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スマトラ島北部洪水緊急医療支援活動
 
AMDAスマトラ島北部洪水緊急医療支援活動報告
 
館野 和之
活動期間 :2006年12月30日から2007年1月19日
主な活動場所 :インドネシア共和国アチェ・タミアン県

1.被災概況
インドネシア・スマトラ島北部で、12月21日から続く豪雨による洪水の被害が拡大し、被災者は推計35万人、100人以上が死亡、数百人が行方不明と伝えられた。最大の被災地であるアチェ・タミアン県では総人口248,219人のうち87,179人が避難し、1,607軒の家屋が全壊した。(1月1日タミアン政府当局の発表による)。洪水で今期の農作物は収穫をまったく望めず、備蓄してあった食糧と農作物の種苗は水に漬かったため利用できない。インフラと家屋の復旧に向け、泥や瓦礫の撤去は遅々として進展していない。
 現在、洪水の水は引いたが、洪水後の環境悪化を原因とした感染症の蔓延が懸念されており、特に衛生問題と給水システムの再建が喫緊の課題となっている。


洪水の被害を受けた川縁の家屋
AMDA所属 支援活動参加者(活動参加人数: 医師12人 看護師9人 調整員4人  計25人)
氏名 職責 所属 略歴
金山 夏子
(かねやま なつこ)
調整員 AMDAアチェ事業統括 スマトラ島沖大地震・津波緊急医療支援活動・復興支援事業に従事(2005年1月〜現在)
梶田 未央
(かじた みお)
調整員 AMDAアチェ事業派遣調整員 ジャワ島中部地震緊急医療支援活動(2006年5月)・ジャワ島津波緊急医療支援活動(2006年7月)に従事
Nithian Veeravagu
ニティアン・ヴィーラバグ
調整員 国際貢献大学校上席研究員(前AMDAスリランカ医療和平事業副統括) スマトラ島沖大地震・津波緊急医療支援活動(2004年12月)・フィリピン台風21号緊急医療支援活動(2006年12月)に従事
Yose Waluyo    医師 AMDAインドネシア支部 アチェ復興支援事業・ジャワ島中部地震緊急医療支援活動(2006年5月)に従事
Firdaus Kasimu 医学生 AMDAインドネシア支部
2.活動の経過
12月28日 スマトラ島北部洪水緊急医療支援活動の開始を決定
12月29日 夜、ザイナル・アビディン病院の医療スタッフ(医師3名と看護師5名、調整員1名)と金山調整員、ランサに向けて出発。梶田調整員はメダンに向けて出発
12月30日 タミアン県クルア・シンパンのウマム・デラ・タミアン病院支援を開始。
ニティアン調整員メダンに着任。梶田調整員と合流。医薬品の調達に入る。夜半、ランサに移動。金山隊と合流。
12月31日 アチェとメダンで調達した医薬品の寄贈を実施。スンガイ・ユー市周辺の村落調査を開始。
病院に来院する患者数がすでに減少傾向であることを確認した。診察数は、23日−27日で1165人。28日から29日、344人。30日、202人。31日、85人。1月1日87人。
1月1日 スンガイ・ユーの調査を継続。この地での巡回診療実施を決定した。
マカサルよりYose Waluyo医師がメダンに着任。
1月2日 地域保健省に医療スタッフのリストと寄贈医薬品のリストを提出。
オチェ医師、メダンにて医薬品の買い付け。
ニティ氏、ランサのタミアン県保健省にて医療調査結果の報告。梶田氏アチェ事務所に帰還。これ以降アチェより活動の後方支援を行う。
1月3日 ベンダハラ地域にて巡回診療を開始。
1月4日 スカ・ジャディ村、スカ・ダマイ村にて巡回診療。
1月5日 ツゥラガ・ムクサ村のモスクで巡回診療を実施。
ザイナル1次隊医師7人と看護師4人はアチェに帰還。
1月6日 ザイナル2次隊(医師4名、看護師4名)がランサに着任。
ザイナルの医師スンガイ・ユーの保健センターに移動。
オチェ医師、メダンで巡回診療用の医薬品を買い付け。
1月8日 スンガイ・ユー保健センター支援を開始。救急外来と入院患者のケアを行う
1月9日 ラントゥー・パクップにて巡回診療。患者のほとんどが成人。
1月10日 保健センター、病院支援を継続
1月11日 ツゥルク・ハルバン村、ツゥルク・カパヤン村にて巡回診療。患者のほとんどが成人。12歳以下の患者は15名のみ。
巡回診療完了
スンガイ・ユー保健センター支援活動(入院患者数:7人)
タミアン病院(救急外来部)支援(救急外来患者総数:25人)
医師2名、看護師2名を派遣。状況は日に日に安定してきている。主な疾患は気道炎、胃腸炎、外傷
1月12日 保健センター、病院支援を継続
1月13日 ザイナル2次隊、離任。
1月14日 AMDAインドネシア支部、Firdaus Kasimu医師が着任。
1月15日 ザイナル3次隊(医師1名、看護師1名)が着任。
スンガイ・ユー保健センター支援
1月16日 スンガイ・ユー保健センター支援継続
1月17日 保健センターにおける医薬品の在庫を調査。保健センターに来院した患者の多くが上気道感染症、アレルギー、発熱の症状に罹患していたことが裏付けられた。
同日、地域保健省から感謝状が授与された。
1月18日 タミアン病院と保健センターの支援を継続
1月19日 活動完了。ニティ調整員、カシム医師、ザイナル医師団離任。

