カンボジア

カンボジアでの運動会

嘉悦大学 経営経済学部教授 山田 寛
AMDA Journal 2002年 10月号より掲載

AMDAの全面的支援をいただき、現在私が勤める嘉悦大学、そして東京情報大学と朝鮮大学校の学生9人と共に、8月27日〜9月5日の間、カンボジア・ツアーを実施した。メーン・テーマは運動会。 AMDAが援助をしている南西部コンポンスプー州のチャンバック小学校(現在はトレン・トレジュン小学校)で、地元の人々と日本式の運動会を共催することが目的だった。

私は昨年新聞社の国際報道・調査部門を定年退職して大学教員となってから、毎年夏休みに学生を国際ボランティア体験旅行に連れ出そうと決めた。 昨年はラオスで学校建設の労働を体験したが、二年目の行く先、活動の種類を検討していたとき、ネットでAMDAのスタディーツアーのことを知った。そこで海外事業本部長の鈴木俊介さんに特別ツアーをお願いして、聞いていただいた。

後で聞いたが、この運動会というアイデアを出してくれたのは、駐在代表の伴場賢一さんだった。スポーツ大好き人間で、いつか開発途上国の子どもにスポーツをする喜びを知ってもらうような活動をしたいと夢見ていた私は、一も二もなくこのアイデアに乗っけてもらうことにした。 かつてベトナム戦争中のサイゴン(現ホーチミン市)やバンコクに駐在した際、私の目にさんざん焼きついたのは「運動や遊びをしている子どもたち」より「働く子どもたち」の姿だった。バンコクのルンピ二公園でよく凧を揚げていたのは大人であり、子どもの方はその横に群がっていた。 凧が木に引っかかったり、水に落ちたりすると走って行って回収しては、お駄賃をもらう仕事を受け持っていた。東南アジアでも子どもたちには皆、凧を揚げる方になってほしい。そんな思いを20年以上持ちつづけてきた。運動会とは、ある意味で日本独特の文化だ。 運動会など全く知らない途上国、中でもポル・ポト暗黒革命や内戦の後遺症がまだまだ社会全体を覆っているカンボジアの子どもたち一般に、運動会の楽しさを味あわせたいと思った。

出発前の準備では、日本の運動会の定番、紅白玉入れ、障害物競走、パン食い競走といった競技の用具をどうそろえるかがポイントだった。例えば玉入れの籠やさおなどは現地調達しても、紅白の玉などはそう簡単には作れない。 だが、私たちの大学の系列の幼稚園や、自宅近くの中学校などが、事情を聞くと喜んで手を貸してくれた。幼稚園からは、古くなった玉や縄跳びの縄、2人ではいて走る「でかパンツ」などたくさんの提供を受けた。大学の同僚の体育教員からも球技用の古いボールを沢山託された。

そうした荷物を抱えて現地の学校に到着すると、夏休み中にも関わらず大勢の子どもたちが集まってきて、学生たちにまとわりついて離れない。人見知りなど全くしないのだ。日本の子どもが突然の外国人訪問者にまとわりつくなど、想像できない。 昨年のラオス旅行にも参加した学生が「ラオスの子よりもさらに人懐っこいですねー」との感想をもらした。運動会前の2日間、学生たちは、子どもとからんで遊ぶのに大忙しとなった。

カンボジアの子どもたちとの楽しい運動会 競技種目は、日本側とカンボジア側から六つずつ、予行演習でデモンストレーションをしあった上で決めた。日本側種目は上記の三つのほか、棒引き、「風船とでかパンツ」のリレー、それにドッジボール。 ドッジボールよりサッカーのPK合戦の方がポピュラーに違いないが、「新たな面白い競技を知ってもらおう」と選んだ。カンボジア側のものは、空中につるされた素焼きの鉢を、目隠しした子どもが棒で叩き割り中の石灰水を飛散させる、スイカ割り的遊びもあれば、日本と同じ綱引きもあった。 そういえばアンコール遺跡には、神々と阿修羅とが大蛇の胴体で綱引きをするカンボジア創世神話の石像や浮き彫りがある。綱引きはいわば伝統芸のわけである。

