ジブチ

AMDAジブチ活動報告

AMDAジブチプロジェクト事務所
駐在代表 鈴木やよい
AMDA Journal 2002年 8月号より掲載

AMDAアフリカプロジェクトの端緒を開いたジブチプロジェクトは、多くの参加者に支えられ1993年以来継続されている。ジブチの人々はソマリア、アファール、エチオピア、アラブそして1977年までジブチを統治していたフランスという多様な文化の混淆をそのまま生きている。 豊かさと貧しさ、おおらかさと頑固さの渦巻くジブチは隣国であるソマリア、エチオピア、エリトリアの内戦、戦争の波に浮かぶ不思議な村を形成しており、昔、NHKの人形劇であったヒョッコリひょうたん島を思い出させる側面がある。 AMDAはこのアフリカ大陸の中の小島が受ける波を右へ左へとかわしながらジブチでも非常に稀な長命をほこる国際NGOとしてのプロジェクトを継続しているのだ。

UNHCRと現地政府機関とともにソマリア、エチオピア難民を対象とした難民キャンプにおける医療プロジェクトはその姿を3キャンプから現在の2キャンプ(ホルホル、アリアデ、キャンプ)へ、そして本年度、来年度はさらなるソマリア北部(ソマリランド)への帰還プロジェクトが予定されており、その姿を消す段階に入っている。 ソマリア南部、中部の情勢は未だに不安定であるのだけれど国連難民高等弁務官事務所を筆頭に国連におけるアフリカ、特にソマリアのプロジェクトは資金が集まらず縮小を余儀なくされている。大きな機関が苦しいという事はNGO/NPOであるAMDAのプロジェクトも資金面では非常に苦労している。

難民キャンプの医療は周辺住民以上のケアを与える事はなく、基本的に難民自身の健康管理を補助するという原則があり、その上で構成されたプロジェクトをAMDAジブチはその時代のモードに沿って行ってきた。

2002年に入ってから代表としてジブチプロジェクトに着手した私は、AMDAジブチの10年以上の歴史を語る何物ももっておらず、おこがましいような気もするのだが、このアフリカの特集という機会を得て、是非アピールしたい事がある。

ツワモノのプロのコーディネーターや人道援助の専門家を称する人々からあっさりと切り捨てられる弱者は老人、身体障害者であることが多い。 予算の都合でお金のかかる国外での手術等の道は塞がれているし、ジブチ国内でもお金さえあれば手術や治療ができるが、難民患者に対してはそうした事ができず、移送したジブチ市内の病院から難民キャンプに返す例が多い。 深い皺に覆われた老婆が舌癌で手術を必要としているがそうした経費の予備は国連側にもAMDA側にもなく、子どもを引き連れ戦乱を生き抜いてきた女の一生の終局を見殺しにする事が悲しく、キャンプに帰っていく後姿を見ながら泣く私は実にプロでなく、同時に専門家でない感情を失うまい、とも思っている。 現在のホルホル、アリアデ難民キャンプにおける保護を必要とする弱者、身体障害者、老人のリストをAMDAジブチは作成している。以下に記すのは本年前半に已む無くキャンプに帰した、あるいは現在も市内の病院から難民キャンプクリニックにおける最低限の治療、モニターに移行しつつある例である。

  1. ソマリア人62歳のアワレハ婦人は舌癌であると首都の病院で診断されたが、そのジブチにおける治療費概算は約8500ドルと推定され、UNHCR、AMDAともにまったく目途がたたずホルホル難民キャンプに帰された。


  2. 現在30歳の男性、Azenake Zcyedeは、ジブチでは不可能な左眼の網膜剥離の手術を必要としているが、ジブチ国外での医療目的の渡航費はUNHCRでは用意されておらず、渡航、手術費を含めた経費の目途がたたぬまま視力を完全に失う日がまもなくやってくる、と首都のペルティエ病院仏人モント医師はAMDAジブチに伝えてきたのは本年の4月であった。


  3. 難民キャンプからジブチ市に向かう列車から飛び降り損ねて片手、片足を切断され生き延びたカデル少年(12歳)は、命を取り留めただけでなく、順調な回復を示し、2ヶ月後である現在、難民キャンプに帰される予定となっているが、AMDAジブチ、UNHCRともに車椅子の調達ができずにいる。 現地の会社からの寄付を通しての車椅子調達をAMDAジブチが試みているが、義足、義手を含め成長期である少年に適した訓練を首都およびキャンプクリニックで行いたいが、そうした木目の細かいサポートができるレベルにジブチの医療事情や援助は達しておらず、現時点では個人、団体の寄付などに頼る個別の対応を必要としている。

総数2万4千人以上の難民コミュニティーであれば、あって当然、お涙頂戴ではないか、と言ってしまうのはた易い。人は肉感でもって生きており、その苦痛や終局を歴史の側から支配され、切り捨てられ費えていく。 切り捨てられる側も悲しいが、そうした状況をモニターし続けるAMDA難民キャンプクリニック医師達の心中を思うと、勇ましく、強くある医師が支えている意味の多さを感じる。上記3例はほんの一部であり、基本的に援助対象外とされるケースであるが、AMDAジブチでは何とか、こうした状況への対処を目的とした基金ができないだろうか、と模索している。 大体、予定されている帰還後にソマリア(ソマリランド)で受けられる医療を考えると、やはりジブチにおける援助が受けられる期間にできる事はするべきであろう、と思う。

