ジブチ

ジブチ インターン報告

平松 利佳
AMDA Journal 2001年 7月号より掲載

 3月27日から4月27日までの1ヶ月間,ジブチでインターンとして研修を行わせていただいたのでその報告を致したいと思います。


【ジブチについて】

 私自身、AMDAから打診されるまで知らなかった国ですので、少しジブチについて述べたいと思います。

 ジブチは東アフリカに位置し、面積は四国の1.2倍と、とても小さい国です。1977年までフランスの統治下にあったため独自の文化がなく、いまなおフランスの影響を受けたものが多く見受けられました。物価に関してはほとんどのものがフランスから輸入されているため、パリ並みあるいはそれ以上であり(ex.トイレットペーパー1ロール90円)、JOCV(青年海外協力隊)の方の話では、JOCVの派遣国の中で2番目にお給料が高い国だそうです。気候は私が滞在した4月は日本の夏のようでしたが、夏は40〜50℃になると聞きました。日中はとても暑くなるため、仕事は朝の7〜8時ごろから始まり12〜14時に終わるというところが多く、昼寝して、涼しくなる夕方から再び出かけるという生活習慣でした。宗教は国民のほとんどがイスラム教のため、朝はコーランが流れ、人々の祈る姿もよく目にしました。貧富の差が激しく、フランス人をはじめ外国人が多く住む高級住宅地を離れると、テレビで見るスラム街のようでした。しかし、珊瑚礁の海や塩湖、グランバラと呼ばれる砂漠地帯、そして夜には満天の星(街中を離れると、天の川と南十字星が見えました)が見え、その自然はとてもすばらしいものでした。また、ラクダやロバ、山羊などがその辺の道を我が物顔で歩く姿や、難民キャンプに向かう途中で出会うたくさんの動物たちや植物もとても面白いものでした。

【AMDAのジブチにおける活動】

 主に以下の2つの活動が行われていました。

1 )ジブチ市唯一の産婦人科病院であるダル・エル・ハナン病院の再建プロジェクト


2)ソマリア難民キャンプの支援活動

 ジブチには2ヶ所、AMDAのオフィスがありました。1つはジブチにあり、プロジェクト全体をまとめていました。もうひとつは難民キャンプに近いアリサビエにあり、難民キャンプに診察に行く医師が滞在されている他、AMDAの活動に使用される医薬品のストックの役割も果たしていました。私は主に難民キャンプにて研修を行うことになり、最初と最後の1週間をジブチで、中の2週間をアリサビエに滞在しました。


【難民キャンプについて】

 ここで、現在HH(ホルホル難民キャンプ)には約10,600人、AA(アリアデ難民キャンプ)には約12,500人が生活をしています。HH、AAともに10年も続いているキャンプであるため、キャンプ内の各設備および支援体制はきわめてよく、世界で最も恵まれた難民キャンプという話も聞きました。しかし以下に挙げるような長く続いているからこその問題もありました。


難民キャンプにて 後ろ右から2人目が筆者

1)10年も難民としての生活を送っているため、難民たちは働くことを忘れてしまっている。

2)難民キャンプで生まれた子供たち(10歳以下の子供)は難民キャンプでの生活しか知らない。

3)テレビや公園などの娯楽がないため、性交渉に目がいきやすく、そのため子供の数が多い。

 なお、難民キャンプには診療所をはじめ食糧センターおよび食糧庫のほか、学校や給水ポンプ、植物園があり、各施設はそのほとんどが難民自身により管理されていました。蛇足ですが、植物園では多種の植物が植えられており、私は何度かパパイヤを頂きましたが、とてもおいしかったです。


【医療体制】

 私自身薬剤師であることから、薬局を中心に難民キャンプの医療体制について記したいと思います。

概要:患者ははじめに看護婦と話をし、看護婦が診断できる患者は看護婦から、看護婦が診断できなかった患者は医師の診断を受けたのち、医師から処方箋を書いてもらっていました。その後、その処方箋を薬局に持っていき、薬を受け取っていました。なお,簡単な手術は難民キャンプ内で行われていましたが、難民キャンプ内で手当できない患者や結核患者は町の病院に搬送されていました。また、多種予防接種も行われていました。

薬の供給体制:週に一度難民キャンプで薬の在庫を数え、注文書を作成していました。そしてAMDAのアリサビエオフィスにてその注文書をもとに薬を準備し、搬送されていました。またAMDAのアリサビエオフィスの医薬品は、AMDAがUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に注文(月に一度)し、譲り受けていました。なお、UNHCRは主にIDA(International Dispensary Association)から購入していたようです。この供給体制のおかげで、常に新しい薬が難民キャンプに届けられていました。

薬局:窓に面したところに薬を置いた机があり、そこに薬剤師が座っていました。患者は窓から処方箋を渡し、また薬を受け取っていました。とても簡素なものでしたが,薬局としての機能は同じであることを知りました。なお、薬の種類は少ないため、処方されることの少ない薬は医師から患者に直接渡されていました。

