ASMP特集

AMDAのミャンマーにおける地域保健医療活動

AMDAミャンマー事務所 岡安 利治
AMDA Journal 2004年 7月号より掲載

毎年、雨季が明ける11月から2月までの間、ミャンマーの表玄関ミンガラードン(ヤンゴン) 空港には年配の日本人、特に僧侶の姿を見かけることが多い。ミャンマーで命を落した兵士の 家族、また生き残った元兵士が慰霊の旅にやってこられる。

1942年1月、バンコクにいた日本陸軍8万人がタイ・ビルマ国境を越えて、ビルマ国内に攻め入っ てから、計33万人の日本兵がこの国にやってきて、19万人が戦死したといわれている。そのうち1 2万人は赤痢、コレラ、デング熱、マラリア、下痢疾患といった健康上の理由、つまり戦闘以外の 理由で亡くなったとも推測されている。

私がミャンマーに派遣が決まった際、岡山在住の小田敦巳さんの『一兵士の戦争体験−ビルマ 戦線生死の境』(修学社)という本を読ませていただいたが、筆者自身の赤裸々な体験記から 当時の状況を推測しても、世界でも最も悲惨な戦場のひとつであったに違いないことが窺える。

首都ヤンゴンに駐在している私は、どしゃぶりに降ることも多い長い雨季(4月下旬から10月) に生活するのは首都であっても気が滅入るが、AMDAの活動中心地である中部乾燥地帯の日本人 派遣者からは、降水量が少なく最も暑い水祭り(4月)前後は、「電気もないし、暑くてたまら ないけど、なんとかならないのか。」といった苦情が殺到する。当時、各地を敗走という失望の なかで、転々と徒歩で移動を強いられた日本兵のお気持ちはいかばかりであったろうと拝察せざ るを得ません。

はじめにメィティラありき(1995年から2002年)

1995年、AMDAはマンダレー管区であり中部乾燥地帯と呼ばれているメィティラで活動を始めること にした。この都市は現在人口29万人の街で、首都ヤンゴンと第2の都市マンダレー間の主要幹線道 路沿いにあり、平野部に位置している。戦時中は白骨街道と呼ばれた悲惨な退却路を残したインパ ール作戦の前後に、日本軍は連合軍の圧倒的な火力、武器、機動力に破れ、このメィティラで決定 的な敗北を受けたといわれている。

AMDAは佐賀の2NGO、ABA(アジア仏教徒教会)、MIS (国際協力の会)と1995年から5ヵ年計画で 、AMDAは保健医療、ABAは教育支援、MISは安全な水供給といった協力関係を結ぶことでメィティラ および周辺地区で活動が進められてきた。 

メィティラが最初の活動地に選ばれた理由も、佐賀県を中心にした師団がこの地で多数亡くなられ たという、ASMPのコンセプトに基づく慰霊の意味が強く込められている。

1998年からはメィティラ市5村での巡回診療と保健衛生教育および市内AMDAフィールド事務所での診 察活動となり、現在も継続している。また保健医療以外にも3機の浄水機設置、数箇所の学校建設、 井戸建設、農村女性への小規模融資(マイクロクレジット)なども現在までに行っている。

AMDAの活動はメィティラ市では有名になっており、例えば、致し方ない理由で現地医療従事者を 解雇した際には匿名で苦情の手紙が市当局に提出されたり、現在開始準備中の北シャン州コーカ ン特別地区の活動に関しても、「AMDAがコーカンで事業を始めると町中でうわさになっている。 うちの娘を雇ってくれないか?」とか、「日本人医師がなんでも手術してくれると聞いた。ぜひ 日本人医師に手術してほしい。」と、良くも悪くもその挙動が常に注目される存在になっている。

メィティラからニャンウー、パッコク(2002年7月から現在)

「必要とされれば、どこへでも」というAMDAの信念のもと、メィティラだけではなく、1997年には マンダレー管区のマティア市イエナダーハンセン氏病院へのソーラーパネルと水道システムの供与、 1998年にはバゴー管区のワー市地域保健センター建設(1997年のワー市周辺地域洪水復興支援の一環) 、2000年から2001年のチャパタウン市防災訓練および学校建設など行ってきた。

2002年7月からは、メィティラ地域支援モデルを他の2 市(パッコク、ニャンウー市)に拡大する コンセプトで、 JICA開発パートナー事業「母と子のプライマリーヘルスケア」が実施されている。 3市の小児病棟への支援(改修および医療機材支援)、計15村の末端公共医療施設の新設および改修 、栄養給食センター兼集会所の建設、各村週1回の巡回診療、30村での5歳未満児の栄養給食活動、 女性(主に母親)を中心とした保健ボランティアの育成、助産師・補助助産師などの草の根レベル での地域医療従事者へのトレーニング、さらには村にトラクターを供与して患者の緊急搬送や保健 プログラムへの使用なども実施している。

