ASMP特集

2004年度 AMDA『魂と医療のプログラム』
AMDA Journal 2005年 5月号より掲載

バガンの写真

2004年度AMDA『魂と医療のプログラム』:ASMP(アスンプ)は、フィリピン、ミャンマー、インドネシア、カンボジア、 台湾の5カ国、8ヶ所で行われました。実施日、慰霊祭の場所、参加者は以下のとおり。

フィリピン
実施日参加者名実施場所AMDA担当
11月27日 臨済宗  原田 浩文様
      大屋 昌基様
カトリック 山頭 泰種様
フィリピン国立
パンパンガ農業大学
Dr.Zosimo Battad
Dr.Promitivo Chua
LUZNNET
Dr.菅波 茂(代表)
ミャンマー
実施日参加者名実施場所AMDA担当
12月13日 天理教 平野鉄之助様
     岡部 嘉次様
     小池  聰様
     山下 司郎様
ニャンウー 鈴木俊介
山上正道
藤田真紀子
12月14日 同上 パコック 同上
インドネシア
実施日参加者名実施場所AMDA担当
2月24日 天理教 平野 恭助様
    関根 慶三様
渡辺日本国総領事
ワヒディン病院 Prof.HusniTanra
Ms.ANNE
Dr.菅波 由有
カンボジア
実施日参加者名実施場所AMDA担当
2月25日 臨済宗 篠原 真祐様 オーダムキリパゴダ Dr.Sieng Rithy
鈴木 俊介
潮田 裕美
同上 ベールトムパゴダ 同上
台湾
実施日参加者名実施場所AMDA担当
3月28日 最上稲荷教 中島 妙江様
      大瀬戸泰康様
      林  阿勇様
      山名 真理様
潮音寺(屏東縣) Dr.Chao kai Chang
Ms.Joyce Su
Ms.Jamie Lai
同上 墾丁国立公園鵝鑾鼻 同上

