ASMP特集

サイパン慰霊の旅

最上稲荷山菩提一心寺住職 中島 妙江
AMDA Journal 2004年 7月号より掲載

サイパン慰霊祭
慰霊祭日程
平成16年2月10日(火)
 テニアン島 日本軍航空作戦本部跡
平成16年2月11日(水)
 サイパン島 バンザイクリフ スーサイドクリフ
慰霊祭参加者
 最上稲荷山菩提一心寺住職 中島 妙江
 最上稲荷教総本山妙教寺  大瀬戸泰康
 AMDA 本部       難波  妙

2000年から始まったAMDA『魂と医療のプログラム』 も既に4回目を迎えました。第二次世界大戦の 戦病死没者の霊を慰めるためにこれまで毎年、ミャンマー、サハリン、フィリピンとこのプログラ ムに参加してまいりました。この度は大瀬戸泰康上人とともにサイパンに向かいました。私は、幼 少時代に親しかった私の従兄弟を第二次世界大戦中にサイパンで亡くしています。とても優しい穏 やかな人でした。ですからサイパンでの慰霊はかつてからの私の願いでした。2月9日、私どもは岡 山空港からグアム経由でサイパンに入りました。途中私は、サイパンの南西約5kmに位置するテニ アン島での慰霊を提案しました。テニアン島は、太平洋戦線の一大拠点として日本軍航空作戦本部 が置かれましたが、日本軍陥落の後は、世界最大級のアメリカ空軍基地となり、日本本土空襲の拠 点となりました。広島と長崎へ投下する原爆を積載した飛行機もこの島から飛び立っています。サ イパン到着は夕方おそく、テニアン島への渡航手配はできませんでしたが、テニアン島に飛べるこ とを願って、現在はアメリカ軍空母が浮かぶフィリピン海沿岸で海の藻屑と散った犠牲者の方々の ご冥福を祈りました。

2月10日、テニアン島への飛行機と現地でのレンタカーを手配することができました。午前中に法要の ためのお供えをガラパン地区にある地元のスーパーマーケットで購入しました。日本製の食品が数多 くあり、ふるさとを想う諸霊のために日本酒からお菓子まで準備することができました。午後2時30分 、フリーダムエアーでサイパン国際空港から約10分、当時のゼロ戦を思い出させるような6人乗りの小 さなプロペラ機で5Km離れたテニアン島をめざしました。サイパン空港を飛び立つ直前、滑走路に待 機する私達の目の前を大きなJALのジャンボジェット機が通りすぎました。私達の飛行機は、扉も完全 に閉まらないような小さなプロペラ機です。きっと日本兵は、このような命を守るにはあまりにも頼り ない小さなプロペラ機で、完全防備した敵機の機影におびえながらこの地を飛び立ったに違いありませ ん。また、このような無防備な飛行機で命を投げ捨てる日本兵の強襲にもアメリカ兵は驚愕し、恐れ戦 いたことでしょう。テニアン島での慰霊は、旧日本軍作戦本部跡で行いました。今は建物の鉄骨がむき 出した廃墟と化し、立ち入り禁止となっており,観光ルートには入っているものの、わざわざバスから 降りて見学する人はいません。ここで亡くなった多くの日本兵、アメリカ兵、そして現地の方々の御霊 は既に忘れ去られています。時折吹く突風に彼らの悲しみを感じます。ここに眠る諸霊を和らげるた めに大瀬戸上人ともども心をこめて祈りをささげました。

2月11日、この日もとても風の強い日でした。この日の慰霊祭はサイパン島最北端のバンザイクリフ とマッピ山スーサイドクリフで行いました。1944年6月15日、アメリカ軍はサイパン島の南西部から 上陸しました。南からじりじりと圧倒的な強さで日本軍を攻め入り、日本軍、民間人はそれに追わ れるように北へ北へと逃げました。サイパン最北部は断崖絶壁。崖まで追い詰められた多くの民間 人や日本兵は日本に一番近いサイパン島の最北端で日本に向かい「バンザイ」と叫びながら「生き て虜囚の辱めを受けず」と自決の道を選んだそうです。米軍1万4千人、日本軍3万人、民間人1万5 千人がその尊い命をサイパンで落としたといわれています。強風の吹き荒れるバンザイクリフでの 慰霊祭。ろうそくもお線香も灯すことが出来ませんでした。眼下には紺碧の海が広がり、激しい波 が崖に打ち砕かれています。お経本が風に飛ばされるなか、無念にも心を残したままこの波荒い海 に眠る諸霊のために一生懸命心を手向けました。

スーサイドクリフでの慰霊祭の前には、霧のような涙雨が数分降りました。私にはわかりませんでし たが、観光でこの地を訪れていた人たちの中にも、共に手を合わせていた方がたがいらしたそうです 。スーサイドクリフは80mの断崖絶壁です。その足元の石に「わが戦友は皆散り果て夏の日」と刻ま れています。どれほど多くの人たちが、涙も枯れ、悲しみを心に閉じ込めて、足の竦むことも感じな いままこの足元の石を蹴ったことでしょう。そして投降を叫び続けたアメリカ兵は、目の前で命を落 とす人たちを心潰れる思いで見送ったことでしょう。日本人もアメリカ人もともに平和を願う気持ち にかわりはなかったと思います。そして今に生きる私たちも、世界の平和が私達の次の世代に残せる ように一人一人が願っていると思います。

医療和平を追求するAMDAの今後の活動の発展と、この紺碧の海が再び血に染まることが決してないよ う祈りながら私は、サイパンを後にしました。




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