緊急救援活動

モザンビーク大洪水緊急救援活動報告
(2000年3月19日〜3月29日)

東京女子医科大学附属第二病院救命センター  医師 雨森 明
AMDA Journal 2000年 5月号より掲載

第1次派遣(日本)チーム
調整員   菊池 壽晴

 活動は何でもやってみないと可能性は分からない。今ある条件の中でやってみる。 モザンビークの緊急救援活動の最中に何度かこの言葉を思い出した。

私がAMDAの活動に参加した理由の一つは、NGOの活動を本などからの知識と してではなく、 実際に現場での活動を通して体験してみたかったからである。実 は今まで青年海外協力隊として、 そしてその調整員として活動してきたが、政府系の団体とNGOとの活動に何か違いがあるのだろうかと考えていた。 その解決の手掛かりになる機会は意外に早く、私がエチオピアの協力隊調整員を終えて帰国してすぐ訪れた。

 3月20日に日本から医師2名と共に現地入りし、同日、ケニアからもう1名の調 整員が合流した。 初日はとりあえず今回の洪水対策全般を担当している外務省と 話し合いをすることから始まった。

 2日目と3日目は保健省の関係者と活動場所の選定を行った。当初は最大の避難 民キャンプ地であるガザ州マシアでの活動も考えたが、 同キャンプ地では既に多 くの救援団体が活動しており、移動も困難であることから、 首都マプート(Maputo)にあるヘルスセンターや隣町の避難民キャンプを活動の場所として選定した。 また以前AMDAが建設した病院3ヵ所もあったのだが、洪水の被害を受け たりしていたため、これらの病院での活動は諦めざるをえなかった。

 現地入り4日目から通訳2 名を同行のうえ、マトラヘルスセンターでの診療活動を開始した。 当初は関係者から指摘され た言葉の問題を心配したが、センスある通訳を雇うことができたため、 思ったよりスムーズに活動することができた。ただ、日本の医師は、マラリアなどについての熱帯医学の知識はあっても、 実際患者の診療にあたった経験が不足している ため、治療の判断が困難な場合もあったように思う。  翌日からは避難民キャンプとヘルスセンターの2ヵ所に分かれて診療活動を継 続し、27日に4日半の活動を無事終了した。

 4月3日にはザンビアチームが到着し、ヘルスセンターでの活動を引き継ぎ、4月 5日に帰国した。

 私たちが首都マプートに入った時は、青空が広がり、街にも活気があり、 一見しただけでは洪水の被害にあったことを忘れてしまいそうに思えた。しかし離陸していく救援用の飛行機やヘリコプタ−、 土砂崩れの跡、少し雨が降っただけで濁流が駆け巡る現実などを見ていくうちに、被害の深刻さがわかってきた。

 避難民キャンプの中心となっているのが、首都マプートから約130Km北に位置 しているガザ州マシア及びその周辺であった。 私たちがモザンビークに到着した 時は、マシアまでの道路の一部が流失し、陸路でのアクセスは困難であった。 しかしその後の応急措置で仮道路が作られ通行が可能となった。 また、もとAMDAモ ザンビークのスタッフであった人が四輪駆動車を手配してくれたので、 同地区を 訪れることができた。途中、今回の洪水で氾濫した川の一つであるインコマティ ー川の側を通ったが、路肩は大きくえぐられ、 橋の欄干はなぎ倒された様子を見 て、洪水の破壊力をまざまざと感じさせられた。

 マシアの避難民キャンプは、モザンビーク政府及び海外からの緊急救援団体が協力しあって、 キャンプの運営管理が整然と行われているというのが第一印象だ った。同キャンプには班ごとにまとめ役がおり、 彼らが避難民の希望や苦情等を 聞きながら、キャンプの運営を行っていた。また量的には十分でないと思うが、 毎日給水車による給水と食料援助が行われており、飲料水と最低限の食事の確保は できているようであった。 確かにキャンプ内では不自由な生活を強いられている ものの、多くの避難民から普通の生活に戻ろうとするエネルギーを感じ取ることができた。 同じようなことは、首都 マプートにあるキャンプ地でも感じることができた。

 AMDAの調整員としては初めての仕事であったが、調整員という仕事は、相手 国政府との交渉、 各種アレンジなど多岐に渡っており、大変やりがいがある仕事であった。

 例えば日本を発つ前の話では、今回はAMDAが現地で救援活動するための準備は、相手政府側がある程度整えており、 調整員の仕事は医師2名をモザンビークまで無事送り届けるぐらいで、心配することはあまりないということであった。 もちろん少ないながらも途上国で仕事をした経験のある私としては、これを100%信 用していたわけではないが、 何かしらの準備はあるのではないかという小さな期 待を持っていた。しかし空港の出迎えはもとより、 最初に連絡をとるべき人、活 動場所等すべてが未定のまま、私たちの初日は始まった。洪水の救援活動で多忙 であるモザンビーク政府が、 日本の一NGOだけに特別な配慮をするのは困難である。モザンビーク政府としては救援活動は大歓迎するが、 宿泊先の確保や移動 手段の準備などは自分たちで用意して欲しいというのが基本方針であった。これが本来の姿であり、 特に驚くことではない。このような状況から診療活動が順調 に進むまでの環境を作るのが調整員としての仕事である。 また、だからこそ、調 整員という仕事に魅力があるのだと思う。

 ただ、目の前にある問題を認識し理解すること、またそれを自分の中に重ね合 わせて考える創造力、 洞察力が必要なことなど多くの面で自分自身に課題を残した。

 今回の活動で幸運だったのは、空港で最初に利用したタクシー運転手であった。 彼は英語ができるうえに行動力もあった。 彼のお陰で外務省や保健省にも何とかた どり着けたというのが正直な話である。

 調整員の中には、何でもすべて一人でこなしてしまう、言わばスーパー調整員のような人もいる。 しかし私自身は現地の人の協力を得てこそ、物事はスムーズ に進むと考えている。 つまり一方的なものではなく、共に考え、共 に進むことが大切であると思っている。

 これは政府系の団体でもNGOでも共通することで、大差はないのではないかと今回の活動を通じて思えてきた。 新たな医療活動の場を設けるべく、工場跡地を利用した2,000人以上の難民が生活するキャンプや首都近郊の総合病院を訪れたが、 日本に発つ日が来てモザンビークでのその後のAMDAの活動に関わることなく現地を離れることに思いを残した。 同時に、ひきつづき現地に留まる調整員の二人と、まだ見ぬザンビアチームの活躍を期待しつつ首都マピューティを後にすることとなった。



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