緊急救援活動

カンボジア メコン河大水害緊急救援速報
7月よりメコン河流域に降り続いた集中豪雨による被災者救援のため、
AMDAは多国籍緊急医療チームを9月28日にカンボジアへ派遣しました。
以下、現地から届いた速報です。


緊急救援医療チーム
AMDA Journal 2000年 11月号より掲載

■9月28日

 日本より上田明彦医師が、AMDAミャンマーより山本より子看護婦・大森佳世調整員がバンコクにて、 合流。



■9月29日

 プノンペンに到着。AMDAカンボジア支部代表で今回の緊急救援リーダーであるSieng Rithy 医師 他11名のカンボジアチーム (Chun Lyhort 医師、Cheav Bunnarith 医師、Long Viseth 医師、Chea Kim Long 医師、Ben Pov Kannitha薬剤師、 Srou Dany 看護婦、Chhim Thavy 看護婦、Ou Kim Seng 看護婦、 Chea Soaraロジスティック・オフィサー、 Moeung Sambo 運転手、Pech Neangアシスタント)そしてカナダからのWilliam Grut医師と合流。

 ミャンマーで調達した薬品・医療器材を提供、現地の状況説明を受ける。
 食料不足、コレラ・デング熱などの感染病が懸念され、9月20日の時点でカンボジア国 内で被害状況がひどい地域は、 Kandal県(死者41名、約42万7800人に被害、6万9500人 が避難)、Prey Veng 県(死者26名、約41万7500人に被害、1万6400人が避難)、 Kampong Cham県(死者44名、約27万5300人に被害)などであったとのこと。

 協議の上、AMDA緊急救援医療チームは10月2日〜4日までプノンペン事務所を拠点に Kandal(カンダール)県で、 5日〜9日まではPrey Veng のホテルを拠点にPrey Veng(プレイベン) 県でボートによる巡回診療等の医療活動を展開することとした。 同時に、2日から始 まる巡回診療を被災者に広報したり、診療のための最終準備を行った。

メコン河流域のダル村出身のファルフンさん(31)は20日ほど前に家が浸水し、夫と5 人の子どもと共に国道5号沿いに避難してきた。 国道をはさんで両側が浸水しており、か ろうじて堤防の役割を果たしている国道と、あたりよりやや高い場所に建立されているパゴダだけが、 唯一生活できる場所となっている。

片側1車線の道路の路肩には1〜2メートル四方の竹の骨組みに粗末なビニールシートを掛けただけの小さな仮の住居がズラリと並び、 その一角にファルフンさんの家族7人も住んでいる。人間だけでなく、牛や豚などの 家畜も水のないところへと避難してくるので、非常に混雑した状態である。

人々の疲労は極 限に達している。ファルフンさんは胃の痛みが治まらず、下の子どもは下痢と嘔吐が止まらない。 学校は7月から閉鎖されたままである。政府から配給された3キログラムの米は、 あっという間になくなってしまった。 「家も何もかも失ってしまい、これまでの人生でもこんな水害は初めて。これからどうやって生きていけばいいのか…」と不安な日々は続く。 そんなファルフンさんは医療チームが訪れるというニュースに頬を緩ませ歓迎してくれた。



■10月2日

 70年ぶりの大洪水に見舞われたメコン河流域のカンボジアでは、被害状況の最も深刻なプレイベン 県に通じる国道1号線が遮断されたままであり、 各地域の被災者は国道1、5、6 号沿い、並びにその地域にある寺院へと避難している。不衛生な環境下、飲み水の不足な どにより、 被災者には下痢、上気道炎、中耳炎、疥癬などの皮膚病、目の病気、蛇毒など のけがの他、心的障害も多く見られた。

 一帯を管轄するカンダール県ポグリュリュ地区の保 健担当官の情報に基づき診療場所を決定。 午前中は孤立してしまったタプリム村へライフジャケットを纏ってボートで向かう。村の土地のほとんどは水面下となり、 かろうじて残った土地にも犇めき合うように牛や豚がいた。

高床の家に残った村人が診察を受けるためにボートで集まってくる。診療できる土地もないため、ボートの上で診療を行うこととなった。 薬を受け取った村人はまたボートで戻っていった。午後は国道沿いの避難民を対象に寺院の庭を借りて診療。患者数は1日で261名となった。