フィリピン慰霊祭報告
臨済宗 原田 浩文

始めまして、岡山市 臨済宗盛徳院住職 原田と申します。 この度、2004 年11月26日より28日まで菅波代表、静岡市 一溪寺副住職 大屋和尚と共に ASMPフィリピン慰霊祭に行って参りましたので簡単ではございますがご報告申し上げます。
 まず菅波先生とは我が宗派での講演をイ縁に始まり・・・ もちろん以前より AMDAの活動は知っておりましたが、まさか私のようなものが海外にて 慰霊祭を行うとは思ってもおりませんでした。 しかし、先生の熱い心に打たれ、また一年365日の内、たかが三日間、 異国にて法要するのも良いではないかと思い、フィリピン慰霊祭に行く決心がついたのであります。 もちろんフィリピンに行くのは初めてなので少々不安ではございましたが・・・
 26日、関西空港より10:00発、タイ航空にて4時間程でニノイアキノ・マニラ国際空港に到着しました。 ターミナルに着くなり、何という蒸し暑さ・・・日本は冬を迎えようと寒くなってきておりましたので、 体がついていきません。そんな中、入国手続きを済ませ駐車場にでましたところ、 AMDA インターナショナル名誉顧問であり、元フィリピン医師会長でもあるプリミティボ・チュア先生が 出迎えに来てくださり、早速車に乗りホテルに向かいました。が、ものすごい車の多さ、 すぐに渋滞に巻き込まれホテルにつくまでかなり時間がかかったような気がします。 チュア先生に聞きますと、いつもの事です、これが普通ですよと言われました。 ホテルに着き一息していますとフィリピン在住の山頭神父さんが来られ挨拶を交わしました。 日暮れも近かったので山頭神父さんの言われるまま世界で一番きれいだと言われているフィリピン港の 夕日を見に海岸へ行きました。しかしこんなに静かで穏やかな海岸で戦争により何万という方が亡くなられたとは、 到底思えません。哀しいことです・・・結局少々曇っていたので夕日は残念でした。 そして市街を少し散策し、夕食を一緒にいただき、ホテルへ帰り一日目が終りました。 その間、菅波先生はマニラホテルにてフィリピン医師協会のホセリサール授賞式に出席されておられました。
 27 日、二日目 朝6時前に起き、朝食を済ませ、本日慰霊祭を行うパンパンガ州のパンパンガ農業大学に向けて 車で移動しました。菅波先生は昨年9 月にこの大学の人類学名誉博士号を授与されております。 約2時間半程で到着しました。このパンパンガという所は第二次世界大戦中日本軍の神風特別特攻隊が 最初に飛び立ったマバラカット東飛行場のあった所です。今でもその面影を残しています。 世界初の人間爆弾により米艦隊に全員体当たりを果たし多大な損害を与えたと残されております。 そこには神風平和記念廟がありますが神風特攻隊の栄光を称賛する為ではなく、その歴史的事実を通じて 世界の人々に平和と友好の尊さを訴える為なのです。そして戦争によってこのような不幸な出来事を二度と 繰り返さないと誓う祈念する場所でもあります。車を降りると大学総長バタッド氏をはじめ関係者、 学生諸君達による歓迎の出迎えを受けました。少々休憩し、最初にASMPフィリピン慰霊祭記念碑の除幕式を行い、 場所を講堂に移し、セレモニーが始まりました。先ずは仏教での慰霊祭、衣に着替え袈裟を着け壇上に上がると、 関係者・学生さんをはじめ参加者の方々が講堂を埋め尽くしておりました。 これ程までに若い皆様にも関心があることに改めて驚き、日本から来た見慣れぬ我々僧侶に拍手をいただき 感無量でございました。香語・読経・そして戦争によりフィリピンに於いて戦死、病没、民間人犠牲者、 すべての緒霊位に回向を行い終了。次に神父さんによるミサ・慰霊。続いて国家斉唱。 ここで私はビックリしたのであります。日本の国歌を流していただき、なんと!“まさか”日の丸の国旗まで 用意してくださっていたのです。この時始めてこの慰霊祭に来て本当に良かったと痛感致しました。 そして、敵・味方なく戦争によって犠牲になった日本人・フィリピン人・アメリカ人・・・すべての緒霊位に 慰霊・供養することができたことに感謝致します。チュア先生によるとこのように自国以外の慰霊を してくれるのは日本の宗教家だけだそうです。大変喜んでおられました。その後セレモニーは続き、 最後にAMDA本部より私達三人が持って行ったパソコンの授与式を終え閉会となり、そして昼食をみんなでいただき、 マニラに向け出発しました。その夜はチュア先生の69歳の誕生パーティがあり出席させていただき、 ホテル帰着。長い二日目が終りました。
 28日、三日目 午前中、菅波先生とマニラ市内を少し観光した時のことです。市内には戦時中の捕虜収容所、 独房、水牢など・・・生々しい、悲惨な建物の跡が未だにたくさん残されております。 しかしそこで小学生ぐらいの女の子達がかわいい笑顔で楽しそうに遊んでいたのです。 何とも言えない光景でした。思わず『よかったね、戦争のない時代に生まれて・・・ 平和ですばらしい人生を送ってくださいね』と心の中でお祈り致しました。昼、最後のフィリピン料理を食べ、 午後チュア先生に空港まで車で送っていただき、16:25 発、タイ航空にて21:00関西空港到着、 無事帰国致しました。
 たった三日間のフィリピン慰霊祭でしたが、本当に充実した日々を送った気が致します。 宗教者として慰霊・供養を行うことは務めでもあり、義務でもあります。 そして現在、今生きている私達が『平和』な楽しい、一度しかない、すばらしい人生を送っていただくことが 人間の努めなのです。その為にもASMPの活動が、AMDA本来の医療活動に少しでもお役に立つことを心より願っております。
 またこのフィリピン慰霊祭に行くに当たり、菅波先生をはじめASMP担当の難波 妙様、 AMDA関係者の皆様には本当にご尽力いただき感謝申し上げます。 また機会がありましたら声をかけていただければと思っております。

追伸 昨年起きました新潟県中越地震・スマトラ沖大地震・インド洋大津波による犠牲者、 被災者の方々に謹んで哀悼の意を表し、お見舞い申し上げます。そしてAMDA関係者の懸命なる 活躍に際し皆様方のご健勝を心より祈念申し上げます。
                           合掌

