生活必需品(飲料水キテントキ毛布)・医療等の支援が行き届いていない。医療ニーズは大変大きいが、実際、混沌とした現場では、支援の手を的確に伸ばすのには、時間がかかっていた。援助関係者よりも、マスコミの数のほうが圧倒的に多いのではないかと思った。

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