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モザンビーク大洪水 緊急救援活動報告
第2次派遣(ザンビア)チーム
AMDAインターナショナルザンビア
Vikandy S.Mambo
翻訳 中村 静
AMDA Journal 2000年 7月号より掲載
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モザンビークにおける大洪水発生後、AMDAは緊急救援活動開始を決定し、第1次医療チームを日本から派遣した。
同チームは3月20日から4月5日まで活動を実施した)。
そして第1次チームの活動を引き継ぐべく、 AMDA多国籍医師団として第2次チームを結成する任務を得た私は、
AMDAザン ビア代表であるDr.Jonathan Munkombwe の協力のもと第2次医療チームのために医師1名、
看護婦1名を招集した。私自身は調整員として航空券及び査証取得を含む全ての交通手配を行った。
ザンビアと モザンビークは隣国であるにも関わらず、ザンビアのLusakaからモザンビークのMaputoまでの直行便はなく、
Lusakaから出発する場合、一旦、南アフリカのJohannesburgに飛び、そこからMaputoに向かわなければならない。
私たちチー ムはJohannesburgに向けてLusakaを4月2日に出発した。
同日Maputo行きのフライトがキャンセルされたため私たちはJohannesburgで一晩過ごすこととなっ た。
Maputoに4月3日午前9時25分に到着。第1次チームの調整員である菊池さんが私たちを空港まで出迎えてくれた。
Hoyo-hoyo ホテルにチェックインした後すぐにマトラヘルスセンターに向かった。
この マトラヘルスセンターは雨森・桂田両医師が活動していたヘルスセンターである。
同ヘルスセンターの責任者であるDr.Vascoは私たちを歓迎してくれ、この地域のヘルスディレクターであるDr.Maria Jesusは引き続きマトラヘルスセンターで活動する許可を出してくれた。
さらに私たちは救援活動の責任者であるMr.Chivaleより正式な許可を得るために 保健省を訪れた。
彼は私たちを歓迎し、AMDAがモザンビーク、特にマトラヘル スセンターで救援活動を行うことを大変好意的に受け止めてくれた。
モザンビークは旧ポルトガル領地であり、一般的に話される言葉はポルトガル語である。
英語を話せる人はほとんどいない。私はチームメンバー(ムワレ医師・ チクンビ看護婦)の活動を円滑に進めるために現地の通訳を二人雇った。
4月4日、私たちはマトラヘルスセンタ ーで医療活動を開始した。
責任者のDr.Vascoは私たちを案内しながら同ヘルスセンターのスタッフに紹介してくれた。
同日午後、菊 池調整員は引継ぎを済ませて日本に帰国した。
マトラヘルスセンターは外来として内科、小児科、産科、歯科があり、
さらに 検査室と妊産婦用の入院設備を有する24時間体制の大規模なクリニックである。
外来は休息なしで7時半から15時まで連続で診療しており、私たちもそれに従った。
患者の症状としては洪水によると思われるマラリアが多かったものの、
その他はザンビアと同様なケースであった。ムワレ医師は産科に割り当てられ妊産婦の診察にあたった。
また土曜・休日には小児患者及び一般患者の診察を 行った。チクンビ看護婦は治療室に割り当てられ、
注射や外科系患者の治療にあ たったり、患者の着替えの手伝いなどを行った。時間のあるときには診療室でムワレ医師を補助した。
二人はコレラ患者の診察にも1例ではあるが関わった。患者は中年男性で、運び込まれた時、
脱水症状がひどく重症であったため、同時に2本 の点滴を施すなど処置を試みた。
しかしマトラヘルスセ ンターにはコレラ患者の受入れ体制がなかったため別病院へ搬送された。
4月11日の救援活動最終日までにムワレ医師は114人の患者を、チクンビ看護婦は172人の患者をそれぞれ診察及び治療した。
AMDA第2次チームは 延べ286人の患者を診察したことになる。
私たちはマトラヘルスセンターを発つ前にセンタースタッフ全員に挨拶し、彼らと写真を撮りあった。
Dr.Vascoは私たちの活動に感謝するとともに、滞 在期間を半年ほど延ばせないものかと打診してきた。
ヘルスディレクターのDr.Maria Jesusもまた私たちの活動に敬意を払ってくれた。
最後に救援活動の責任者であるMr.Chivaleに会うために保健省に行った。
彼もまた私たちの活動に感謝するとともに滞在延期を願った。また彼は私たちが活動するうえでの問題点の提示を求めたので、
私たちが直面した問題は言語だけ であったが現地の通訳を雇うことで解決できたと伝えた。
関係者への挨拶を終え、4月12日早朝Maputoを出発し、同日午後Lusakaに到着した。
◆ 第1次派遣(日本)チーム 報告 ◆
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