ASMP特集

ASMP(AMDA Soul and Medicine Program)
合同慰霊祭
“ミャンマー訪問団”活動報告


AMDAミャンマープロジェクト駐在代表 小林 哲也
AMDA Journal 2001年 2月号より掲載

1.慰霊祭実施期間
平成12年11月25日(土)〜11月30日(木)

2.慰霊祭実施場所
ミャンマー連邦マンダレー管区3ヶ所(メッティーラ、マグウェイ、チャパタウン)

3.慰霊祭参加者
中島 妙江 上人(宗教者)
大瀬戸泰康 上人(宗教者)
寺田 千代 様(随行者)
小林 哲也(AMDAミャンマープロジェクト駐在代表)
ウ ソーテン(AMDAミャンマープロジェクトメッティーラ事務所スタッフ)

4.慰霊日程及び場所(慰霊対象)
11月26日(日曜日)
メッティーラ市 ナガヨンパゴダ
(日本人及びミャンマー人戦没者)
パゴダ代表者:サヤドー ウェインダカ大僧正
特別招待者:メッティーラ市サンガ協会長、サヤドー ウオッタラ大僧正
11月27日(月曜日)
マグウェイ市 ジャンタイ ポンジー サーティンジャン
パゴダ(同上)
ゴダ代表者:サヤドー ウスマンガラ大僧正
特別招待者:マグウェイ管区次長 ウキンマッエー氏
11月28日(火曜日)
チャパタウン市 シュウェ タンサーパゴダ(同上)
パゴダ代表者:サヤドー ウチョーティヤ大僧正
特別招待者:メッティーラ市消防署長 ウハンマン氏
11月29日(水曜日)
バガン市旧市街 (上記戦没者、及び少数民族の犠牲者)

5. ASMP合同慰霊祭 ミャンマー訪問団活動記録

■11月25日(土) ─初日─

いつものように、飛行機が到着してから約一時間後、夜の7時半を少し回った頃に、笑顔の中島上人を始めとする慰霊団の方々が、ヤンゴン国際空港の到着ロビーに姿を見せました。 日本からの長旅にもかかわらず、皆様お疲れの色もなく元気なご様子で、私の心配は吹き飛びました。そ の後、皆様をホテルにお送りし、夕食を兼ねて簡単な打合せを行いました。

今回の訪問地は、ミャンマー中部地方の乾燥地帯に位置する3都市です。 第二次世界大戦の激戦地として語り継がれ、AMDAが医療・福祉プロジェクトを展開しているメッティーラ市を中心に、チャパタウン市、マグウェイ市の3ヶ所を訪問し、それぞれのパゴダで、ミャンマー人僧侶の方々と合同で慰霊祭を行います。 訪問団は岡山からいらっしゃった宗教者の中島上人を代表に、同じく宗教者の大瀬戸上人、中島上人ご友人、そしてご主人が宗教者である寺田様の4名で、AMDAミャンマープロジェクト駐在代表の私とメッティーラ事務所プロジェクトマネージャーのウソーテンが同行します。

明日は早朝六時半の飛行機でマンダレーに向かわなくてはならないので、今日は早めに切り上げ、皆様にゆっくりお休み頂くことにしました。明朝は何と4時半起き!です。

■11月26日(日) ─2日目─

早朝のヤンゴン空港は、各地に行く観光ツアー客でかなり混雑していました。 飛行機の便もたくさんあるので、どうしても少しずつ遅れがちで、我々の便は結局30分以上も遅れて出発しました。 私が心配してうろうろしていると、大瀬戸上人が「こんなこと慣れてますから、そんなに気を遣わなくていいですよ。」と逆にフォローして下さいました。

マンダレー新空港に到着すると、ドライバーのトントン(AMDAスタッフ)と日本語が話せるウソーテン(同上)が既に我々を待っていてくれました。 マンダレー新空港は今年の夏にオープンしたばかり。まだピカピカの施設なので、皆様「こんなところにこんな凄い空港があるの?」と大変驚かれていました。

