ASMP特集

ASMPフィリピン慰霊祭随想

蔭凉寺副住職 篠原 真祐
AMDA Journal 2004年 7月号より掲載

謹啓、この度ASMP慰霊祭に参加しましたので、御報告申し上げます。

恥ずかしながら先ずは簡単に自己紹介を。小生岡山市内にあります小さな禅寺の副住職をし ております。京都・ 南禅寺での修業等を経て現職となって約5年になります。幸い住職が元気にし ておりますので、時間を見つけてはゴソゴソと、寺という箱を拠点にしまして色々と手悪さをして おります。例えば純粋に「音を楽しむ音楽」や何百年もの長い間人々の生活に根付いた「民族音楽 」の催し、また、寸分違わない等身大の写真制作を媒体にした「こころ」の触れ合い等々、ちょっ と変わったお説法も楽しんでおります。「お寺で音楽会??」等と、よく誤解されるのですが、精 神的な価値の成果を文化と定義するならば、文化活動がお寺や教会で行われることはごく自然なこ となのです。逆に、芸術が単なる娯楽やエゴイズムに陥ってしまうことが少なからずあるのは、精 神面が置き去りにされているからだと感じています。

そんな「生臭さ」な未熟者のところに、ひょんなことから慰霊祭に参加して欲しいとのお声を頂きまし た。これも何かの御縁と、二つ返事でOKしたのが、今思えば「珍」道中の始まりだったのでした。

今回、小生はフィリピンに伺うこととなりました。「ふむふむ」と、よく聞いてみると、行く のは小生唯一人、向こうに着いても、日本語の分かる人は日本人の神父さんが一人いらっしゃるの みということです。英語を殆ど話せない日本人が単身、フィリピンに向かうのは、結構危険な行為 だと周りから言われ、「そうなのか」と思いながら「なるようになるさ」と楽観しておりました。

出発当日、早朝よりJRにて単身関西空港へ。快適な空の旅でありました。あっという間にニノイアキ ノ・マニラ国際空港に到着。入国手続きを済ませ、スーツケースを受け取って、さあ、ホテルの案内 所は何処かな?と、きょろきょろっとしたのも束の間、アッという間に数人の大男に取り囲まれてし まいました。空港タクシーのカウンターに連れて行かれ、親切にはしてくれるのですが、下心が見え 見えです。「しまったな」と思いましたので、唯一頼れる存在である山頭神父に電話をかけました。 神父さんは「危ないからすぐに行く」とおっしゃってくださいましたが、これくらいのことは自分で クリアしなければと思いましたのでお断りし、説明だけ伺って電話を切りました。結局、1,000円程 のチップが必要となりましたがなんとか切り抜け、無事ホテルに到着しました。ホテルで一休みして いると、ASMPの産みの親・チュア先生から電話が。マニラ空港には政治的な背景からターミナルが3 カ所あるのですが、その中の一つ、国際線ターミナルで待っていたと言います。先生は私がタイ航空 の飛行機で来ると聞いていたそうなのですが、本当のところはフィリピン航空でしたので、私はフィ リピン航空専用のターミナルに到着、つまり先生が出迎えて下さったターミナルとは全く別の処だっ たのです。

最初にこのようなトラブルがあったからか、その後は妙に度胸が付いて、とてもリラックスして過ご せました。但し、やはり英語が余り話せないのが辛いところ、正直不便でした。チュア先生にもご迷 惑をお掛けしたことでしょう。それにも拘わらず、最終日には朝からマニラの街をマンツーマンにて ご案内頂き有り難いばかりでした。

さて、慰霊祭はカバナトゥアンという、マニラから3時間余り北に入った街の屋外で執り行われまし た。そこは元々旧日本軍のキャンプ地だったそうで、あるフィリピン人ゲリラが516人の同盟国戦争 捕虜を救出した勇敢さを称えて建てられた碑が祀ってありました(因みに同市の所属するヌエバエ シハ州の現知事は、この英雄ゲリラの息子さんです)。日本軍が駐屯していただけに、この戦没者 慰霊祭に馳せる想いの深い、沢山の人々が集まりました。中には名前も外観も正に日本人といった 現地の方も参加されました。山頭神父と小生と、二人の日本人によるセレモニーということが感慨 深さを増したようです。祭典を終えて、多くの民衆から握手を求められ、御礼の言葉を頂きました 。後の食事会でも、学生さんたちが日本語の唄を披露してくれたりと大層なおもてなしを頂きまし た。今回の慰霊祭に当たって、チュア先生にも「市民は勿論のこと、教育・行政・医療・宗教とい った各界参加のもとで実施されたことは大いに評価すべき」と喜んで頂きました。

今回、初めて参加させていただいた訳ですが、このように盛大裏に開催できたことは、ひとえにAMD Aの皆様をはじめLUZUNETや現地の多くの方々のお蔭に因るところです。また、慰霊祭は今回で4回目 だそうですが、先人達の遺徳を至る処で感じました。盛大裏とは言っても、規模から言えばまだまだ 草の根運動的なものでありましょう。けれども、手作り的な、小規模だからこその、顔と顔の距離 が近い祭典が行えます。フィリピンの人々は、「敵も味方も、総ての人々を平等に扱って、このよ うな供養をしてくれるのは日本だけだ。アメリカは自国の犠牲者にしか目を向けてくれない」と言 います。今のイラクを中心とした悲劇の発端を垣間見るようです。平和を願って、細々ではありま すが、末永く慰霊祭に参加させていただきたいと思っております。AMDAの皆様には、このような御 縁を頂きましたことを心より感謝申し上げます。

初めてのフィリピン渡航は、大変濃密なものとなりました。食べ物も美味しかったし、皆親切でした 。充実感に浸りながら、関西空港に到着。無事の帰国で目出度し目出度し、と思いきや、特急「はる か」に乗ったところで携帯が。ホームに出て話をしていると、荷物だけを載せて「はるか」は、はる か彼方に消えていったのでありました・・・

合 掌




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