今年からは同プロジェクトに東洋医学のなかでも針灸を使わずとも住民レベルで使いこなせる吸い玉 研修・指圧研修などを保健ボランティアに指導し始めている。

2003年10月からはミャンマーで問題が表面化しつつあるHIV/AIDSおよび性感染予防事業として、 メィティラ、パッコク、ニャンウー県の計10市で1年間の事業として、コンドーム普及、保健ボ ランティア育成、カウンセリング技術向上トレーニング、性感染予防キャンペーンや予防教育強化 などを行っている。

さらに辺境へ(2004年6月から)

北シャン州コーカン特別地区風景

ミャンマーは国土が広く、ビルマ族主体の7管区(Division )と少数民族主体の7州 (State)の14地域に分けられる。

現在、日本大使館、JICA、国際機関が注目を集めているのが、中国雲南省と国境を接する北 シャン州コーカン特別地区である。麻薬の原料になるケシ栽培中止を2002年末、現地コーカン 勢力とミャンマー政府で合意したが、土地がやせ、標高が高い(800mから2000m)高地での 農業はケシには最適であったが、代替作物がなかなか定着しない状況である。代替作物とされ たとうもろこしの栽培では、過去に比べて収入は10分の1になったという話もあり、前年度に 比較して50%の子どもが家庭の収入減で学校をドロップアウトしているという。そこで現在、 AMDAは同地区で食料支援を通じた農村復興支援、プライマリーヘルスケア事業、中心都市ラオ カイ公立病院への医療機材支援を準備している。

このような辺境の地ではあるが、現地の人からの話によると日本軍はこの地にも来ていたという 。外国人の移動が非常に制限されるこの地域で、慰霊祭を行うことは現在では困難であるが、い つかきっとできる日が来ると信じて、まずは保健医療活動を開始したい。

地域医療活動の課題(2004年4月から今後)

もうすぐAMDAの活動開始から10年の歳月が過ぎようとしている。AMDAバングラデシュ支部メンバー が中心となって設立した私立病院「日本バングラデシュ友好病院」、ネパール支部が直接管理運営 する「AMDAブトワール病院」、カンボジア支部メンバーが直接運営する「AMDAカンボジアクリニッ ク:ACC」など、AMDAインターナショナル(全28カ国支部)の各国支部メンバーが設立し、直接運営 する病院・クリニックが軌道に乗ってきているなか、ミャンマーではNGOが運営して、将来的に支部 メンバーに委託する病院・クリニック経営方針が許可されていない(ミャンマーではAMDA支部設立 も許可されない)。あくまで公共医療機関をサポートする協力関係が主流である。医療協力する姿 勢も現地の医療従事者を主体にして、外国人医療技術者は裏方に回る姿勢、また研修を中心とした 技術向上が求められている。

AMDAが今まで行ってきた地域医療支援は、巡回診療を中心にした一方的に与える援助が中心であり、 医療サービ北シャン州コーカン特別地区風景スの機会が少ない農村住民・社会的弱者にとっては願 ってもいない支援であった。しかしながら、いつかAMDAがプロジェクトを終えることを考えて、 持続性を考慮した取り組みも併行して行わなければ、片手落ちの支援事業になってしまう。「言 うは易く、行うは難し」の持続性への取り組みであるが、今後、事業体制を細分化し、プロジェ クトの終わりを見据えた戦略にそった事業運営に変える方向性である。

ASMPの慰霊祭準備を通じて

ASMPの慰霊祭をミャンマーでは2000年11月にはメィティラ市、マグウェ市、チャパタウン市で、 2001年11月にはメィティラ市、マグウェ市、チャパタウン市3市で開催している。今回は2004年 2月にはニャンウー市ミーランビャー村およびパッコク市ミョキンター村で開催した。過去2回の ASMP慰霊祭との違いは、華やかに街の中心地の僧院で行うのでなく、アクセスのよくないAMDAが 巡回診療を行っている村の周辺村落を選定した。慰霊祭は私にとって初めての経験であり、ニャ ンウーに地域調整員として滞在している藤田真紀子氏の協力を得てすすめた。過去 2回開催した メィティラ市に比べ、戦闘は少なかったようであるが、ニャンウーとパッコクにまたがるイラワ ジ川などは、川を渡り損ねたり、渡る途中で銃撃にあったりと少なからず戦死者がいたようである。

開催地ではなかったが、慰霊祭候補地を探しているなかで、エイズ予防活動を行っていたニャンウ ー市シングー村では、日本兵慰霊碑が日本人元兵士によって建てられており、最近まで毎年のよう に慰霊の旅に来られていたそうである。その方は残念ながらお亡くなりになったそうで、戦後59年 といった月日を実感させられた。

今回の開催地ニャンウー市ミーランビャー村では戦時中、日本兵のための仮設診療所があったそうで 、この村でも92名が亡くなっており、いまでも僧侶によれば、「まだ成仏できない日本兵の霊がたま に徘徊していることがある。」そうである。