マンダレーから車に揺られること2時間半でメッティーラに到着。昼食後に早速、今日の慰霊祭会場となるナガヨンパゴダに向かいました。 このパゴダは第二次世界大戦中のビルマ(当時)で、戦闘中や敗走中、旧日本兵が当時のビルマ人に現地で大変お世話になったということで、戦線で一命を取り留めた方々が終戦後、日本人、ビルマ人を問わず全ての戦没者の霊を弔うために建てたパゴダです。 今でも遺骨収集団がお立ちよりになり、また戦友の死を弔う墓参団として、毎年多くの日本人の方々がお参りにいらっしゃいます。その意味でもこのパゴダは、今回の慰霊祭にまさに相応しい会場と言えるでしょう。

ミャンマーでのASMP慰霊祭 第1日目(メッティーラ市)
メッティーラ市サンガ協会会長
ウオッタラ大僧正による歓迎の辞

まず始めに、仏陀のご加護により、大瀬戸上人や中島上人を始め、今日参列している全ての僧侶と市民の幸福を祈ります。 今日、2000年11月26日に、我がナガヨン・マハボディパゴダにて、このような慰霊祭を開催出来たことは、大変喜ばしいことであります。

第二次世界大戦中、メッティーラ市周辺において不慮の死を遂げた兵士や市民の方々の安寧、そして日本とミャンマーに暮らす全ての人々の幸福を祈ることは、非常に大切なことであり、仏の教えに適うものです。 アムダ・インターナショナルの菅波理事長を始め、慰霊祭の開催に向けてご尽力頂いた全てのスタッフの皆さんに心から御礼を申し上げます。

最後に、来年以降も同じような慰霊祭を開催されることがありましたら、私は喜んでその実施に向けて協力し、最大限の配慮をすることをお約束します。

2000年11月26日

ミャンマー連邦マンダレー管区メッティーラ市
ナガヨン・マハポディパゴダにて

パゴダには、既に大勢の方々がおり、準備を整えて頂いていました。パゴダ内には慰霊祭の会場と、その後の交流会の会場が設けられています。パゴダ管理組合の方々が気を遣って日本とミャンマーの国旗まで並べて下さり、合同慰霊祭の雰囲気が高まっています。 また祭壇には既に供物としての果物やお花が所狭と並べられており、ここにも日本、ミャンマー両国の国旗が掲げられていました。

会場にはメッティーラ地区のパゴダ全体を管轄するサンガ組合会長のウオッタラ大僧正や、管理組合の執行部の方々も軒並み参列して頂き、今回の慰霊祭への関心の高さが伺えると共に、非常に力を入れてご準備頂いている様子が伝わってきます。

中島上人、大瀬戸上人は会場に入られると式典の準備を始められました。大きなトランクの中には、蜀台や卒塔婆、見台、位牌などが納められており、それらは一つ一つ丁寧に包まれています。 中には宗教者の方々以外は触れないものもありますので、安易にお手伝いは出来ません。私には見ているしかないのですが、皆様手際よく準備を整えられました。

1時20分、予定より少し遅れて慰霊祭が始まりました。式典にはナガヨンパゴダの僧侶が25名、管理組合の方々や一般の方々が20名など合計約50名の方々が参列しました。勿論AMDAメッティーラのスタッフも参加しています。司会はパゴダ管理組合で会計を担当するウラディンさんです。 まず始めにパゴダを代表して、この地区のサンガ組合の会長でもあられるウオッタラ大僧正が、歓迎と訪問に対するお礼の言葉を述べられました。そして次にAMDAを代表して、菅波代表の挨拶文をAMDAミャンマー駐在代表である筆者(小林)が代読。 代表は挨拶文の中で、アジア各国で第二次世界大戦中に戦死された方々への追悼の意と、開催にご協力頂いた方々への深い感謝の意を表すと共に、今後は未来世代の健康維持に向けて、医療支援活動をより一層充実させていく決意を示されました。

続いて慰霊祭訪問団を代表して大瀬戸上人よりお礼の言葉と自己紹介があり、上人は「自分の父親は広島の原爆の犠牲者だったので、戦争による犠牲者の追悼には特別な思い入れがあります。だから今回、菅波代表からご提案頂いたこのASMPプロジェクトに賛同し、この慰霊祭に参加させて頂きました。 他にも参加したいという人間はたくさんいたのですが、スケジュールの都合でどうしても訪問がかなわず、私達がそういった人々を代表して来させて頂きました。 ここにいるのは4人ですが、その後ろにはそういったたくさんの人々の気持ちがあります」といった訪問趣旨の説明があり、その後ご参加の皆様をご紹介頂きました。