ミャンマー慰霊祭報告
天理教 小池 聰

ミャンマーでのAMDA「魂と医療のプログラム」(ASMP)活動として、2004年12月13日、14日に2ヶ所の寺院にて 慰霊祭が執行されました。
 ミャンマーへの天理教宗教者の派遣は2回目であります。平野、山下、岡部、小池の4名によってその祭儀が 執行されたのであります。  まず、12 月12日午後7時頃到着し、翌13日、早朝5時空路バガンに到着。祭儀服に着替えて That Byin Nyu(タベニュー)寺院に到着し準備にかかり慰霊祭は10時に執行されました。 ミャンマー僧侶5名により読経が始まり約20分。引き続き私共天理教は神式でありますから、 寺院中央の仏像の前に祭壇とお社を整え、ご供物を供えて天理教式にその祭事を執めたのであります。 約30分、参集した村人は約250 名。 ミャンマー僧侶の場合、食事は1日2回で、しかも昼食は正午まで に終了しなくてはならないとの決まりがありますので、午前中に行事を終了するにはなかなか大忙しであります。
 昼食後は、参集した中の老人20名位が前列出てビルマ当時の日本兵の様子を記憶を辿りながら話 されたのでありますが、きわめて好意的であり、懐かしさを込めて語られました。引き続きAMDAス タッフによる保健衛生教育(応急処置の仕方)の実演があり、第一日目が終了し、ニャンウーに移 動したのであります。
 12 月14日、ニャンウーを早朝5時に出発。真暗い道中、車にてレッパンチェーポー(船乗り場)に到着し、 エーヤワディー川を船にて約1時間半パコックに到着、ただちに着替えをしてカントー村に出発。寺院到着は9 時でありますから、目的地に到着するまで4時間かかるわけです。ASMP慰霊祭は 10時半、僧侶との昼食会は正 午までに終え、老人達と日本兵の思い出話を語られ、AMDAスタッフによる保健衛生教育また応急処置キットの 配布が行われました。参集した村人は約350名。
 12月15日はポッパ山寺院の見学、断崖絶壁の山頂によくぞ建立されたものと感動して帰りました。
 同日ヤンゴン日本大使館表敬訪問。峯岸良夫領事と約40分程話した後、ミャンマー宗教省へ表敬訪問。 佛教サミット閉会後の公務繁多の中にもかかわらず、ミャンマー宗教大臣が私達の為に駆けつけて下さり、 約30 分位でしたか歓談された後、帰りには宗教サミットに使用された本とミャンマー織のシャンバックを 土産に記念として下さり、「今後も活動を続けて下さい。又、なんでも申し出て下さい協力します」との お言葉を下さり、一同意を強くしたのであります。
 以上、四日間の行程を恙無く終了することが出来たのでありますが、前回を通して感じた事は、 各々の寺院内に他宗教を好意的に受け入れて、共に祭事を行う事であります。おそらく同じ目的を 共有している者として寛大な人柄がにじみ出て居るところに、私共一同感服したのであります。又 、ミャンマーの町、村を見てもその衣食住には必ずしも充分とは思われない、しかし話す言葉の柔 らかさ、顔の和やかな姿は満足な心でしか生まれ得ないものと感じたのであります。「不自由を常 と思えば不足なし」とはまさしくこの姿であります。
 山上正道氏、藤田真紀子女史には大変お世話になりました。心より御礼申し上げてミャンマー紀行といたします。