■10月3日

 プノンペンから国道6号線を北へ約28キロメートル。カンダール県モクカンポール地区にあるプレクダムバンヘルスセンターにて診療。 国道に沿って生活する避難民の診療にあたった今日の患者数は429名とな った。主な疾患は昨日同様、上気道炎、下痢、皮膚炎で、 避難生活が長引いている様子がひしひしと伝わっ てくる。



■10月4日

 国道1号線はカンボジアの首都プノンペンから東南東の方向にベトナムの首都ホーチミンまで通じている。カ ンボジア陸上交通の動脈である。幹線道路であると同時に、洪水の広がりをくい止める堤防の働きも あった国道が、 この度の洪水によって寸断されてしまった。

 プノンペンからサムロングトム村までは国道1号線を走ってたどり着けるが、道路はその先で突然途切れて、 茶褐色の流れに変わる。サムロングトム村では毎日の生活をこの洪水の水に頼るしかなく、患者の半数は下痢を訴えていた。 患者数298名。
 明日5日からはボートでこの先のプレイベンに渡り、9日まで診療を行う予定。  滞在先は未定。通信事情も不明。



■10月5日

 早朝プノンペンを出発、文字どおり「陸の孤島」と なってしまったプレイベン県へ。 今日からはプレイベンをベースに孤立した村々へのボートでの巡回診療を 開始する。 アンロングトレ村では家と家の隙間にボートを寄せての診療となった。午後の数時間で341名の診療を行ったが、 症状は呼吸器感染症や下痢に加えて孤立した生活を余儀なくさせられたことへのストレスによる不眠などの精神的疾患が目立った。 ある患者は「洪水になってから、まだこの村には医者が来てくれ たことはなかった。ありがとう。ありがとう。」と言ってボートで帰っていった。



■10月6日

 ボートの船首にAMDAの旗を付けて今日も出発。岸から離れてしばらくすると風景は見渡す限りの茶色い水面と所々に頭を出す木々と青い空だけになる。 目指すはボートで2時間のクンプールリューゼイコ ミューン。6つの村からなるこのコミューンはプレイベン県の中でも被害が大きく、 ボートでの便も悪く、 救援が遅れている地域の一つである。ボートを接岸した場所は10メートル程の狭い土地だったが、 またたく間に患者が小舟で集ってきた。患者数は387名。村人の多くは農業で生計をたてているが田畑はすべて水 に沈んでしまい、収穫は絶望的である。



■10月7日

 朝から雨模様でボートの揺れも大きい。1時間30分かけてピームミーネハイコ ミューンに到着。 メコン河沿いのこのコミューンは洪水の規模が拡大する以前から 被害に遭っており、すでに3ヶ月間も水上の生活が続いている。 長期にわたる衛生状 態・食生活の悪さのため皮膚疾患が目立った。  毎日夕方になると風が強くなり波が立つので、ボートでの巡回診療は早朝に出発し、夕方にはプレイベンに到着するようにしている。



■10月8日

 昨日同様波が高く、ボートの揺れで体調を崩すスタッフも出てくる。 診療場所も十分なスペースが取れず薬局部分は船上となるため特に薬担当のスタッフは負担が大きい。

 今日訪れたバクドク村は320家族が3ヶ月間、高床の家での水上生活を続けている。毎日の食事は蓄えていた米と水辺の草や睡蓮の茎などしかなく、 量も限られている。屎尿はそのまま水に流し、沐浴や飲料水もまた同じ洪水の水を使うほかなく、皮膚疾患、寄生虫、下痢などは当然多くなる。

女性では婦人病の症状を訴える人も多い。 教育あるいは経済上の問題から煮沸することなく飲んでしまう人が多く、指導の必要を痛感した。 今日の366名の診療をもって巡回診療を終了。



■10月9日

   プノンペン事務所にて残務整理。



■10月10日

早朝、帰国。新たな医療活動の場を設けるべく、工場跡地を利用した2,000人以上の難民が生活するキャンプや首都近郊の総合病院を訪れたが、 日本に発つ日が来てモザンビークでのその後のAMDAの活動に関わることなく現地を離れることに思いを残した。 同時に、ひきつづき現地に留まる調整員の二人と、まだ見ぬザンビアチームの活躍を期待しつつ首都マピューティを後にすることとなった。



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