そしていよいよ慰霊祭のハイライト、日本人僧侶による法要へと移ります。ミャンマー仏教界のしきたりを尊重し、男性の大瀬戸上人が正面に座り、中島上人が後ろでサポートする形でお経を唱えられ、施餓鬼という丁寧な法要と共に、祈願文を読み上げられました。 浅学で仏教に関する知識に乏しい筆者にも、慰霊と供養の気持ちが強く伝わってきました。

その後、ミャンマー人僧侶によるお祈りが捧げられ、慰霊祭は1時間半程で無事終了しました。慰霊祭を終えた大瀬戸上人は、「お経を上げていると、ビシビシと伝わってくるものがあり、自然と力が入りました。最初の部分で魔を追い払い、後の部分で場を整えました。 見ている人は奇妙に思われた部分があったかも知れませんが、一連の動作にはそういう意味があったのです」と法要の中身をご説明下さり、感想を述べられました。また中島上人は「ご法要していると、最初の神様が現れました。恐らく土着の神様ではないでしょうか。 今まで見たこともないお姿でした」と、仏教大国ミャンマーならではの感想を述べられました。この神様がどなただったのかは、何と後日きっちり判明することになります! 私はますます仏教というものの奥の深さを改めて認識させられました。

■11月27日(月) ─3日目─

熱帯に位置するミャンマーですが、11月下旬ともなると、中部地方メッティーラの早朝は涼しいを通り越して寒い位です。朝6:30の集合でしたが、遅れることなく全員揃って朝食。 5泊6日で3ヶ所の慰霊祭という強行スケジュールにもかかわらず、ASMPミャンマー慰霊団の皆様は、非常にお元気なご様子で、本当に心強い限りです。

朝食後の朝7時に出発。目的地は本日の慰霊祭を行うマグウェイという、メッティーラから更に約130km程南下したところに位置する、同じく中部乾燥地域の町です。マグウェイ管区の中心都市で人口は約25万人。

道中はアスファルト舗装されているものの、日本のようなきれいな路面という訳にはいかず、時々大きく飛び跳ねたりします。慰霊団の皆様の荷物が思ったより多かったので、4WDの最後部への荷物の積み方を色々工夫。 何とかウソーテン一人は後ろの荷台部分に乗れるようにして、前2列でドライバーを含めて6人が乗るようにしました。それでも助手席に2人というのはなかなか狭く、身を少しひねって私が乗っていたら、それを見かねた中島上人が、 「一番小さい私がそこに座るのが一番良いでしょう」とおっしゃって、自ら窮屈な助手席に座わられてしまいました。私は「大丈夫ですし、そんなお気遣いは無用ですのでどうぞ後ろの座席に座って下さい。」と丁重にお願いしたのですが、ご上人は私の体をお気遣い頂き、助手席から降りて頂けません。 大変恐縮しながら、ご上人のお気遣いのお気持ちに感謝し、図々しく後部座席に座らせて頂きました。

1時間半程走って休憩。明日の慰霊祭開催地であるチャパタウンの小さなレストランで、休憩を取りました。そしてここで何気なく出されたミャンマー風春巻きが大好評。皆様にパクパク食べて頂きました。 形が三角形であることと、ちょっとスパイスが効いていて辛目の味付けであることを除けば、皮といい具といい日本の春巻きと全く同じで、大変美味しいヒット商品でした。 更に、大瀬戸上人がご持参された練り辛子と醤油を途中で味付けに追加したところ、この春巻きにぴったりということが判明。更に一皿が追加されたことは言うまでもありません。

更に2時間半程走って無事マグウェイに到着。昼食後、今日の開催場所であるジャンタイ ポンジー サーティンジャンパゴダに早速伺いました。このパゴダは91年に設立された、大僧正の養成学校で、広い敷地内にはいくつもの建物や講堂があります。 これまでに102人のお坊さんがここを卒業し、大僧正として各地のパゴダでお勤めをされていて、日本に来られている大僧正もいらっしゃるそうです。現在は33人のお坊さんが修行されています。

ASMP慰霊祭のために、この日は大きな講堂をご提供頂きました。正面にご本尊様が祀られており、学校の研修などで使用する場所だそうです。既にマグウェイ管区次長のウキンマッエー氏が来られており、次長が式典を取り仕切って下さっていました。