インドネシア慰霊祭報告
天理教 平野 恭助

昨年に引き続き今回もインドネシアのASMPに参加させて頂いた。昨年12 月末、スマトラ島沖地震・ 大津波が起こりインドネシア国内だけで20万人を超える死者を出すという大惨事から2ヶ月足らずの 時期だったこともあり、今回のASMPは戦争犠牲者に向けてというよりも地震・津波犠牲者のための 慰霊祭の色が濃いものになった。
 私たちが訪れたのはスマトラ島からはるか東方数千km離れたスラウェシ島のマカッサル(旧ウジ ュンパンダン)という所であった。津波の被害には無縁の地であったが、それでも同じインドネシ ア人の同胞意識からか、参列者たちの慰霊祭に捧げる祈りの真摯さは否が応でも伝わってきた。
 ASMPの行われた会場は去年と同じマカッサル市内にあるワヒディン病院の3階ホール。参列者の顔 ぶれもやはり若い学生中心であったが、人数は前回より多少多いような気がした。今回のASMPのご 来賓である州副知事の到着を待っていたため慰霊祭は30分遅れで始まった。熱気あふれる中、六つ の宗教が順番に祈りを捧げていく。カトリック、プロテスタント、イスラム、ヒンドゥー、仏教、 そして我々天理教…。「多様性の共存」という菅波代表の言葉を思い出させるごとく、魂の慰霊 という一点に結ばれ互いの祈りに己を同化させあっている空気が伝わってくる。
 儀式終了後、天理教岡山教区の義援金3,000ドルをAMDAインドネシア支部代表ドクター・タンラに 手渡し、地震・津波救援活動に役立てて頂くことをお願いした。ドクター・タンラは昨年日本にて 外務大臣賞を受賞したこともあって、心なしか所作にも威厳さえ感じられる。スピーチで時折飛ば すジョークにも磨きがかかってきたようで、聴衆を笑わせ会場を和ませる余裕を見せていた。
 最後に、菅波代表のご子息・菅波由有氏が登場し、奨学金制度を開始する旨のアナウンスメント を英語でおこなった。能力はあるが経済的に恵まれないインドネシアの医学生を支援する奨学金は 、聞けば、菅波茂代表、由有氏個人の所得の一部から捻出されるとのことだ。
 これには父、菅波代表の「三人の子供たちにそれぞれ奨学金制度をやらせたい」との思いが根底に あると聞く。「物や金を取り入れることに主眼を置いた人生は先細りする。他者へ己の持てる物を出 す、社会に還元するということがこれからのわが家の歩む道」とする父の考えをごく自然に受け入れ、 それを実践するご子息たちの姿に感銘せざるを得なかった。かかる菅波代表率いるAMDAの目指すとこ ろは、窮極的には宗教的領分に入ってくるのではなかろうか…。氏がよく言われる言葉に「新しい人 間関係の創出」がある。人との出会い、人間関係というものは我々互いの前生からの因縁に因るとさ れるが、今生においても、例えば我々が救援・相互扶助・共存・共鳴・祈り・自己犠牲・慰霊等々の 行為を繰り返していく過程の中で、互いの徳分に見合うかたちでもたらされるものではないかと思う。
 これまでASMPに関わることで良き人々との出会いがあった。今回も六つの宗教の僧侶・神父・牧師 ・教師が肩をならべて写真を撮った瞬間は、これ以上ない満足感に満たされたひとときであった。今 後日本とアジア諸国のみならず世界中に新たな良き人間関係が築かれていくことを願いつつ、今後の ASMPの拡がりを夢見て行きたいと思う。

