緊急救援活動

時間がない!
第2次チーム両備バススカイサービスサプライズ 大野耕四郎
AMDA Journal 2001年 4月号より掲載

 1月31日夜9時30分過ぎ、仕事帰りの私の携帯に見慣れない番号から電話が入る。「大野か?明日からインドに行ってくれ!」聞き慣れた部長の声。 「私で良ければ」と返事をしたのはいいが、部長は私の携帯番号を知っている筈がない。そう言えば明日AMDAがインドに救援機を飛ばすといっていたなあ。 インドはどんなところだろう。AMDAと言えば以前中国やサハリンにも救援機を飛ばしたことがあったが、どちらの時も医薬品を積み込む担当だったが、まさか自分がそれに乗って行くことになるなど夢にも思わなかった。 色々な事が頭をよぎって行く。聞くとAMDAが救援物資にショベルカーを2台入れるにあたって、それを操作できる者が要るため私が選ばれたらしい。明日一応パスポートと着替えを準備して出社する事になる。 その後もパスポートのコピーをFAXしろ、ビザ用の写真を撮って来てくれ等、何度も電話が入る。

 自宅に帰るとすぐ母親に「もしかすると明日からインドに行くかもしれない、明日帰らなかったら行っていると思ってくれ」と伝えると、すぐに着替えを準備し始めた。 私は私でビザ用の写真を撮りに走り、パスポートのコピーをFAX、さらにインターネットでインド大使館の住所や地図、インドの気候、注意点を検索、メールの返事も書かなければ…。

 時間がものすごいスピードで進んで行く!時計の針はもう2時を指そうとしている、明日は6時40分出社なのに…。熟睡できる筈も無く、4時半頃目覚める。ご飯が喉を通らない。 無理矢理詰め込み出社する。仕事の準備だけ済ませて、ショベルカーも各機で操作方法が多少異なる為一応点検する。

 東京のインド大使館でビザを取得しなければならない為、朝7時50分発のF652で上京、午後13時10分羽田発のF655で岡山に帰らなければならないので、時間は約4時間しかない。 モノレール車中で関係者と合流、地下鉄を乗り継ぎ、人込みの中インド大使館を目指す。大使館に到着するが問題発生!大学生の卒業旅行シーズンの為、ビザの申請に来ている人がとても多い。 AMDAの紹介状を持っているからと大使に面会を求めるが不在だと言われる。間に合うのだろうか?待つ事30分、大使が帰って来た。普通なら1週間掛かるビザを30分程で発行してくれる。 さすがAMDA、連絡がスムーズに行なわれている。

 ビザを受け取り、すぐ羽田空港に戻りチェックイン、出発までに食事を済ませるが、岡山からの電話で朝到着する筈の貨物機がまだ到着していない事を知る。大丈夫なのだろうか?

 14時半頃岡山空港に帰って来た。遅れていた貨物機も到着していて、ボランティアの方々が救援物資を積み込む準備をしていた。私もすぐに着替えて医療品の搭載を手伝いながら、暇を見ては出国手続きや、自分の手荷物の準備を進めた。 目の回る忙しさだったが18時過ぎに出発準備が終了した。休む暇なくミーティング、ここで初めて派遣されるAMDAのメンバーと顔を会わせる。医師、看護婦、調整員2名と私を含め5名が搭乗すると聞かされる。

 当初私にはショベルカー操作の技術指導の要請であったが、せっかくインドまで救援物資を持って行くのだから被災地に同行したいと小平調整員に申し出ると、快く許可を頂き、AMDAのメンバーと救援物資配給の行動を共にする事になる。

 皆さんに見送られながら3時間遅れの18時40分、薄暗くなった岡山空港をロシア機独特のフワッとした感覚でテイクオフ。貨物機のため窓もなく、外も見えないまま上昇を続ける。もう後戻りは出来なくなった。

 2時間半程飛んだろうか、エンジンの出力を絞って高度が下がり始めているのが判る。間も無くランディング。「確かバンコク経由と聞いていたのだが…」、ドアが開くとそこは一面の雪、しかも気温はマイナス20度、「ここはどこ?」「ハバロフスクだ」。 意外な返事が返ってくる。中国国内の飛行許可が下りない為ロシア回りでの飛行になったと言う。「全然聞いてない!」

 2時間程で給油を終え、雪の中をテイクオフ。次はノボシビルスクへ向かう。ノボシビルスクでは真夜中であっても誘導、給油、除雪などきちんとサポートしてくれる。昔のロシアでは考えられなかったことだ。 次の給油地はトルクメニスタンだ。スムーズなサポートのおかげで順調なフライトが続いている。この国はカスピ海の近くでインドより西になるそうだ。 朝5時頃トルクメニスタンのアシハバードが近づいて来た、コックピット下の航法士の窓からランディングを見せてもらう。真っ暗な中滑走路のライトだけが浮かび上がる、初めて見るランディング。 キャプテンはいつもこの様な景色を見ながら操縦しているのだろうな。

 1時間程経つとだんだん夜が明けてきた。正面に雪を被った山脈が横たわり、朝日が光ってとても綺麗だ。しかし2時間経っても、3時間経っても給油が出来ないらしい。 キャプテンと支社長が問い合わせをしているが埒が明かない。結局、給油が終わりアシハバード空港を離陸したのはお昼前になっていた。これからインドまではデイフライト。 ゆっくり航法士の窓から景色を眺めながら快適なフライト、そう言えば貨物室でも毛布に包まり、足を伸ばして寝る事が出来、旅客機より快適だった様な気がする。

 夕方インドのアーメダバードの街並みが眼下に広がり始める。上空から見る限りでは倒壊した建物などなく、平和な街に見える。エンジン出力を絞り、最後の右旋回、目の前に滑走路が見えて来てフワッとした独特のランディング。 日本から27時間の長い長いフライトだったが、目標に一歩近づいた安堵感と心地良い疲れで充実感が込み上げて来る。救援物資は翌朝降ろすことになり、先に入国審査を済ませ初めてのインドの街に一歩を踏み出した。 明日からどんなに大変なことになるかも知らずに…。

 最後に、思いがけず初めてボランティア活動(しかも海外での)に参加させていただき、現地の惨状を実際に見て、生の声を聞く事になり、海外での緊急救援活動の大変さ、 現地の受け皿の問題など抱えたままで実行することの大変さ、また数人のスタッフを派遣するだけでも何百人という人たちの協力があって初めて出来る事などを知りました。 ご協力頂いた方々に心からお礼を言いたいと思います。ありがとございました。




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