1時15分、慰霊祭が始まりました。会場には僧侶約15名、宗教省の関係者10名、そして檀家の信者の方々20名など合わせて約50名が参列しました。最初にパゴダを代表してウスマンガラ大僧正から歓迎のご挨拶があり、「訪問を心から歓迎する。 仏教には古くから『いま生きている人は、亡くなった方々のために何かをしなさい』という教えがある。そして心と体と口とで良い行いをしなさいと言われている。その意味でも今回のAMDAを心から歓迎する。 今後も全面的にサポートしていきたい」という趣旨のご挨拶を頂きました。そして上記メッティーラでの慰霊祭と同じく、AMDA代表の挨拶文を代読、ASMPプログラム趣旨のご説明、そして大瀬戸上人のお言葉に移りました。 その後はいよいよ慰霊のためのご法要開始です。今回は、まず始めにミャンマー人僧侶の方々がお祈りし、僧侶の方々全員でお経を上げて頂きました。そしてその後、中島上人と大瀬戸上人による慰霊祭が始まりました。 今回は前半、「木剣」という戦没者の霊を慰める最も丁寧な法要、そして後半は仏様への法要という構成で行われました。 大瀬戸上人のお話によると、日頃のお祈りなどが特別にきちんと行われているためか、今回の法要の方が、負担が軽くスムーズだったようです。そういうことが全く分からない私にとっては、非常に興味深いお話でした。

お2人の上人によるお祈りは約40分で終了し、大瀬戸上人が改めてお礼を述べられ、式典は約1時間20分ほどで無事終了しました。式典終了後には参加して頂いた方々にジュースが振舞われ、しばしの歓談なども行われました。

しかし今日はこの後、宿泊地であるパガンまで向かわなければならないので、荷物を大急ぎでまとめて車に積み込み、パガンに向けて出発しました。 帰りの車内は、朝5時半起きで車に揺られること4時間、このような強行慰霊祭に元気一杯の慰霊団の方々もさすがにお疲れの様子で、ホテルに着くまで、皆様少しお休みになっていらっしゃいました。

■11月28日(火)─4日目─

連日の強行軍で慰霊団のお身体が心配でしたが、ここまで皆様に何とか頑張って頂きました。日程前半のスケジュールがハードだった分、今日は比較的余裕があります。朝はこれまで4時半起きや5時起きでしたが、今日は8時。 9時に朝食を取ってから、最後の慰霊祭を行うチャパタウンに向かいます。バガンからチャパタウンまでは車で1時間弱。これまで一日に8時間も車に揺られていたことを思えば楽勝です。

チャパタウンに到着すると、今回の慰霊祭を現地で全て取り仕切ってくれた、市の消防署のウハンマン署長がいらっしゃいません。 どうやら彼は、我々がメッティーラから来ると思っていたようで、メッティーラ方面の街外れまで車でわざわざ出迎えに行ってくれていたようです。連絡を受けて戻ってきた署長は、赤い車体に金色の文字で「福島県岩代町消防団」と書かれた消防車に乗って現れました。 非常に気のいい署長さんは、我々がお供えのおもちが無くて困っていると聞くと、すぐに作るよう奥さんに手配してくれました。こういう皆さんの親切は本当に胸に染みます。

この地域は乾燥地帯なため、火災が非常に多いことが問題になっています。そのためAMDAでも今年、防災学校を建設して防災トレーニングを行うと共に、防災小屋などの建築、水タンク及びホースなど備品の供給などを行い、地域の防災体制の整備に協力しています。

チャパタウンでの慰霊祭は、街中から5分ほど離れたところにあるシュウェタンサーパゴダで行います。そのためそこまで移動するのですが、何と署長さんが消防車に乗せてくれました。慰霊団のメンバーは生まれて初めて消防車の、しかも後ろの荷台に箱乗り状態で乗って大喜び。 中島上人まで消防車を楽しんでおられました。



このパゴダは約700年前に建てられた由緒あるパゴダで、耳飾りをした仏様が祭られていることから、その名がつきました。「シュエタンサー」とは、ミャンマー語で金色の耳飾りをした仏様という意味だそうです。しかし耳飾りをしている仏様など通常は有り得ません。 何故、耳飾りをしているのかを尋ねると、大僧正自ら、「その昔、時の権力者が『自分より美しいものなど、この世に存在しない』と豪語しているのを聞いた当時のお坊さんが、彼を戒めるために『いや、もっと美しいものがあります』と言い、この仏像を作らせてその権力者に見せたのです。 絶大な力を誇る権力者も、さすがに仏様に対しては何も言うことが出来ず、黙するしかありませんでした。」というエピソードをお話下さいました。

