ASMP特集

合同慰霊祭に参加して

天台宗泰養寺住職 寺田 光寂(岡山県久米郡
AMDA Journal 2001年 2月号より掲載

 この度私が合同慰霊祭に参加するきっかけは、私の寺の檀徒の方が地域の福祉医療について理事長に相談にいかれて、 そのとき私の事が話しに出てからです。

 最初に話を聞いたときは半信半疑でしたが、 理事長と直接話をして現実のものと知り了解は致しましたが私で役に立てるかは大いに疑問に思っていましたが、 『私で役に立ちますか』の問い掛けに理事長が『大丈夫です』の一言で52歳の挑戦が始まりました。 (出発前日の打ち合わせで、関空に行くのは初めてだと言ったことには驚かれていたようですが)

 11月25日、無事関空を出発し機内で出入国カードを渡されたが、 書き方がよく分からないので隣の女の子に教えてもらって記入。 (後で持っていたガイドブックに記入法が書いてあることが分かる)

 夕方、バリ島のデンパサール空港に到着、 入国審査でカードの記入に何か不備を指摘しているようだが話が通じないのですぐ通してくれ、 インドネシアの第一歩を踏み出すが、まだ誰が来てくれるのか解らないのでどうしたものかと思っているとすぐに、 『寺田さんですか』と声をかけられる、『そうです』と返事をすると、 岡山でタンラ先生が写した写真を見せてくれる。

 この人がAMDAのインドネシア代表のタンラ先生が案内役として派遣して下さいましたマシュードさんです。 (日本での就労経験もあり、よく日本語の解る方です)

 その日は、バリ島のヒサダラヤホテルに宿泊するのですが、夕食は外に出て繁華街で頂きました。

 翌朝、デンパサール空港に行き、空路ウジュンパンダンへ。空港には、 タンラ先生が運転手として雇い学資の援助を受けて大学に行っているマクマオ君が迎えに来てくれていました。

 マクマオ君の運転により、ウジュンパンダンのタンラ先生の自宅に行き、先生の奥さんにお会いし、 お茶をいただきました。

 その後は、ウジュンパンダンから約80キロ離れたマリノのタンラ先生の別荘に先生に会いに向かう。 マリノは標高約1000メートル、若者にも人気の避暑地だから、 山道を登って行くと数え切れない程の単車に乗った若者と対向する。(かなり危ない運転が多い)

 マリノの中心部を少し過ぎて先生のお気に入りの別荘に着く、あいさつそこそこに、昼食をご馳走になる。

 その後、別荘のまわりを散策、先生が前の棚田を指差し『私の一番の落ち着く景色です』と教えて下さいましたが私にも非常に見慣れた風景でした。 先生に私の家の近くにこの風景と非常に似通った所があるので写真を送りますと約束しました。

 その後、マリノからウジュンパンダンに引き返し、当日の宿泊先である先生のゲストハウスと思われる別荘に落ち着く、 ここでも先生の資金援助を受けながら別荘の管理をしているバンバン君がいました。(言葉は通じませんが非常に気を使ってくれました)

 この日の夕食は、先生の馴染みのレストランでマシュードさん夫妻・マクマオ君と頂き、 その後沢山の夜店の出ている海岸通りを案内してくれました。

 次の日、空路目的地であるマナドーに行き、慰霊祭の行える場所をさがし、 イスラム教の人たちとの慰霊についてはマシュードさんの親戚の方に仲介の労を取っていただきましたが、 その時はイスラムの断食の時期に入っているとの理由から教会での慰霊祭は出来ないので、 教会の近くの民家で行う事となりました。



 次に仏教寺院での慰霊についてはマシュードさんの高校時代の友人の子の義理の父が紹介してくれました、 その人も非常に熱心な仏教徒で、自分の寺院も建てているような方です。 この紹介して下さったスリヤダルマ寺は、マナドーから奥に約25キロ入った所にあり、 学校を併設すると共に孤児院も兼ねて31人の子供たちも生活していました。 このお寺で目的を説明し次の日の朝お祈りをさせて頂く了解ももらった後、 そこから約20キロ程奥に入った旧日本軍の作った防空壕を見に行きました。

 私自身は、戦争を全く知りません、そんな中で防空壕の中に入った気持ちはなんとも言い表せませんが、 中の案内を全く言葉の解らない小さな女の子がしてくれた事がかえって私になんとも言えない安心感を与えてくれた気がしました。

