緊急救援活動

インド西部大地震緊急救援第3次派遣(5月7日〜19日)
仮設病院へ医薬品を寄贈
─インド西部地震の被災地から─


緊急救援対策担当局長 小西 司
AMDA Journal 2001年 7月号より掲載

「昨日の地震、大丈夫だった?」

 朝の挨拶は余震についてから始まります。被災地ではまだ連日のようにマグニチュード4以上の余震が続いており、一月の大地震でひび割れた家屋は、少しの揺れでも倒壊しかねないからです。

 AMDAは今年1月から2月にかけて、アンジャール市の仮設病院で緊急診療活動を、モルビ市周辺の農村で救援物資配布を実施しました。被災地は地震から4ヶ月以上経過した今になっても瓦礫の山で、倒壊した家屋を除去する作業が続いています。土木機械がほとんどなく、人力での作業のため、復興は遅々として進まないようでした。特に、古い家屋は石やレンガの厚く重い壁でつくられていたため、それらが迷路のような路地をはさんで密集していた古い市街地では、震災による倒壊で大きな被害が出ました。一方で新しい市街地は鉄筋コンクリート製家屋が多いうえ、道も広く、被害が少なく、復興も早いという、地域によって差がひろがってきています。


廃墟の街で−地震から4ヶ月,復旧は未だみえていない

 細い路地の続くアンジャール市の古い商店街では、果物屋や野菜の屋台、衣料品店など、なんとか倒壊を免れた店舗が店を開いていましたが、周囲の人々が家屋を失って去ってしまい、暮らしは成り立っていません。かつては賑わっていたという街角の喫茶店も、今は瓦礫の中に薄暗い間口を開いているだけです。


被災地の青空市場

 「この路地で、400人の子どもたちが生き埋めになったのです」。同行してくれた市職員シネラウさんは、今では半ば更地になった路地で、「地震の日、国の記念日を祝う子どもたちのパレードがこの路地を通っていました。両側から倒壊してきた家屋の下敷きになって、逃げる術も、助ける術も無く、子どもたちを庇おうとした教職員とともに、全員が亡くなりました」。悲しみを乗り越えるには、さらに永い月日を必要としています。


仮設病院とAMDAの協力

 郊外にあった政府の病院も被災し、薬局などが倒壊、医療スタッフも11人が亡くなるなど、震災以来、施設のすべてが使用不能になり、今も町の運動場に仮設された4棟のプレハブ診療所での診察が続いています。病院復旧の目処は、立っていません。

 「AMDAのことはおぼえています、二度目ですね。この仮設病院は電気もまだ不安定で、検査などが大変です。でも、政府だけでなく、地元有志などからの寄付もあり、なんとか病院として運営できるようになりました。」この仮設病院に勤めるナイック医師は、ここで一日に、だいたい250人を診察しているとのこと。5月、日中は40度を越す炎暑の中、医師たちは額の汗を拭いながら列を成す患者を診察していました。検査技師のガンダハムさんは、「入院するような患者は減ってきました。しかし家屋を失った、貧しい患者の中には薬代を払えない人たちが少なくありません」。ガンダハムさん自身も家屋を失い、今は病院の敷地内に仮設テントを張って暮らしています。

 AMDAでは、薬代を払えない患者さんたちのため、この仮設病院に医薬品(抗生剤、栄養補給液、気管支炎の治療薬など)を寄贈しました。受け渡しには場所がなかったので、産婦人科室での寄贈となりましたが、並んだベッドから寄贈の光景を見ていた女性たちからも感謝の笑顔をいただきました。

 AMDAへご寄付をいただいた皆様に感謝いたします。


 「一瞬にして何十万人が被災しました。暮らしの復興には大変な時間がかかります。その間、震災で傷を負った人々は働けず、日に日に貧しくなります。一日も早い復興のためにも、協力をお願いします」。アーメダバード市の水資源局担当ムクンドさんは、今もひび割れたままの事務室で、復興への協力を訴えています。

(今回の救援活動は全日本空輸様から航空券のご提供をいただきました)




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