緊急救援活動

エルサルバドル震災緊急救援に参加して

ホンジュラス事務所駐在代表 前田あゆみ

●Santa Elena

 日干し煉瓦の家の崩壊が激しく、例え隣同士であっても地震に耐えたコンクリートブロックと煉瓦の家とは全く対照的であった。 壊した家もある。プラスチックシートの屋根の下、昼夜を過ごす一家、ベッドを道路に持ち出し寝泊まりする老婦人等、 集団避難所こそなかったものの多くの人が避難生活を強いられていた。ドクターLaiva自身もベッドを中庭に出して寝ていると、 半壊した自宅に案内してくれた。一部残った家屋も屋根がなく、結局取り壊すことになるのであろう。

 もう今日中の合流は無理かなと思ったところで第2陣がHUに到着。その晩は野線病院のような雰囲気(加川さん曰く)で、 ご飯とイワシの缶詰の夕食。その後、翌日の診療チーム分け、薬の分類を行う。 そして狭い待合室にマットレスを敷き詰めて缶詰のイワシ状態で寝る。早朝に着いたメンバーには非常にハードな一日であったと思う。

●巡回開始

 さて翌朝はSanta Elena組(ペルー、Kyraと加川さん)とOzatlan組に分かれて巡回診療。私はOzatlan組に参加した。 Ozatlan組の中でさらに二つに分かれ、1つ(日本、ボリビア)はOzatlan市内、もう1つ(アメリカ、カナダ)は田舎、La Joyaに行く。 私は農村の被災状況も見てみたいと思い後者に加わった。OzatlanHUから車で約20分。砂埃舞う農道を通りトウモロコシ畑、 サトウキビ畑をぬけ、家の点在する村に到着。崩壊こそしていなかったが、屋根瓦の全て落ちている家が目立った。 教会の前の広場で診療を開始した。我々は緊急用の医薬品しか持参しなかったため、ビタミン剤、鉄分、咳止めといった薬が全くない、 が、こういった薬が必要な人もいる。結局HUスタッフがユニットに引き返し薬品を揃えた。予震が長く続いた後、本震が来たため、 家屋から逃げ出す余裕があり、地震により負傷した人は少数であったとのことである。地震後、 瓦礫の清掃作業中に腰を痛め診療にやってきた人はいた。 HUからのドクターとKevinの二人で診療をしたのだが、なぜかKevinの方の列が長くなる傾向。みな外国人に診察されたいようだ。

 翌日からはペルー、Kyraのチームに加わり、英語しか解らないKyraと組んで薬局を受け持つようにした。 土曜はSanta Elena市内、日曜、月曜には農村へ。日曜に行った村では村の人たちが飛び入りで楽器演奏。 内戦を経験したエルサルバドルだから農民・労働者の歌が多いかと思ったら、ラブソングばかりだった。 和やかな雰囲気の中、突然脱水症状のぐったりとした子供が二人運び込まれ、一瞬で緊張した空気に変わった。 結局二人ともSanta ElenaHUに搬送され、そのうち一人はSan Pedro病院まで緊急搬送されたそうである。

 金曜日から月曜日まで4日間巡回診療を実施した。合計2,000名以上を診察。 ただ医療チームの到着は既に緊急治療を要する期間を過ぎており、慢性疾患、もしくは地震と全く関係のない病気の患者が多数であった。 それでも余震が恐くて夜なかなか寝つけない人など、地震後の精神的ショックから立ち直れていない人の数もかなりのもので、 そういった方たちには少しは貢献できたかなと思う。火曜日にはHU、病院への挨拶回りの後首都に移動、 水曜日にはそれぞれが帰国の途についた。12人の大所帯であったが一緒に働きやすいチームであった。同じAMDAファミリーだからだろうか。


AMDA多国籍医師団による巡回診療

●支援の難しさ

 Santa Teclaの被災者キャンプには援助物資が方々から集まっていた。友人のホンジュラス人は、ハリケーンミッチの際、 かなりの物資が被災者に届く手前で消えた教訓を踏まえ援助物資がきちんと受益者の手に渡るように、教会を通じて寄付を行っていた。 田舎を訪問していて感じた懸念の一つに、食糧援助は援助依存体質を生んでしまうのではないだろうかということがある。 さほど被害が大きくなく(家の壁に少しひびが入った程度)、一見食糧問題のなさそうな村落にも食糧援助が届いていた。 実際に震災後、食糧流通が滞っていたのであろうか。家の修復に出費するので、その穴埋めに食糧を援助するのはいいのだろうか。 色々考えさせられた。物資援助もいくつものルートがあり、果たして最も必要とされているところに、 最も必要とされているものが届いているかどうか非常に疑問を感じた。

 もう一点。私たちが滞在している期間、国をあげての最優先課題は家屋の再建、食糧確保であった(2回目の大地震後の現在も)。 その中で治療活動(それも地震とは直接関係のない疾患が大部分)にしか専念できない事にはもどかしさを感じた。 確かに緊急医療チームではあるが現地の状況に対してもう少しフレキシブルであってもいいかと思った。

●ボランティア組織

 緊急救援チームは災害発生後いかに早く派遣するかが重要であるという教訓を今回学んだので、 現在ホンジュラスでボランティアを組織することを試みている。他のAMDA支部のメンバーとの交流でも色々参考になることがあった。 何かあった時に敏速に行動がとれるよう、今後徐々にボランティア(医師、医学生等)のための緊急救命ワークショップを開いていこうとおぼろげながら構想している。 将来のAMDAホンジュラスを担ってくれる 人材が育ってくれれば本望である。

◆こぼれ話

5日ぶりにチワワ犬救出

 巡回からホテルに戻ると、消防士たちが犬とたわむれていた。少しおびえた様子のチワワ。 聞いてみるとホンジュラス消防隊が、がれきの中から救出したとのこと。

 名前は“Rescate”(Rescue)。ホンジュラスに連れて帰り今後隊のマスコットとしてかわいがるそうです。

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