パッコク市ミョキンター村では少数になってしまった日本兵がいかにも連合国軍側に人数を多くみせ るために、たくさん足跡をつけてカモフラージュを試みたりしたものの、深夜銃撃が聞こえたと思っ たら、翌朝2名の日本兵遺体が川岸にあり、その遺体を埋葬したという高齢の老人にも会うことができ た。今回のASMP慰霊祭自体の経過に関しては小池教会師の記事を参照していただきたい。

ASMP慰霊祭を準備・開催するにあたり、自分自身が過去の日本の歴史を実感させていただき、考え させられる機会を得たと思っている。

今回、参加していただいた天理教3名の平野教師、小池教師、山下教師はそれぞれ70歳を越えた方 々であったが、そのバイタリティーには驚かされた。天理教は「陽気暮し」をモットーにするそう であるが、家族以外にも社会的弱者など困っている人々と寝食をともに一緒に生活する姿勢など、 なかなか現代社会のなかで、宗教者さえ、実行している方が少ないと思われることを進んでやって おられることなどを聞いた。この方たちでさえ、終戦前後には中学生であったという。

偶然にも前述した小田敦巳氏にASMP開催中に、ニャンウーのホテルでお会いする機会があったが、 このような戦争を体験した方たちが、健康を患わず、あと何年、ミャンマーに慰霊の旅に来られる のかと失礼ながら思ってしまう。

個人的にも、毎年、慰霊祭を協力して下さる宗教者がいらっしゃるのであれば、慰霊祭を継続した いと思う。それは日本の先人の魂を鎮魂するだけなく、国際協力に関わる私たち自身が歴史を振り 返る機会であり、自国の歴史・文化を振り返らずに行う国際協力は薄っぺらなものになってしま うのではないだろうか?

ASMPの慰霊祭参加者の声

最後に今回の慰霊祭において配布した医療クーポンの使用者の声を紹介したい。

AMDA巡回診療は5歳未満児と母親には無料で診察、医薬品処方を行っているが、それ以外の方からは 無料診察、医薬品卸価格の75%(市価の50%程度)をいただき、その代金をコミュニティヘルスファ ンドとして、貧困者への治療、重症患者の入院費・手術代などに使用している。

今回はASMP慰霊祭に協力および参加していただいた方々計500名(1村250名)にAMDA診療所および 巡回診療で、無料で治療できる医療クーポンを配布した。2004年4 月初旬現在、160名前後がすで に使用している。いざというときまで取っておきたい方々も少なくないようである。

ASMPの慰霊祭参加者で医療クーポンを使った方々の紹介


1.ニャンウー市、ミランビャー村


A.ウ・カラーさん(男性:48歳)

耳が痛く、耳から液体が出てきていたためミエニ村の AMDA巡回診療に行った。シングー村までは乗 り合いバスに乗り、そこから歩いて1時間半。到着するまでに2時間かかった。ASMP以前はAMDAの活動 はあまり知らなかったが、今回ASMPで医療クーポンをもらったので、巡回診療に行って見た。以前 は薬屋で薬を買っていたが治らなかった。しかし、AMDAに行くと病気が治ったので、また行きたい。


B.ウ・タインウィン(男性:40歳)、マ・イーヌウェ(女性:39歳)、アウン・テッパイン (乳児:6ヶ月)

子どもの病気で、お父さんと一緒にニャンウー市内のAMDAクリニックへ行った。乗り合いバスで、 2時間かかった。子どもの足が曲がっていて(足首が内側に変形)、マンダレーに行かなくてはなら ないと言われた。AMDA医者が1歳になってから行った方がよいと言ったので、そうしようと思う。 AMDAは病気が良く治ると言ううわさがあったので、他の病院ではなくAMDAに行った。また、コストが 安く、5歳未満児は無料診察および無料で薬を処方してくれるとも聞いている。

2.パコック市、ミョキンター村


C. マ・キンウィン (女性:52歳 マイピンゴン村出身)

AMDA提供の小型トラクターに乗って、ベイジー村の巡回診療へ行った。30分ぐらいかかった。 ひじとひざが6ヶ月間痛かったが、AMDAで薬をもらったら一時的に治った。また来週行きたい。 ASMP以前はAMDAのことを知らなかったが、医療クーポンをいただいたので、行ってみた。以前は パコック市内に行ったり、補助助産師から薬を買っていたが、あまり治らなかった。

D.マ・ティンプー (女性:61歳 マイピンゴン村出身)

高血圧とひざの痛みで、ベイジーの巡回診療にAMDA豆トラで行った。AMDAが支援した補助保健セン ターはきれいで、きちんとしていた。ASMPにも出席したが、よいことをしてくれてうれしい。自分 達ではできないし、遠い所からわざわざ来てくれて驚いた。日本の神道(天理教)は初めて見たので 、仏教とスタイルは違うが、大変興味深かった。

E.マ・マーマーテイ(女性:30歳)

ンガパウンカン村からやってきた。パコックの巡回診療で水曜日に訪問しているカントー村に来 た。ミョキンター村で開催されたASMPに出席しており、医療クーポンはその際にもらった。カン トー村からンガパウンカン村は3マイル。AMDA医師による診断は、体力低下と慢性貧血症だった。




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