ASMP特集

AMDA『魂と医療のプログラム』国際会議2004開催に寄せて

AMDA代表  菅 波  茂
AMDA Journal 2004年 7月号より掲載

ミャンマー母子保護プロジェクト:ニャンウー市カンマ村での 巡回診療と栄養食品

戦争が歴史となるためには三世代百年間を必要とします。戦争の当事者から孫まで生きた体験として語られるからです。 アジアを基盤とする AMDAにとって第二次世界大戦は未だに現在進行形の出来事です。理由は二つあります。 一つはアジアの支部のメンバーには戦争に巻き込まれた家族および知人がいる事実です。二つめはAMDAの活動に は戦争に関係した人達が次々に登場してくる事実です。

最初の経験は1995年5月のサハリン大地震救援活動の時でした。島であるサハリンに医療チームを派遣するために チャーターしたコミューター機は、第一次サハリン慰霊団が予約していました。パイロットは第二次世界大戦中 にゼロ戦に乗っていました。「人を助けるために飛行機を操縦することはうれしい」と感想を述べられました。 次ぎに大型旅客機をウラジオストックから岡山空港までチャーターして28トンの人道援助物資をサハリン市民に 提供しました。これがテレビによりサハリン全土に放映されました。私達の通訳としてがんばってくれていたサ ハリン在住の日本人の方が言われました。「おかげさまで、三等市民の日本人でしたが胸をはって歩けます」と。 ちなみに、一等市民はロシア人で二等市民は朝鮮の人でした。

緊急救援活動の派遣者の活動報告にも『ウエワクは太平洋戦争で東部ニューギニア作戦を通じて後方兵站の最大拠 点となった地であり、当時はラバウルと並ぶ最重要基地であった。昭和19年4月、米・豪連合軍がアイタぺに上陸 してからは、日本軍は最後の砦を守るために死力を尽くした。そのためウエワクからアイタぺにかけては戦没者は 群を抜いて多く(飢えや病気も含めて約十数万人)、あちこちに戦跡がある。過去の日本軍のこの地での無念さを 思うと感慨無量だったが、我々も形を変えてではあるが、緊急救援活動を一層頑張らねばと思った。』とありました。

この他にも挙げればきりがありません。岡山県ビルマ会からはミャンマーにおける悲惨な出来事を聞かせていただきました。

いずれにしても、AMDAとしてこれらの事実を避けて活動を続けることはできません。 なぜなら、AMDAの基本理念とも関係してくるからです。 AMDAは「多様性の共存」 を理念としています。多様性の共存とは考え方や物の見方が異なる人達がどうした ら一緒に共存できるかということです。苦労を共にする人間関係であるパートナー シップに答えがあります。即ち、問題を解決する過程において、尊敬と信頼の人間 関係を創出できるからです。尊敬とは自分にないすばらしさを相手に感じることです。 信頼とは決して問題から相手が逃げないことを感じることです。一緒に苦労する問題 として「平和」を対象にしています。平和を「今日の家族の生活と明日の家族の希望 が実現する状況」と定義しています。この平和を阻害する要因として戦争、災害そし て貧困があります。AMDAは災害と貧困に関しては、保健医療支援プロジェクト を世界各地において様々な支援形態で実施してきました。戦争に関しては、避難民救 援プロジェクトを実施してきましたが、戦争そのものに関与するプロジェクトは企画 したことはありませんでした。

AMDAを設立した私個人としての戦争に対する潜在的な意識は高校2年生の時に、太平洋戦争 写真集に同世代の若い日本兵が砂浜に顔を半分うずめて死んでいる写真を見たショックでし た。今でもセミがミンミン鳴いている夏の雰囲気をはっきりと思い出します。私が戦争に対 する意識を更に向上させたのは、AMDAの源流である岡山大学医学部クワイ河医学踏査隊のお 世話をしていただいた永瀬隆氏のお蔭です。永瀬隆氏の泰面鉄道に従事した連合軍捕虜およ び各国からの労務者に対する活動でした。きびしい人間関係を克服して和解と相互理解にた どり着かれるまでの長い道のりを傍で見させてもらいました。多様性の共存に宗教的要因が はずせない事実を経験しました。永瀬氏がタイの人達にクワイ河平和寺院と命名された小さ なお寺を寄進された時から、タイの人たちの永瀬氏に対する態度がより尊敬に満ち、より信 頼感が増したことです。