カンボジア慰霊祭報告
臨済宗 篠原 真祐

去る2005年2月25日、カンボジアにてASMP慰霊祭を開催しましたので報告致します。出発は2月23日、 帰国は同月28日です。カンボジア渡航は初めてのことでした。今回も一人旅、2つの展覧会の合間を 縫って行って参りました。(展覧会とは、小生、写真を足掛かりとした文化活動を展開しておりま して、一つは小学校閉校の記念事業「等身大写真インスタレーション展」、もう一つは「アートリ ンク・プロジェクト」という、障害者と作家が1対1で半年かけて共同制作を行う企画の展覧会で す)寝不足が続いていましたので移動時間がとても良い休養となりました。
 夕方、プノンペン空港に到着するとAMDAカンボジアのドクター、シエン・リティ支部長と潮田裕美 調整員が出迎えて下さいました。潮田女史は若くて小柄な方でAMDAカンボジアのコンポン・スプー州 にあるオフィスに勤務されているそうなのですが、なんとその地域に住む唯一の外国人らしく、もう 2年も尽力されているそうで頭の下がる思いでした。滞在中は、観光案内や買い物にまでお付き合い 下さり、何から何までお世話になりました。
 さて、プノンペンのホテルに到着、明日の打ち合わせを簡単に済ませて夕食、就寝。
 24日は9:30より慰霊祭のあるコンポンスプーの現地へ出発、西へ車を走らせること約2時間で到着 しました。慰霊祭は2カ所で行います。オーダムキリパゴダとヴェールトム村です。オーダムキリパ ゴダはAMDAが運営支援をおこなう小学校とデイ・ケア・センターと同じ敷地内にあります。その小 学校の校庭で慰霊祭を行うこととなりました。また、ヴェールトム村には地雷等の影響で障害を持 つ方々の施設があり、そこで慰霊祭を開催する予定でしたが急遽村の寺院に変更となりました。打 ち合わせを終え、AMDAコンポンスプー・オフィスに寄ってからプノンペンに戻り、遅い昼食をいた だきました。
 その後、少し時間が余りましたので、トゥール・スレン博物館に案内してもらいました。トゥール ・スレンの建物は元高校の校舎なのですが、ポルポト政権当時Security Office21と呼ばれた刑務所 となり、約2万人が収監され、生存者は僅か6名という、正に地獄となった地です。狭く暗い独房、 赤ん坊から老人に至る番号札をぶら下げた収容者の顔写真、本物の髑髏、数々の拷問器具。鉄のベ ッドがポツンと置かれた尋問室に立ってみる。超現実的な空間の、格子模様の床にのびる窓から差 し込んだ日溜まりの、あまりの美しさに愕然とする。罪無き囚人たちの悲鳴と心情を想い、思わず 手を合わせた。アンコールワットよりも何よりも、最も印象的な場所でした。ポルポト時代をはじ めとした悲劇の時代を書物で読んではいたのですが、その爪痕を目前にして、言葉を失い胸が痛み ました。
 平和的な日本の人々が日々思い悩んでいる、様々な事象の大半は、とてもちっぽけなことなんだ と気づかせてくれます。
 2月25日、快晴。5:45にホテルを出発。途中朝食を取り、7:30にAMDA コンポンスプーに到着。 下準備のあとすぐにオーダムキリパゴダへと向かいました。予定通り8:00に到着、子供たちが手 をつないで列を成して迎えてくれました。数百人が参加の下、慰霊祭は《ウェルカム・スピーチ 〜菅波代表のメッセージ代読(小生読、通訳:リティ先生)〜パゴダ代表僧挨拶〜ガバナー挨拶 〜カンボジア僧への布施〜カンボジア僧による慰霊〜日本人僧(小生)による慰霊法要〜土産、 寄付金授与〜閉会後、首座(しゅそ、代表僧)との食事会》と言った内容で進められました。菅 波先生からのメッセージの後は大きな拍手が起こりました。AMDAがいかに人々に受け入れられ、 喜ばれ、期待されているかを推し量るものでした。私の慰霊法要は、有難そうな顔と物珍しそう な顔の民衆が入り交じった感じで、菅波先生のメッセージほどは盛り上がりませんでしたが感慨 深げではありました。食事会は村人たちの手料理が並んでいました。旅行ガイドブックなどにあ る『食中毒に注意するように』との一文が一瞬脳裏に浮かびましたが、村人たちは自分の料理が 食べてもらえるのをじっと待っていますので(僧侶に食べてもらうと極楽に行けるとの信仰があ るのです)まんべんなくいただきました。味の方は、とってもおいしかった!しかも肉あり魚あ りのご馳走でした。私の修行時代とは大違い、朝はお粥に梅干し、昼夜は麦飯にみそ汁に漬け物 のみでしたから。もちろん食中りにはなりませんでした。11:15にオーダムキリパゴダを後にし 、一旦AMDAコンポンスプー・オフィスに戻って休憩しました。
 14:15ヴェールトム村へ。オーダムキリパゴダより更に奥に入ったかなり田舎の美しい処です。 始めはちらほらだった民衆が、次々と集まってきて、予定をはるかに超える(200人近いでしょう か)慰霊祭となりました。参加者をよく見ると、義足の方が沢山おられます。痛々しく見えるの ですが皆とても明るくて、逆にこちらが勇気を貰うようでした。午前とほぼ同じプログラムで慰 霊祭は進められ、円成。
 翌26日は悲願の地、アンコール遺跡群のあるシェムリアップに行ってきました。そして28日朝 に無事帰国。
 今回の慰霊祭の後、PTAやコミュニティの結束力が随分と高まったとお聞きしました。和合専一 、何よりのことです。カンボジアの人々はとても親切で、明るくて穏やかです。けれどもその心底 にはポルポト派による大虐殺や幾多にも及ぶ苦悩が隠されているようです。旧日本軍の関与は少な い国ですが、カンボジア人にとって今回のような慰霊祭は大変に意義のあることだと実感しました 。AMDAの活動は正に「慈悲行」でありましょう。今後とも力及ばずながらその一端を担うことが出 来ますことを祈念しています。
 最後に、ご縁をいただきました菅波代表、当地にてお世話になりましたリティ先生、潮田氏、AMDA スタッフと関係者の皆様に、拝謝して、小生の報告を終わります。