3.支援概況
(1)タミアン病院支援
 AMDAは被害の甚大さを鑑み、28日、緊急医療支援の開始を決定した。AMDAバンダ・アチェ事務所は、ザイナル・アビディン病院の医師・看護師と緊急医療支援チームを結成し、30日、被災地のタミアン県クアラ・シンパン市ウムン・ダエラ・タミアン病院(以下:タミアン病院)救急外来病棟で診療を開始した。

31日、100人分の医薬品を病院に寄贈し、1月1日までに約400人の患者を診療した(病院に寄贈した医薬品一覧は、表1を参照)。看護師の多くは被災し、救急外来病棟の人員不足は顕著だった。医療チームは病院側からの強い要請を受けて支援を実施した。
診療した患者総数は、251人(男性143人、女性108人)。主な症例は、外傷60人(男性42人、女性18人)上気道感染症49人、胃腸炎38人だった。

表1 寄贈医薬品リスト
NO. 医薬品名 数量
1 OBH (咳止め) 100本
2 オメドン(吐き気止め) 300錠
3 パラセタモル(鎮痛解熱剤) 100本
4 ペディアライト(下痢・嘔吐止め) 100錠
5 ビタミンB複合 500錠
6 去痰剤 100錠
7 ラクボン(下痢止め) 600錠
8 抗真菌クリーム 100本
9 点滴セット 100セット


(2)巡回診療
 医療チームは2006年12月31日、2007年1月1日にスンガイ・ユー市周辺の調査を実施。トゥルク・アルバンおよびトゥルク・バルの2村において皮膚疾患と下痢の症状が顕著であり、医療サービスにアクセスすることが非常に困難であることが判明した。医療チームは地域保健省の許可を得て、巡回診療の実施を決定した。
 1月3日よりベンダハラ周辺の村において巡回診療を始動し、11日までに合計1,022人の患者を診察した。
患者の主な症状は上気道感染症、皮膚発疹、真菌感染症、外傷、下痢症、高血圧症であった。(巡回診療を実施した村と患者数は表2を参照)
 巡回診療地である村々は、車両でのアクセスが困難であり、ボートを使って訪れた。また、車両での往復が可能なところでも各地で橋が破壊されており、ココナッツの幹で補強している状態だった。
表2 巡回診療実施地と患者数
日 時 巡回診療実施地
患者数 
主な疾患
1月 3日 ルブク・バティル村、トゥンプ・テンガ村、デサ・タンジュン村
138人
上気道感染症、発信、真菌性皮膚感染症、外傷、下痢、高血圧
1月 4日 スカ・ジャディ村
スカ・ダマイ村
85人
197人
気道感染症、皮膚炎、筋肉痛、高血圧
1月 5日 ツゥラガ・ムクサ村
432人
 