AMDAインターナショナルの名誉顧問であり、元フィリピン医師会長でもある中国系フィリピ ン人であるプリミティボ・チュア先生は10歳の時に、太平洋戦争中のマニラ市街戦に巻き込 まれた体験をされています。チュア先生から戦争で亡くなった人達の霊を敵味方無く慰霊し、 残された人達の平和のために医療を提供するAMDA『魂と医療のプログラム』(ASMP:アスンプ) が提唱されました。

第1回のASMP慰霊祭が2000年11月にフィリピン、ミャンマー、カンボジア、インドネシア、ベトナムの5ヶ国で。 第2回は2001年10月から11月の間に、サハリン、インドネシア、パプアニューギニア、フィリピンの5ヶ国で。 第3回は2002年11月にカンボジア、フィリピンの2ヶ国で。そして第4回は本年2月から3月にミャンマー、イン ドネシア、フィリピン、サイパンの4ヶ国で、それぞれ、AMDA各支部の協力の元に、日本からの聖職者と現地 の聖職者の温かいご参加によって実現しました。

第4回目のフィリピンでのASMP慰霊祭に参加していただいた篠原真祐氏は「合同慰霊祭に参加したフィリピン人が、 日本人の聖職者が私達フィリピン人のために祈ってくれてうれしいと喜んでくれました」と報告されました。 多くの日本兵と現地の巻き込まれた人達の死が、合同慰霊祭を契機にして新しい人間関係を創出したのです。 まさにASMPの本質を示唆するものでした。

同じく、インドネシアでの慰霊祭を準備してくれたAMDAインドネシア支部長のタンラ教授からは 「今回の慰霊祭には、インドネシアの聖職者達と日本からの聖職者の方々と一緒に参加しました。 6つの宗教による『多宗教合同慰霊祭』は、インドネシアでは画期的なことです」と連絡してくれ ました。インドネシアにおけるイスラム教とキリスト教の紛争に少しでもお役に立てばASMPの新機 軸となります。ミャンマー、フィリピンそしてインドネシア。いずれの合同慰霊祭の場にも多くの 地元の人達に参加していただきました。ASMPの趣旨を理解してもらい新しい人間関係を創出する ためです。

聖職者の方々のご協力により魂の慰霊祭がつつがなく行なわれるようにな りました。特に第1回慰霊祭から第4回まで連続して積極的に参加して ASMPの 形造りをしてくださっている中島妙江氏と大瀬戸泰康氏と平野恭助氏にはあらためて感謝します。

AMDAにとって大切なのは医療の実施です。慰霊祭の行なわれている国々においては既にAMDAの医療 プロジェクトも数々実施されています。加えて、今後の医療プロジェクトとして「人材の育成」を 考えています。医療従事者養成のための奨学金制度と小学校に保健室を提供する学校保健プロジェクトです。

奨学金の対象者としては、フィリピンでは地域コミュニティで母と子の健康推進に活躍しているミッドワイフ、 インドネシアでは東インドネシアの医療を担当しているハッサヌディン大学に学ぶ小さな島々出身の医学生です。

日本の学校保健は非常に価値のあるコンセプトです。ASMPの対象となっている多くの国々では教育システ ムと医療システムは全く別のシステムとして運営されています。小学生の時から病気にならないための簡 単な知識を教えると、本人のみならず家族にも啓蒙普及活動の成果が期待できます。知識は財産です。日 本の成功モデルが教科書です。この2つのプロジェクトはできるかぎり各国において、元の戦場に近い場所 で実施できるように企画したいと考えています。実際、昨年からAMDAが行っている「スリランカ医療和平 プロジェクト」においても『AMDA健康新聞』の学校単位での配布を通して、保健衛生教育を行ってきまし たが、児童、生徒を始めその家族、さらには学校や地域の保健機関からも歓迎されています。

AMDA『魂と医療のプログラム』:ASMP(アスンプ)はAMDAの数多くあるプログラムの中でも極めて創設者であ る私の個人的色彩の強いプログラムです。「公の中の私」ともいえましょうか。それだけに私自身も一生懸命 に全力をもってがんばりたいと思っています。

末筆ながら、関係者の皆様方の温かいご理解とご協力をお願い申し上げますと共に、皆様方のご健康とご発展 を心からお祈り申し上げます。




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