 この日、イスラムの教会での夜の祈りを終えた人々がすぐ近くの民家に集まり、 今回の目的を集まった人たちに趣旨を説明しお互いに祈りの儀式を行った後『スラマツ マラム(今晩は)。 私は、この地に来て、戦争の犠牲者すべての魂の為に祈りを捧げることが出来た事に大変感謝しています。 犠牲者の魂が私にこの地に来て新しい多くの友人を作らせてくれた事と、戦争により予期せぬ命を失った人々の事を思い起こす事が、 より命の大切さを思い起こす機会となるからです。戦争という、個人の力ではどうすることも出来ない出来事により、 尊い命を落とす事となった人々の魂を慰める為には、今生きている私たちが何をすれば良いのかを改めて認識しなければなりません。 なぜ争いは起きるのか、すべての争いは相手を認めない事により起こります。

 今ここに人類すべての宗教の願いである平和な世界作りの為に今後とも祈ることを、新に誓います』とお礼をこめて、 あいさつさせていただきました。

 仏教寺院での慰霊祭は、今回の最終日の朝行いました。

お寺に到着すると、朝のお祈りがすぐ始まり、私も参加させていただきますと、皆さんが持っている教本を手渡され、 見ると漢文の上にインドネシア語でルビを打ってあり、大部分が私たちが唱えているお経と同じであることに少し驚きました。

 教本を見ているとすぐに子供達が今唱えている所を指差し教えてくれました。

読み方の内三分の二近くは同じ読み方のようであったのは何となく嬉しかったです。

 それが終わり、場所を変えて最初にイスラム教の方々とした時と同じように、 AMDAの理事長のメッセージをマシュードさんが読み上げ、私が祈りを捧げ、同じような挨拶をして終わりました。

 どちらの会場でも同じで、だれでも写真を写してあげると言うと、とても喜んでくれました。 (現在までで、まだ送れていない所が有るのが気になっています、早く送らなければと)特に、 子ども達が喜んでくれたのが嬉しかったです。

 以上が今回のインドネシアでの行動の概略ですが、振り返って考えてみますと、 時間的な制約はありましたがもう少し現地の人々とコミュニケーションを積極的に取ることが出来たら良かったと悔やまれます。

 それと、タンラ先生・マシュードさんには大変お世話になりましたが、 マシュードさんの高校時代の友人のスチプトさん、その息子さん、 息子さんの奥さんのお父さんのアングラヤディ先生(医師)には2日間に渡り大変お世話になりました。 まるで自分たちのお客のようにお世話下さいましたことが大きく心に残っています。

 あっと言う間の旅でしたがお世話下さいました人々のお陰でインドネシアを非常に身近に感じさせて下さったので 又機会があれば行ってみたいと感じた旅となりました事を感謝して報告を終わります。

同時に5カ国で実施 ─ インドネシア(北スラウェシ)
Manado Post Newspaper (マナド・ポスト新聞)
2000年11月30日(木)

全国民のために高まる平和への祈り

 社会的宗教的分野で活躍しているNGOのアムダインターナショナルは同時にアジアの国5カ国 (ミャンマー、カンボジア、ベトナム、フィリピン、インドネシア)で全国民のために合同慰霊祭を開催した。

 インドネシアでは、この式典は北スラウェシ州のマナドとミナハサで実施された。 この儀式にはアムダインターナショナルを代表して寺田光寂氏が、AMDAインドネシアからMashud Tahir氏が出席した。

 アムダインターナショナル代表の菅波茂理事長からのメッセージを代読した寺田氏は、 「アジア5カ国で同時に開催されたこの慰霊祭は、第2次世界大戦に従軍し戦死された勇士の方々のご冥福を祈ると共に その結果として全世界の人々の平和を祈る事を目的としている」と話した。

 寺田氏によると、アムダインターナショナルはこのプロジェクトの準備にあたり出会った全ての人々が 第2次世界大戦による悲惨な影響を受けている事を知った。 また、いまだに多くの人々がこの戦争の後遺症として大きな精神的外傷に悩まされている事も切実に感じた。

 出席者全員で祈りを捧げた後、寺田氏自身が10分間にわたり日本語でインドネシアの勇士の魂と世界平和のために祈った。

 式典後、寺田氏とTahir氏は孤児から記念品の贈呈を受けた。

                      (翻訳 藤井倭文子)




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