1月 9日 ラントゥー・パクップ村
72人
上気道感染症、真菌性皮膚感染症、発疹、高血圧、下痢。
1月11日 ツゥルク・ハルバン村
ツゥルク・カパヤン村
98人
上気道感染症、下痢、真菌性皮膚感染症、発疹、高血圧
5日間 9村
1,022人
(3)保健センター支援
スンガイ・ユー市保健センターの看護師15名のおよそ半数が洪水で被災した。このため、継続して勤務できない状態が続いている。保健センターに所属する医師2名は、巡回診療、予防接種、保健教育をカバーするため周辺22村を訪問しなければならない。
 そこで、AMDAは地域保健省との合意の下、ザイナル病院から医師2名、看護師2名を派遣し、保健センターの外来診療と入院患者のケアを担当することにした。所属医師の不在時には、実質的に保健センターを運営したのである。1月8日−11日の外来患者数は平均80人。その後、漸減した(表3参照)。主な疾患は上気道炎、胃炎、胃腸炎、外傷。保健センターは24時間体制で運営され、AMDAの寄贈した医薬品は夜間診療に大いに役立った。
表3 スンガイ・ユー保健センター外来患者数
外来患者数 主な疾患
1月8日−11日 平均80人 上気道炎、胃炎、胃腸炎、外傷
1月15日 45人 上気道感染症、急性胃腸炎、皮膚炎
1月16日 34人 上気道感染症
4.支援を終えて
AMDAは、スマトラ島沖大地震・津波発生(2004年12月26日)直後の緊急救援、及び復興支援を現在まで継続してきた。発生直後の緊急救援時、ザイナル・アビディン病院を拠点として、緊急手術、診療や投薬、壊滅状態になっていた病院システムの構築、及びICU病棟や破傷風患者などに対する特別病棟の設置を行った。その後復興支援として、同病院に対し、麻酔科医師派遣支援と看護師派遣研修を実施してきた。
また、AMDAは同病院で実施された「行政担当者向けの医療機関緊急時対応研修(HOPE)」「外傷に対する初期治療の向上を図る研修プログラム(ATLS:Advanced Trauma Life Support)」などを支援してきた。今回の医療支援チームに参加した医師・看護師はこうした研修プログラムを担当あるいは受講経験を持つ者が多い。
たとえば、今回の医療支援活動について、ザイナル・アビディン病院側の最終意思決定者であったタヒブ副院長はHOPEの参加者である。また、病院側の運営責任者となった救急病棟長アグス医師もHOPEに参加している。
今回の迅速なチーム編成と被災地への派遣は、両者の密接で良好な関係と研修成果によるものといえよう。ザイナル・アビディン病院にとってはこれまでAMDAの支援の下で培ってきた緊急事態へ即応する潜在力が発揮できるかどうか試す機会となった。また、ザイナル・アビディン病院のみならず、タミアン病院もAMDAとの関係強化を強く望んでいる。こうして今回の医療支援活動を通して構築・強化されたネットワークは、今後この地で起きる自然災害への即応に大いに寄与すると期待されよう。
最後に、ご支援を賜った皆様に心から御礼を申し上げます。
 
アチェの医療従事者と共に行なった、アチェでの緊急医療支援活動
−アチェ・タミアン県で築いた新たな経験−
 
金山 夏子
はじめに: AMDAとザイナル・アビディン病院
 「『AMDAが緊急時に医療従事者を必要とする時、ザイナル・アビディン病院は必ず人材を提供します。』 私は、AMDA本部でこう菅波代表にお伝えしたんです。」 日本での3ヶ月間に及ぶ研修を終え、アチェに戻ったザイナル・アビディン病院緊急病棟長アグス医師は、昨年11月、私と行なった病院内でのミーティングで、熱くこう語られた。

 アチェ州立ザイナル・アビディン病院とAMDAの関係は、3年前の津波被災直後から始まった。何十という国際機関が一同に支援を提供したアチェ最大の病院であるが、津波被災後、真っ先に支援に入ったのがAMDAであった。2005年3月までの緊急フェーズ3ヶ月間、本棟二階にある、院長用会議室をAMDAの宿舎兼事務所として提供していただいたことで、病院内またコミュニティーへの支援活動を円滑に実施できたことに対しては感謝に絶えない。

 また2005年5月から復興支援が始まり、AMDAのカウンター・パートナーとして、主に緊急時に対応できる人材育成事業を約一年間実施してきたことは、AMDAジャーナルでもこれまでも紹介させていただいた。多くの国際機関が、病棟の修繕・改善、医療器具の寄贈など、ハード面の支援に集中する中、「医療従事者が一挙に激減した今、特に救急に対応できる人材を必要としている。」という病院長の言葉を受け、麻酔科医派遣支援活動・看護士派遣研修支援・HOPE(医療機関緊急対応研修)・ATLS(救急医療資格取得研修)を行なった。これらの支援活動を実施する中で、AMDAとザイナル・アビディン病院、特に救急病棟・外科病棟・ICUとの間では、活動の運営を通じ人間関係が、人間関係を通じパートナーとしての信頼関係を構築する事ができた。そして、その信頼関係が協力関係として深まり、今回の北スマトラ北部洪水緊急医療支援合同活動が可能となったのである。

アチェ・タミアン県での緊急医療支援活動開始
 「ザイナル・アビディン病院は、12月27日に第1次医療チームを派遣した。」との報告を受け、その第1次チームの司令塔が救急病棟長のアグス医師、現場統括は麻酔科医派遣支援を共に行ったジャマール医師、医師調整員が紛争後の南アチェ県でAMDAの巡回診療に従事した二ジャルリ医師であることを聞き、「ザイナル・アビディン病院が支援を必要とする時、AMDAに必ず連絡を下さい。」と返答した。そしてその直後、ジャマール医師からは医薬品の調達、アグス医師からは第二次医療チーム派遣の支援が依頼がされ、AMDAは支援を決定。12月29日深夜、AMDAとザイナル・アビディン病院との合同緊急医療支援活動が開始されたのである。