慰霊祭を行わさせて頂く講堂には既にお供えや花などがセットされていて、我々は早速準備に取り掛かりました。中島上人がおっしゃるには、この講堂のお釈迦様は非常に気難しい性格であり、全てをよりしっかりやらないと駄目だとか。 既に2回開催して慣れてきたところなので気を緩めるな、ということでしょうか。最後の慰霊祭ということもあり、準備にも自然と力が入ります。

午後1時30分、慰霊祭が始まりました。今日は一段と参加者が多く、お寺の僧侶25名、市の宗教局、地域開発局などのスタッフ45名、村人など一般参加者25名、合計100名近い人が参列し、最後を飾るに相応しい立派な慰霊祭となりました。 ただ署長以下、消防署のスタッフも殆ど参列していたのを見て思わず、「いま火事が起こったらどうするのだろう?」と、個人的には変な心配もしてしまいました。しかし、ここら辺のおおらかさがミャンマーという国の非常に大きな魅力でしょう。

最初にウチョーティヤ大僧正からご挨拶、そしてAMDA駐在代表の小林が菅波代表の挨拶文を代読した後、大瀬戸上人がお礼と参加者の紹介をするという前回と同じ形式で慰霊祭は進みます。その後、参列したミャンマーの僧侶によるお祈り、そして中島上人と大瀬戸上人によるご法要へと続きました。

慰霊祭は約1時間20分ほどで無事終了。参列者にジュースなどが振舞われた後、解散となりました。その後慰霊団一行は大僧正のご厚意で、耳飾りのついた仏像を実際に拝見させて頂きました。大きな仏像かと思っていたところ、実物は高さ30cm位の小さなものでしたが、きれいな耳飾りや指輪が異彩を放っていました。 時の権力者に対するこれ以上の痛烈な皮肉はないでしょう。作られた僧侶の機転に感心させられました。そして何と中島上人が、「メッティーラで最初の慰霊祭の時に現れたのは、まさにこの姿の仏様だった」とおっしゃるではありませんか。 耳飾りのついた仏様の存在など知る由もない中島上人が、そのお姿にメッティーラで既に会われていたのです。とても不思議なことですが、こういったことが実際にあるのだということを始めて実体験しました。

慰霊祭を全て終えた慰霊団は、バガンのホテルに戻る途中、バガンの中にあるユアハウンジーパゴダに立ち寄りました。ここは、バガンにあるパゴダの中で、上に登れる数少ないパゴダの一つです。 昔はもっと多くのパゴダに登れたようですが、現在では遺跡保存のため、殆どのパゴダでは登ることを禁止しています。そして同じく遺跡保存のため、パガンにはパゴダ以外に高い建物は全くありません。 従ってパガンの遺跡群を一望出来る場所は登れるパゴダだけであり、特に夕日が沈むころには、登れることで有名なパゴダは大混雑します。しかしこのユアハウンジーパゴダはガイドブックなどにもあまり紹介されていないので、観光客で混雑していない穴場です。 この日はあいにく雲が多く、夕日に沈む遺跡群という光景は見られませんでしたが、それでも無数のパゴダが点在する光景には、慰霊団の皆様も大変な感銘を受けておられたようです。

■11月29日(水)─5日目─

この日は、元々はゆっくりバガン観光をして頂く予定でしたが、中島上人が「バガンにもたくさんの犠牲者がいる」とおっしゃり、その方々のご供養をご希望されたため、急遽、簡素ながら慰霊祭を行うことになりました。 特に少数民族の犠牲者が多く、その方々の供養が必要とのことでしたので、この国の少数民族に多いキリスト教信者のために十字架を手配。供物もぶどう酒などを用意し、イラワジ川が一望出来る高台に位置しているホテルの庭をお借りし、慰霊祭をとり行いました。 仏教にこだわらず、キリスト教でも何でも、大戦の犠牲者を弔われたいという中島妙江上人のお気持ちには大変な感銘を受けました。