処方箋:指定の用紙はなく、紙こそはメモ帳でしたが、その内容は日本でも推奨されているSOAP形式(S:主観的情報,O:客観的情報,A:評価,P:計画)が採用されており驚きました。まるで処方箋というよりもカルテのようでした。

薬袋:IDAのものが使用されており、用法用量はもちろん、薬の名前を記入する欄までありました。ただ、実際はただの薬入れの袋として使われることが多く、薬の名前を記入しないことはもちろん、薬剤師によっては用法用量も記入せず、薬を渡すときに説明するだけでした。しかし、そのことを知っていた医師はあらかじめ「何色の薬を一日に何回服用しなさい。」と患者に説明していたようです。このことを医師から聞いたとき、水面下の支え合いを感じました。

医療従事者:薬剤師および看護婦(看護士)は資格免許がなく、医師によって教育を受けた人(難民自身)が薬剤師や看護婦として働いていました。看護婦はもちろん、薬剤師でも簡単な手術に立会い、手伝っていました。手術は何度か見学させてもらいましたが、私は立っているのがやっとでした。また、私が体調を崩したときに点滴をしてくれたのも薬剤師でした。彼らのてきぱきと医師を手伝う姿を見て、高等教育を受けただけの人とは違うたくましさを感じました。


【食糧センター】

 月に1度、小麦粉(12.5Kg/Person/month)、CSB(Corn Soya Bean)、食用油、砂糖、塩が各家庭に配られていました。さらに、栄養不足の5歳以下の子供および妊婦、授乳婦、結核患者には以下のものが調理され、配られていました。

 卵、CSB、DSM(Dry Skim Milk)、野菜類、果物。

 これらのものは週に一度アリサビエから運ばれており、小屋のようなところにダンボール箱に入れたまま放置されていました。夏場の気温40℃くらいになるときも同じ状態で保存されていると聞き、特に卵は腐らないのか心配になりました。


【JOCV(青年海外協力隊)】

 ジブチを思い出すとき、忘れられないことの1つにJOCVの方たちのことがあります。海水浴に同行させてもらったことをきっかけに親しくなり、私の知らないジブチを教えてもらうとともに、休日一緒に遊びに行くなど、何かあるごとに声をかけて頂きました。彼らのおかげでジブチでの生活が一層楽しいものになったことは紛れもない事実です。帰国するときは空港まで見送りに来てくれ、本当に嬉しかったです。この場を借りてお礼申し上げます。


【研修を終えて】

 はじめ私は何か残ることをしたいと思っていました。しかし、キャンプ内の医療をはじめ各種支援体制は、ここが本当に難民キャンプなのかと思うほどしっかりしたものであり、私には何もできることがないことに気付きました。そこで、私は残された時間を難民の方たちやスタッフをはじめ多くの方たちと話をして彼らの考えを知ること、そして少しでも多くの時間を難民キャンプで過ごして難民キャンプという場所を肌で感じること、スタッフの働く姿をそばで見ることにしました。その結果、過去のことは淡々と語る彼らが将来のことを訊いた途端に表情を明るくして生き生きと夢を語ってくれたこと、ソマリア語を教えてくれた子供たち、勉強をしたいと言って少ないお給料の中から毎月少しずつ貯金をしてイギリスの大学の通信講座を受けていたスタッフ、キャンプ内で治療できない患者の為に医師が受入先の病院を探していた姿・・・言葉では語り尽くせないたくさんのことを感じてきました。


薬局スタッフ(仲良しになった薬剤師のHadayoさん、左側)

 もちろん楽しいことばかりではありませんでした。とても仲が良かった薬剤師さんがオーストラリアへ旅立った時、彼女にとって良いことだと分かりつつもとても寂しく思うと同時に難民のおかれた状況を考えさせられました。

 また、アリサビエで2週間も滞在し、医師の仕事する姿を間近で見られたことはとてもいい経験でした。そしてこの医師とはその日にキャンプであったことや私が感じた疑問点をはじめ、お互いの国について、さらにはお互いの夢についてなど、たくさんの話をしました。そして、彼から「僕は医者だから目の前に患者がいる限り助けたい。そしてその患者が富んだ人で薬を自分で買えるのなら、自分で薬を買ってもらえばいい。でも、もしその患者が貧しくて薬を買うことが出来ない人なら僕は薬をあげたい。そして、僕は貧しい人の為に働きたい。」という話を聞き、純粋にこのような医師に出会えたことに喜びを感じました。

 帰国してから、医師からこんなメールが届きました。“Today I came from Holl-Holl camp. People from there, asking for you. So I think within very short period you able to touch their heart.”先ほど私は何もできることがないと述べましたが、どうやらひとつだけあったようです。もちろん、私の心も彼らによって触れられていたことも、ここで明記したいと思います。

 AMDAのスタッフをはじめ、難民の方達、そしてJOCVの方達…多くの方たちのおかげで今、こうして“楽しかった”と振りかえられるのだと思います。そして彼らとの出会いと語らいが私の視野を広くしてくれたような気がします。私はきっとこの一ヶ月を忘れないと思います。最後になりましたが、ジブチで出会った多くの友人達、本当にありがとうございました。




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