緊急救援活動

エルサルバドル震災緊急救援に参加して

ホンジュラス事務所駐在代表 前田あゆみ
AMDA Journal 2001年 4月号より掲載

 死者704名、負傷者405名、崩壊家屋69,714戸(1月22日付けUNOCHA国連人道問題調整部リポート)。 エルサルバドルで新世紀早々、大惨事が起こった。1回目の大地震から丁度1ヶ月後の2月13日にはまたもやM6.6を超える大地震。 死者は約274名、負傷者2,432名以上。5月に始まる雨期の前に手を打たないと土砂崩れによる二次災害の可能性も高まる。 またテント張りのキャンプでは雨期は到底しのげない。例え簡易であれ避難民のために住居を確保するのは急務である。 度重なる余震に恐怖心を抱いてかなりの数のサルバドル人がホンジュラスへ避難している。

●地震発生

 1月13日土曜日午後12時半、1時から始まる日本大使館での新年会に出かける準備中、家まで迎えに来てくれた友人が“揺れてない?”と言った。 確かに窓がかたかた鳴っている。飛行機か風のせいじゃないかと思ったら、急にめまいを感じた。地震だ。 20ヶ月目のホンジュラス滞在中、揺れを感じたのは初めてであった。 同日夜、JICA事務所では隊員の安全確認作業をしていること、隣国エルサルバドルでは大量の死傷者が出ていることを知った。 翌日曜日にはAMDA本部からすぐにエルサルバドル入りできるかどうかの打診があった。 ホンジュラス事務所での仕事は山ほどあるが、緊急を要するのはもちろんエルサルバドルである。 月曜日にローカルスタッフに仕事の引き継ぎをして、火曜日には現地入りした。

●現地到着

 テグシガルパからサンサルバドルまで飛行機で30分。一旦は封鎖された空港も、既に月曜日から平常に機能している。 タクシーのおじさんが道路脇の崖崩れを教えてくれる。おまけに観光名所まで色々紹介してくれる。 早速気さくな国民性が感じられた。

 空港から市内までタクシーで40分程度。市内は地震などなかったかのように、平然としていた。 予約を入れてあったホテルに直行したら、空室がないとのこと。各国からの救援隊でごったがえしており、 スペインの医療チームは会議室で寝泊まりしていた。バウチャーを見せても全く埒があかず、結局別のホテルに行く。

●情報収集

 翌日午前中に、COEN(Comite de Emergencia Nacional 国家非常事態委員会)と、 AMDAペルー支部がコンタクトをとったカウンターパートCEPRODE(Centro de Proteccion para Desastres)を訪問。 AMDA緊急救援チームがどこで医療活動するべきか情報収集を行った。COEN内で医療関係の調整を行っている保健省のドクターに、 既に医療活動を開始している他の救援グループと重ならないように、Usultan県のSanta Elena市、Ozatlan市に行くように指示を受ける。 Usultanは震源地に近く、最も被害の大きかった県である。COENが調整組織であるのでCOENの指示に従えばいいと思っていたが、 政治力が全てを大きく左右するエルサルバドルのような国では、有力な政治家がいるところが優先されて、 政敵の出身地は後回しにされるということがあるらしく、CEPRODEには別の場所を紹介された。 が、こんな状況で判断もできず、結局COENの指示に従うことにする。

●被災地訪問

 午後にはペルーチーム(Dr.Yoshi、Dr.Milagros)到着§CEPRODEのスタッフと共にSanta Tecla市Cafetalon避難所を訪問した。 土砂崩れのために数100もの家屋が埋没し、500名以上が死亡した La Colinaのすぐ近くである。 そこでは地区の一角のサッカー場で7,000名がテント生活を営んでおり、クリニック用のテントでは赤十字、 国境なき医師団等が既に活動していた。暑いのでテントは常に開放してありプライバシーもなく、簡易トイレの数も少なく、 大変な生活をしているなというのが率直な感想。被災者の一人がスピーカーをもって神の教えを説いていた。

●家の外で寝る人々

 私が到着したのは地震発生後4日。その間になんと2,000回もの余震があったそうである。 特に被害の大きかった地域では落ち着いて家の中で寝ていられず、家の外にベッドを出して寝ている人が多い。 Santa Teclaで訪れた学校の宿直の先生は芝生にテントを張って寝泊まりしていた。

●AMMM(AMDA多国籍医師団)メンバー到着

 Monique(アメリカ人医学生・カナダ)とKyra(看護婦・カナダ)が水曜夜10時半頃到着。 木曜早朝にはKevin(医師・カナダ)、日本チーム(比屋根医師、俣崎看護婦、加川調整員)、 少し遅れてボリビアチーム(Walter医師、Marlene看護婦)が到着。 ホンジュラスからAMDAカーを運転して陸路でエルサルバドル入りするホンジュラス事務所のEmersonを除いて全員揃ったところで、 今後の予定についてミーティングを行った。AMDAカー到着後に活動予定地Usultanに向かうことに。

 ホンジュラスからの車両を待つが到着予定の12時を2時間過ぎても現れない (後で聞いたら国境での検問の際、医薬品の箱を一つ一つチェックされ3時間かかったとのこと)。 結局第一陣がUsultanに向け出発、第二陣(日本、ボリビア)はAMDAカーを待つことになった。

AMDA配給車には人々の行列が絶えない

●Usultanへ移動

 私は第一陣としてUsultanへ向かい、まずは電話で連絡をしてあった県レベルで医療関連支援の調整を行っているSan Pedro病院(県病院)の院長(ドクターLacayo)を訪問した。 この病院も地震による被害を受けており、入り口近くの芝生にテントの診療所と入院施設を設けていた。 夕方にはUsultan市内のホテルで第2陣と合流する予定であったが、 「AMMMの12人を2チームに分け、1チームにはSanta Elena市、もう1チームにはOzatlan市に行ってもらう。今すぐに。マットレスが足りなかったらここから運ぶ。」といわれる。 既に夕方5時近く。「泊まるところは?」「ヘルスユニット(HU)があるから。」ドクターLacayoの熱意にこたえなければと思い、 Usultan市内宿泊・合流計画をあきらめ、とりあえずSanta ElenaのHUに向かった。到着後早速ユニット長のドクターLaivaに周囲を案内してもらう。

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