台湾高秀 抜歯ー海峡・東シナ海周辺にて
死没する精霊への法要記録

最上稲荷教 大瀬戸 泰康

3月23日

13:30発中国東方航空528便にて上海に向けて中島妙江上人と山名真理さんが出発。

3月25日

09:40 上海・香港を経由し、17:49台湾・高雄へ到着。車にてホテルへ。20:25  台湾の林阿勇(りんあゆう)さんと合流し、うち合わせ。

3月26日

午前0時 大瀬戸泰康 台湾・高雄へ到着

3月27日

15:00 法要準備開始、まず高雄市内にて供物の買い出しを行う。現地のお供えのスタイルを 聞いてみると、果物4種類用意して、大きいもの1つを2ヶ所、小さいものを4つ位を2ヶ所お供え するそうだ。実際に現地の寺院に入ってみると、そのようにお祀りしてあった。写真を参考にし て買い出しに向かう。
 果物はドリアン1個、オレンジ5個、鳳梨釈迦5個、韓国産梨5個に決定。
 お酒は紹興酒を2本。これが一番の供養だとのことであった。
 お菓子は日本から吉備団子と大手まんじゅうを持参した。
 16:10 花屋にて組み花を1組作ってもらい、準備完了。

3月28日

08:50 ホテル発、当初の予定は9時30分発だったが、余裕を見て9時とした。道中は南国らしく 椰子の林を幾度も通る。途中軍の落下傘部隊訓練に遭遇したり、地元の道教のお祭りに遭遇したり しながら、正午頃に現地近くのコンビニに到着。そこで休憩を兼ねて車内で短い昼食を取り、法要 場所の潮音寺へ向かう。入り口はなんと道路沿いの椰子の林に看板だけ出ていた。その横に車1台が やっとの細い道が続いている。これは知っている人でなければ分からない。
 12:15 潮音寺着。二階が本堂だということで、二階に上がって準備開始。部屋の中でもやはり暑 い。準備中汗が噴出す。この間に林さんとAMDA台湾のジョイスさんには、この法要の趣旨を地元の 僧侶に伝えるために日本語の原稿を中国語に訳してもらう。
 13:00 潮音寺の責任者の方が挨拶にこられる。
 13:05 地元の尼僧が到着。式典は先ず地元の僧によって法要が営まれ、その後我々が法要を行う。
 13:12 尼僧による法要開始。
 13:40 尼僧は先に帰るということで、先に記念写真を撮影する。此処まで来るのに5時間かかるそうだ。 記念品を手渡して、このASMPの趣旨を説明してお別れ。趣旨に非常に喜んでもらえた。時間があれば同席 して頂きたかった。
 13:50 我々の法要開始。散華にて道場を壮厳ならしめた後に読経、修法に続き、導師中島妙江上人により 奉告文奏上し塔婆に焼香を捧げる。
「茲に清浄の大衆慎んで三宝聖衆の御前にてAMDA主催の世界供養会を本日此処に厳修、恭しく施餓鬼の法会を 開く。総じて四聖六道法界万霊、別しては日清戦争・日露戦争・大東亜戦争をはじめとし、日本が行った戦争 行為に於いて犠牲となる戦死病没公務殉難の諸精霊、特に当地、台湾バシー海峡、南シナ海近海における戦死 病没公務殉難の諸精霊、更には当地周辺に眠る戦死病没公務殉難の諸精霊に回向する。願くは三世十方随機応 縁の三宝、普賢難思の冥衆よ各降赴して証成し給え。今朝以来香華燈明を供養し、香飯浄水を厳備して、異口 同音に読誦する大乗妙法蓮華経。唱え奉る妙法蓮華経。この功徳によって、普ねく真如実際に運らして等しく 十方の衆生に施して、仏祖の冥加を請い、決定不虚の利益を祈る。
 故らに祝す。一念三千の香の煙は十方法界の依正に薫じ、顕本遠寿の法の花は三界六道の迷衢に散じ、平等 大慧の燈の光は九界生死の闇を照し、色香美味の香飯は一切餓鬼界の飢渇を除き、甘露清涼の浄水は煩悩業障 の焔を滅し、極唱の妙音は二十五有の含霊識に徹し、読経の梵音は速かに即身成仏の大果を成ぜん。
 伏て祈らくはこの最勝修多羅如法の福会、その功徳無辺にして十方法界に遍ねく、信秀彼此怨親順逆、有縁 無縁一切の精霊、永く九法界の繋縛を脱し、清浄自在の大果報身を成就することを得んことを。」
 題目の中、林さん、AMDA台湾のジョイスさん、山名さんと焼香が続く。団扇太鼓も加わり、皆で一心に霊位 の冥福を祈る。
 15:24 潮音寺の法要を終了し、塔婆を海へ流しに移動。海の近くに適当な場所が見あたらないので、海の近 くの川から塔婆の水向けを行い海へ流す。15:32 すべての法要を終了し、片づけて帰路へつく。




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