この慰霊祭をもって今回の慰霊団の仕事は全て終了。大役を無事務められた中島上人もほっとされたご様子で、ようやく肩の荷が下りたようです。

現地での活動は終了し、バガン空港から飛行機でヤンゴンに戻ります。飛行機はほぼ定時に出発。定時にヤンゴンに到着しました。ホテルに荷物を置いた後、皆様のご希望で、仏教関係の品物を扱う店が立ち並ぶ地域をご案内しました。 ここはヤンゴン最大のお寺、観光地としても最も有名なシュウェタゴンパゴダの東隣に位置し、シュウェタゴンに併設されている僧院学校にも近いので、僧衣や托鉢の壷など、仏教の品物を扱う店が数多く並んでいます。 やはり中島上人も大瀬戸上人も宗教者ですから、こういった品物には非常にご関心が高いようで、珍しい品物について色々質問されていました。

■11月30日(木) ─最終日─

この日は朝、シュウェタゴンパゴダを見学して頂いた後、中島上人ら三名を空港にお送りし、その後大瀬戸上人を宗教省へのご挨拶にお連れする予定でしたが、宗教省の広報局長との面会が朝9時にセットされてしまったため、急遽日程を変更。 シュウェタゴンは遠くから拝むだけで次回のお楽しみとさせて頂き、全員で宗教省を訪問しました。サンルウィン局長はASMP一行を大いに歓迎され、来年以降ももし続けるのであれば、全面的に協力すると力強いお言葉を頂きました。 そして仏教の経典や歴史について、4ヶ国語で勉強出来るコンピュータCD-ROMをお土産に頂き、コンピュータに詳しい大瀬戸上人は「これは珍しい!」と大喜びでした。その後、中島上人ら三名、そして大瀬戸上人をお見送りさせて頂き、プログラムは全て終了しました。

浅学ゆえに宗教に関する知識に乏しく、そのため当初、個人的には「何か失礼があっては申し訳ない」と少し躊躇していたASMP慰霊祭でしたが、慰霊団の皆様の甚大なるご協力によって、何とか無事に終了することが出来ました。 至らぬ点が多く、「あれはこうすべきだった」などと後悔したこともたくさんありましたが、皆様はご不満の様子など何一つ見せず、逆に私を労って下さいました。このASMPを成功に導いて下さった皆様には、本当に心から感謝申し上げます。 そして表面上の形に囚われていた私に対し、ご上人は「宗教は表面上の形式ではなく、心のあり方、中身が大事」だということを、改めて教えて下さいました。

ご参加頂いた皆様、大変お疲れ様でした。来年もまたASMP慰霊祭を開催し、皆様にミャンマーにお越し頂けることを心から願っております。

ASMP(慰霊祭)の意義
─仏教の心が息づく国・ミャンマー─

2000年11月末、ASMP合同慰霊祭のためにミャンマー連邦を初めて訪れました。訪問前、未だ見ぬ慰霊実施先(パゴダ)へのご挨拶を兼ね、岡山で21日間のご祈祷をあげてから現地に赴きました。 滞在5日間は、第二次世界大戦などを含む日本が犯した戦争犯罪に対するお詫び、また日本人及び現地戦没者の霊への慰霊を心を込めて勤めました。また予定の3ヶ所だけでなく、経由地のバガンにて法要の必要性を感じ、ミャンマーに存在する100余の少数民族への慰霊もさせていただきました。 日本国民として、この記念すべき世紀末にAMDAでこのプロジェクトが開始され、参加させていただける機会を得られたことを非常にありがたく思います。 プロジェクトに関係された皆様を含め、日本及び現地の神仏、全の事象への深謝を込めて、帰国後21日間誠心誠意の法要をあげることで戦没者及び少数民族へのご法要を終えました。

また、今回初めて訪れたミャンマーにおいて、日本国民よりも、ミャンマーの人々の中に、“仏教の心”が息づいていたことに気がつきました。日常生活に大切な心が脈々と続いていることを肌で感じたのです。渡航前は想像もしなかったそのことが、1番驚いたことであり、そのことがなにより印象深く残りました。 ASMPプロジェクトは、日本全体からの“懺悔のはじまり”であると考え、貴重な行動を行わせていただいたことをとても嬉しく思います。 開催に際してご尽力いただきました現地の小林さんをはじめとするAMDAスタッフの皆様、またご協力いただいた現地の方々に厚く感謝申し上げます。ありがとうございました。合掌

中島  妙江




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