カンボジアの子どもたちとの楽しい運動会
カンボジアの子どもたちとの楽しい運動会

運動会進行に奮闘する学生たち
運動会進行に奮闘する学生たち
そして当日。朝から雨季の雨が降り続いた。校庭は小石がいっぱいだったから、「泥んこと砂利と水」の運動会となった。それでも、見物の幼児や学童以外の子、カンボジア風えびせん売りの少年まで含め、子どもは150人ほども集まっただろうか。 彼らは雨に打たれようと全く気にせず、砂利だらけの上を平気で裸足で走り回る。日本の子どもには見られなくなった頑健さだった。

地元の郡長ら来賓も来て、最後まで約4時間熱心に観戦した。AMDAカンボジア事務所のシエン・リティ所長やスタッフも大勢かけつけてくれた。自分の組を懸命に応援し、喜び、くやしがる子供たちの歓声は、運動会なれした日本の子どもたちにくらべても、新鮮で大きかった。 近年、日本の学校の運動会では、できるだけ勝者敗者の差別を少なくしている、と聞く。極端な例では、徒競走のゴール手前で先頭の子が後続の到着を待ってから、手をつないで「皆仲良く一等賞」でゴールインする所もあるという。 今回は、そんな過保護運動会ではなく、勝敗にこだわるスタイルにし、子どもたちも思い切り勝ち負けを競った。結果は、80点対40点で白組の総合優勝。拍手喝さいが、遠くで聞こえる雷鳴をかき消した。子どもたちは全力で競技に打ち込んだ後、賞品、参加賞をもらってニコニコ顔。 ついでに、えびせん売りの少年も、一つ100リエル(約3円)のせんべいが全部で5000リエルも売れたとかでニコニコ顔だった。

終わって子どもたちの感想を聞いた。男の子はドッジボール、女の子は玉入れが特に気に入ったらしい。「またやってよ。こんどはいつ来てくれる?」と尋ねられもした。その横では、学生の慣れない手つきで抱かれた幼児も笑顔を浮かべていた。それを見ながら、ちょっぴりジーンと胸に来た。 運動会は、子どもたちのニコニコ顔を見る最良の機会。予定通り見られてよかった。日本の子とは違う強さも感じることができた。

だが、すべてうまくやれた、などと自賛するつもりはない。私たちの準備も十分ではなかった。もう少し派手な飾りつけ、例えばお手製の万国旗を子どもに作ってもらうことだって考えればよかった。 これは小学校側の方針のようだから仕方ないが、見ているだけの幼児や学校と無関係の子にも、もっと参加させたかった。農繁期だから贅沢は言えないが、父母や家族の応援風景も見たかった。

それとは違ったレベルの大きな問題もある。カンボジアの教育は、校舎を始め全土でまだないない尽くしだ。チャンバック小学校は、25歳のタン・サラセン校長始め20台前半の青年教師ばかりだが、運動会なる初実験に真剣に取り組んでくれた。だが、この国の先生の月給は平均20ドル(約2500円)。 とくに地方ではなり手が少ないし、先生は生活のため副業やアルバイトで忙しい。だから、運動会などの行事はもともと習慣がないだけでなく、なかなかできないという。この学校で来年以降、自分たちだけで運動会を続けて欲しい。そして、カンボジアのほかの学校にも運動会を広げたい。 いや、世界の発展途上国の多くの学校に、運動会が広がって欲しい。そのための国際協力運動を盛り上げたい。そんな願いの気持ちを胸いっぱいに村を後にした。

最後になったが、AMDA本部の吉見千恵さんには、準備から終了まで全部お世話になった。心から有難うと言いたい。

山田寛教授の略歴

1941年東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、読売新聞社に入社。1972年〜1974年、サイゴン支局駐在。その後、バンコク、パリに駐在し、1989年〜1992年にはアメリカ総局長、以後読売新聞社調査研究本部主任研究員。2001年2月読売新聞社を退社。




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