AMDAジブチプロジェクト

1. ポールフォール結核病院下水工事改修プロジェクト(ジブチ糞尿歎、技術編)

首都ジブチにある結核病院はペルティエ病院から結核病院として派生した歴史をもつ。ベッド数220、外来患者1日約200前後とされているが、ジブチ国民だけでなく、60%近くはアフリカ近隣諸国の難民、国民に利用されている。本年2月に日本外務省の草の根無償資金を頂きAMDAジブチのプロジェクトとして成立し、着手は4月初頭であった。 4月一杯はこの病院が糞尿タンクの上に建っていたのだ、という認識を新たにした日々であった。約10年程前にフランス協力隊等によって幾度か手を加えられていた事が、地下の下水構造を洗い直すうちにわかってきた。 明確な資料もなく、施設されている下水を掘り起こし清掃する事を予定していたが、パイプは糞尿で固まったまま寸断されており、予想を越える巨大な桶の数々が埋設されている事が次第にわかってきた。

標高0度に等しいジブチ市は囲まれている紅海の波とともにあり、これまでこの病院の下水に関った人々もその構造を取り込んでいた。パイプ、桶、フィルターというつながりに、さらに加えて一見用無しのように思えるマンホールがあり、海から逆流してくる水を計算にいれバランスをとる構造になっている。 ジブチ市一般に下水を処理して排水する構造をもっておらず、市が関連した一部のみがその構造をもっている。つまり一般家庭を含め糞尿をただ埋蔵し、地下に浸透する形でのフィルター構造を基本としている。あー、だから町中が何となく糞尿臭いのだ。山羊やロバのせいだけではなかったのだ! と納得。 10年近く破壊されたまま埋設された病院下水施設の清掃、撤去は契約業者の労働者達の勇敢で迅速な動きによって2週間程の集中した作業として行われた。ジブチの労働者はエライ! と本当に感謝。

さて、まったく傾斜が無いに等しい場所での細かな構造作りは喧喧諤諤のトポグラフィーから割り出し、当初、病院入り口を避け、建物の裏にパイプ等を施設など、スマートな出来上がりを予定していたが、まったくそれが不可能である事がわかり、病院正門前の部分を横断し、かつ不要で巨大な桶の幾つかを埋め、といったシナリオに変更せざるを得ず、 こんな筈ではなかった! と所詮素人の私の愚痴は、専門家としてAMDA技術顧問を務めた下水の専門家に簡単にいなされてしまった。この間に最初は日本やジブチ保健省のお偉方が勝手に始めた計画だ、という反応をしていた同病院の主なスタッフ達は糞尿まみれで格闘する建築業者や毎週開いたAMDA技術ミーティングに動かされ、次第に将来の構想を含め参加を始めた。 権力と力だけが物を言う社会では考えられない有り方、討議議論を通して企画の実現を計るやり方がこのプロジェクトで特異な内容としてあり、その反応は意外性として受け止められ、現在もその進行が関係者の中で計られている。 成功か否かの判断は時間のみが語れる事であると思うが、第一期工事と銘打ち、次の病院トイレ改修と水の供給設備の充実(というより設置)を第二期工事としてAMDAジブチは行いたいと思っている。日本政府からの資金が得られるよう現在も要請しており、日本外務省の方々の理解や協力を頂ける事を希望してやまない。 まだトイレの改修をしていない段階でも(つまりトイレは惨状のまま)何故かあの鼻をつく臭いは減り、病院職員からAMDAの仕事は私達を勇気付ける、という言葉を受けた時は本当に嬉しく、約半日ニコニコ顔で過ごした。

病院施設の改修や経営への着手は第三期、第四期のプロジェクトとしてAMDAジブチは計画を立てているがジブチ保健省が自力でできる部分をなるべく優先して頂き、あくまで補佐する姿勢を保ちつつAMDAジブチとしての研鑚を積んで行きたいと願っている。なお、4月10日に開始したこのプロジェクトの第一期工事は6月10日に現場に於ける全作業を終了した。 関係者およびAMDAの皆様に御礼申し上げます。

2. ホルホル、アリアデ難民キャンプにおける家庭用トイレ建築プロジェクト

AMDAジブチの難民キャンプCommunity Healthチームはソマリア難民医療スタッフで構成されており、難民社会に深く浸透できるだけの経験を持っている。UNHCRの協力を得て、2002年前半期に各20基、計40基のトイレを建設した。難民自身が穴を掘り、石を運び、積み上げ、数世帯が利用し、管理するトイレの建設をAMDAジブチは企画、実行した。 AMDAからはトイレの基底部や石壁の補強部分などの素材(セメントや鉄骨)の購入と技術指導を提供し、実施以前と以後をモニターし、下痢の発生との関連をAMDAチームが訪問、調査、記録している。 お金が掛かるスレート等を利用した公衆トイレを汚せるだけ汚す人々が、自分のCommunityのためのトイレ(これを称してFamily Toiletと言う)は建築、その利用ともに別人のようなみごとな仕事及びきれいな使い方をする。 遊牧民とトイレに関しては多くの意見と認識を持たれている方がおられると思うが、ジブチの難民キャンプにおける参加型のトイレ建設は40件中36件は順調な経過を示した。今回はその調査結果を記載する時期としては早すぎるため、再び糞尿歎を書ける時機に報告させて頂きたいと思う。




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