 AMDAスタッフが、ザイナル・アビディン病院医師らと現地入りしたのが12月30日早朝。被災直後2メートルに及んだ浸水の水はすでに引いていたが、泥の堆積と舞い上がる粉塵が酷い中、被災者らは気が遠くなるような住居や家具の清掃を、黙々と行なっていた。当時の病院内の状況としては、県立病院のスタッフの多くが被災者となったため、救急医療従事者が急激に不足し、ザイナル・アビディン病院の救急病棟に勤める医師と看護士らが投入された。その一方でAMDAの調整員チームは、被災地の情報に精通している現地NGOを訪問した。

 「今、届けられている支援にギャップが生じ始めています。最も被害を受けながらも、交通網が遮断されたために支援が届いていないスンガイ・イユ郡にAMDAは入ることが可能ですか。」
「AMDAとしてはその現場を是非見たい。現場へ行くための交通手段の確保と、村民と我々を繋ぐ橋渡しの役割をお願いします。」
「それでは、ボートと調整役をしている現地のボランティアを提供しましょう。」

 この翌日の大晦日である12月31日、AMDA調整員チームはスンガイ・イユ郡での現地調査を開始。30cmほど堆積した泥道を素足で歩き情報収集を行なった。
「通常は群の中心部から車輌で20分程度の陸路が完全に不通となったため、この村までは2時間半をかけて漁船で川を渡らなければなりません。その上堆積した泥はこの有様です。医療チームはこの村までは来ることができませんでした。」
「では、AMDAの医療チームが入りましょう。」

 この現地調査の後、アチェ・タミアン県保健省およびスンガイ・イユ郡保健所に現場の状況と、AMDAとして巡回診療を実施する意思を伝え、両者からも支援の依頼を受けた。病院での医療活動に従事してきたザイナル・アビディン病院の医師らとも調整を行い、医療チームを二分し病院とコミュニティーでの診療活動を同時並行で行なうことを決定する。

 またその翌週、アチェ・タミアン県保健省の新たな支援アプローチとして、各NGOは郡単位で支援を行っていくとの報告を受け、AMDAは引き続きスンガイ・イユ郡の担当となった。更に、郡保健所が一刻も早く通常の機能を回復することができるよう、ザイナル・アビディン病院からの医療チームを三分し、医師と看護士をスンガイ・イユ郡保健所にも投入した。「AMDAから派遣されたザイナル・アビディン病院の医師と看護士により、24時間体制で入院患者を受け入れ、緊急手術を行なうことができています。患者は他の郡からも来ているほどです。」とは、群保健所の医師と所長から受けた言葉である。

 

 


アチェ津波

被災村の代表者にニーズ調査を行う金山調整員とニティアン調整員

地元 NGOとのミーティング(右からニティアン、アルディ、金山)

医薬品の支援

2005年ザイナル・アビディン病院での
麻酔科医育成支援

 アチェ・タミアン県立病院救急病棟支援、スンガイ・イユ郡保健所支援、離村での巡回診療、この三つの支援活動を実施するため、限られた時間の中で迅速に人員を投入できたのは、夜の陸路で9時間とはいえ、やはり州都バンダ・アチェからの医療チーム派遣が可能となったからであろう。「AMDAとザイナル・アビディン病院からの支援を受けた三週間の間で、被災した地元看護士らは帰職し始め、今後は我々でこの病院と保健所を運営することが可能でしょう。」1月19日、その言葉を県立病院長と保健所長から受け、ザイナル・アビディン病院の医療チームは1月20日、バンダ・アチェへの帰路についた。

おわりに
 アチェ・タミアン県での支援活動の中枢メンバーが、これまでAMDAの事業に参加してきた医師らであったことは、現場での支援活動を迅速にまた円滑に運営する最善の環境となったことは言うまでもない。そして、ザイナル・アビディン病院医師としての名札をつけ、AMDAの腕章を腕に付けた医師チームらの活躍は、津波から二年間支援活動を継続し得ることのできた、AMDAにとっても最良の経験と言えるのではないだろうか。今回新たに築いた協力関係により、AMDAとザイナル・アビディン病院双方の間で自信と信頼がより深めれた。今後起こりうるアチェでの自然災害時、この信頼と経験が更に人々のために生かされることを強く望むものである。

 「ザイナル・アビディン病院の医師と看護士にとっても、この救援活動は非常に良い経験となりました。AMDAが再びアチェからの医療スタッフを必要とする時、ザイナル・アビディン病院の救急病棟は必ず医師と看護士を提供します。」緊急救援活動終了後、救急病棟長のアグス医師は派遣された医師らと共に、再びこう熱く語られた。

 
 
 


 

 

 

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