緊急救援活動

メッティーラでの緊急救援活動に従事して

看護婦 神田 貴絵
AMDA Journal 2001年 8月号より掲載

*75年ぶりの大洪水

 いまでも、印象的に覚えている会話がある。洪水の1週間前にメッティー ラ活動の視察に訪れていた小野 弘医師が、少しずつ増水しているメッティーラ湖を車中から眺めながら、プロジ ェクトマネージャーのウ ソウテンに尋ねた。

 「この湖が溢れることはないのですか?」答えはすぐに帰ってきた。
「そんなことはありません」

 メッティーラはミャンマー中部の乾燥地帯に位置し、通常ならば、雨期で さえ雨は少ないほうなのだ。この75年間洪水はなかったので、ほとんどの 市民にとってはじめての経験だった。そのため、メッティーラ湖の水が溢れ ることを信じるのは難しかった。



*洪水のはじまり〜今年2回目の水祭り〜

 5月中旬より少しずつ雨が降り始め、いつもの雨期の始まりといったか んじだったが、5月の終わり、珍しくほぼ1日中雨が降る日が続いた。はじ めは「今年の2回目の水祭りだー!」と大喜びで、たくさんの人々が増水し 始めた湖を見物し、露店までお目見えしていた。また湖の畔では、子どもか ら大人まで釣り人が糸をたらし、小魚の大漁に微笑んでいた。

 しかし、実は日ごとに事態は深刻になっていた。日本のようにテレビやラ ジオで報道があるわけではなく、人々の口伝えの噂が広がるばかりだった。 耳を傾けると、「あそこの村が流された。橋が崩壊したらしい。人が流され ているのを見た。」とみんな好き好きに話している。

 6月3日。休日だったがオフィスの近くの小川が轟々と流れていたので、 ただ事ではないように感じ、湖を調べに近くまで行くと、湖にかかる1本の 橋は見事に赤茶色の水に覆われ通行不可能、湖上のパゴダは屋根だけが顔を 出していた。

 6月4日。私達メッティーラ事務所のスタッフはまず、情報収集からスタ ートした。混乱する状況の中で正確な情報を把握するのは、救援活動をする のに不可欠だ。実際、近くの村や橋を確かめに行った。目の当たりにしたの は、壊された橋と道路のすぐ横を轟々と流れる川そして、土石流に埋まった 家とその傍には流されてしまった人の無惨な死体がそのまま放置された状態 だった。ショックでたまらなく胸が苦しかったが、そんなことを言っている 暇はなかった。「メッティーラにあるNGOとして何か手伝おう!」という みんなの考えがすぐに一致し、救援活動は始まった。


被災者への聞き取り調査

 幸い負傷者は少なく、緊急時の援助としてまず衣食住の供給に重点をおく ことになった。被災者キャンプになっている寺を訪れると、「今日の夕食が ありません。助けて下さい」と口々に訴える。政府や個人から鍋等の調理器 具が配られていたのでAMDAは食料を配給することにした。すぐに食べら れるように、米、塩、豆、油、ンガピ(魚醤)を5点セットで配給した。適切 な物資を、適切な量で、適切な時に、適切な場所に、適切な方法でスムーズに 配給できるように考えることがいつもの課題だった。早朝から夜遅くまでス タッフ総出で、そしてなぜか事務所の近所の人々も手伝ってくれ、梱包をし た。市役所には市民からの寄付物資は届いているものの、マンパワー(人手) の不足と村までのアクセスが難しいため、倉庫に山積みになっているものも 多かった。AMDAは赤十字、U.S.D.A.(現地のNGO)、市役所のスタッフの 協力を得て、一刻も早く村人達に物資を届けるため直接配給することにし た。ボランティアの牛車に揺られて村を目指す。ミャンマーは敬虔な仏教徒 が多く、輪廻転生は彼等の自然な考え方である。人々に尽くすことは自分の後生に強く影響すると信じられており、困った人々を助けることはごく自 然なことである。そんな姿はとてもすがすがしく感じられ、私の毎日のパワ ーになった。またミャンマーでは、相手に最大の感謝を表す時、地面に跪 き、深く3度おじぎをする。配給を受けた人々は私の前に跪き、「命を救っ てくれた御礼」と3度おじぎをして、御礼にとお経を唱えてくれる人もい た。またどこからともなくちょっと訛りのある「あーりがと」「よろしい」と いう言葉が聞こえる。村長の話では、第2次世界大戦中、日本人兵とともに 生活していた人が多いそうだ。


食糧セットの準備

 メッティーラのテードーリー村は、村ごとすべて流されてしまい、43家族(約260人)が避難民になっていた。村までに辿りつくだけでも大変なの だ。4輪駆動の車で入れる所まで走り、その後はひたすら悪路を歩く。治安を守るため、長い銃を従えた軍人が前と後につき護衛されながら歩く。辿り着いた所にあったのは、被災者キャ ンプだった。村の家はほとんどが編んだ竹と葦の瓦でできているため、簡単に流されてしまう.被災者は、周りより少し高い丘に仮設キャンプをつくっていた。打ち上げられた木材を組み、雨風を凌いでいた。そこにはトイレが なく下痢の患者が増えることが予想されたため、まず、そこに仮設トイレを作った。いまは、保健婦の指導のもと、トイレの清潔維持が行われている。



*現在とこれから

 6月末現在。メッティーラ湖の水位は落ち着いたが、依然として濁りのある赤茶色の水である。水道をひねると濁った水が出てくるばかりである。雨期に突入したことと洪水の影響で皮膚病、下痢、かぜが流行っている。現在は子ども病院の勤務をしながら、週に2日、被害の大きかった村を中心に巡回し、村の保健婦と協力し、健康チェックを行っている。6月中旬に、以前子ども病院で働いていた野村由香看護婦が駆け付けて下さり、1ヶ月間一緒に活動している。

 政府によって流された家が建て直された、被害の大きかった村に入ると、 一番に話してくれるのはジェスチャー入りで「わたしの家では水がここまできた」ということ。人々は洪水の恐怖を忘れることができない。被災者の精 神面にも配慮しながら巡回したいと考える。

 また洪水の事態を深刻化させた原因のひとつとして、洪水の経験がなく、 湖が溢れることを信じられなかったことがあると思われる。村で話をきくと、ほとんどの村人が水が溢れるまで家の中におり、水が腰を超えようとする頃になってようやく事態の深刻さに気付き、ロープでみんなの身体を縛り 引っ張ったという。私自身も災害の恐ろしさを実感し、静穏期の防災教育の重要性をひしひしと感じた。

 今回は普通の活動では会うことのできない政府の要人に会ったり、ミャンマーの人々の優しい真心に出会うことができた。共に洪水を経験したことで 精神的につながりが深まった。あと4ヶ月の活動が残っているが、現地のス タッフと共に何ができるか考えていきたい。

 そして、日本でこの活動を物質的、精神的に支えて下さった人々に心より 感謝したい。





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