緊急救援活動

救援物資とみんなの心
第2次チーム 看護婦 原口珠代
AMDA Journal 2001年 4月号より掲載

初の緊急救援参加

 医療を受けたくても受けられない、そんな状況に強いられた人達に、自分の技術が役に立てられたら…これが、私がこの国際協力の世界に入ったきっかけだ。

 それから、私は、主に途上国の開発系に関わってきた。しかし、紛争・災害に突然襲われた人々、まさに何よりもすぐ自分の技術が求められる現場、医療の緊急救援で働いてみたいという気持ちが次第に募っていた。 そんなある日、看護婦登録していたアムダから、1月29日の午後5時(出発の2日前)、「インドへ行こう」という一本の電話をもらったのだ。

 緊急支援に参加できる、初めてだけどできるだろうか、そんな不安に武者震いを感じながら、次の日、インドのビザを取るべく東京行きへの飛行機に乗っていた。

救援物資とみんなの心

 岡山のアムダの本部に到着した。本部内は、2日後の出発を控え、あわただしくスタッフやボランティアの方々が動き回っていた。緊急救援といっても、単に集まった物資を乗せて運ぶだけというわけにはいかない。

 救援物資一つをとっても、必要物資の選択、空港の許可、倉庫のアレンジ、仕分け、荷作り、物資計量、税関書類…山のような手続きがある。 それを、たった2日間で、すべてをやらなければならないのだ。

 実は、到着直後は不謹慎にも、本当にたった2日間で、準備が整うのかとても疑問だった。救援物資も集まり始めたばかりだったのだから…すべてが、途方もないことのように見えた。 しかし、医薬品の確認のため、倉庫に向かった私の目の前に、寒波が襲う寒空の下、なんとたくさんのボランティアの方が物資整理のために働いていたことだろう。 岡山空港の暖かい協力、ほぼ徹夜で調整を行うアムダスタッフ。

 地震に対する日本人の関心の高さは強いと聞いてはいたが、みんなの心に圧倒され、自分もみんなのこの思いをきちんと届けなければ申し訳ないと新たに決心したのだった。

公平な物資配布の難しさ

 インドに到着して、驚いたのは、各国からの大量の救援物資に翻弄されている政府の対応であった。 物資は、ほとんど地震の発生源に近いブジという都市に集中し、目立たない他の地域には、国際援助団体もほとんど入っていないという現実がそこにあった。メディアの偏りと、援助の不公平さをまざまざと見せつけられた。

 幸いにも、私達第2次チームは、地震直後から先発していた第1次チームからの情報を得ることができ、物資が集中しているブジを避け、ほとんど忘れ去られている被災地へと向かうことになった。 医薬品などの物資を受け取り、そこから206km離れたモルビーという町に着いたのは、2月4日午前5時だった。モルビーの病院では、病院の敷地内に仮設テントをはり、診療を行っていた。 働いていた医師も、飛行機で1時間離れている都市から、今回の災害援助のため急遽こちらに来たのだそうだ。毎日200人以上の外来患者が訪れ、ほとんどが地震被害者であった。 中でも、骨折などの整形外科患者が大半を占めているという。5歳くらいだろうか、小さな女の子が後頭部にけがを負い治療を受けていた。傷自体は小さいのだが、感染症を起こしかけている。 第一次チームからの報告も、このような患者が多いとのことだった。私達が運んできた外科用キット(ガーゼ類)、消毒薬、抗生物質などを早速使っていた。

配布した外科キットを用いて治療を介助する筆者

 緊急事態で、情報等混乱している中で、よりニーズのある場所に赴けたことは、何よりも被災者に喜ばれる結果となった。

現地NGOの活動

 そんな援助の不公平さを感じながらも、私を驚かせたのは、インド人による現地NGOの多さと被災者に対する彼らの献身的な活動の実態である。

 みなさんは、インドの人々に対し、どんなイメージを持っているだろうか? 偏見と言われたらそれまでなのだが、私にあるインドの人々というのは、カーストによる階級差別、物乞いなど…あまりいいイメージは持っていなかった。 ところがどんな小さな被災地でも、現地のNGOがそこにはいた。彼らは政府の援助がないにもかかわらず、自分達で物資を集め、被害に遭った人達に労力を惜しまず救済を続けているのだ。 レストランではそんな活動を行っている人達に無料で食事を配給している。この人達を通して、人間の暖かさ、強さ…あらためて、実感させられた。

今後の問題

 でも、被災の現実が現れるのはこれからだ。ある家族と話す機会があった。6歳の女の子を持つその母親がこう訴えた。「この子達は、地震があった日から、絶対家の中で寝ようとしないのです。 この子達にとっては初めての地震の経験でした。かなりショックが強かったようで、家の中では眠れないというの」これから徐々に地震のトラウマは大きくなっていく。子供達は特にその影響が強い。 本当なら今シーズンは、現金収入源である農作物の手入れをしなければいけないはずが、復興作業でまったく手が回らない。そうなると、この先の現金収入をも脅かすことになる。 彼らにはさらに精神的にも経済的にも試練が待っている。私たちに今後何ができるか。

 緊急救援に行きながら、さらに大きな問題を抱えて帰ってくることとなった。あの子供達が暖かい屋根の下で安心して眠れる日が一日でも早く来ることを祈りたい。




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