その点を問題視したAMDAと県保健局では、タミル語・シンハラ語で実施する研修を組み、また、地元の人材を講師として使うことを心がけました。特に助産師の研修においては、地元医師から研修を受けることにより、医師・助産師の連携を深めることを一つの目標とし、また、その研修をうけた助産師が、次は保健ボランティアを教えることにより、助産師・ボランティア間の連携を深めるということも目標としました。
本事業で行われた研修の目的は、助産師や医師の一人一人の能力を高め、医療従事者間の連携を強化することですが、最終目標は、研修を受けた人々が、その成果を地域住民に裨益させていくことです。研修により高められた知識や技術を最大限に利用し、地域で治療や予防活動として実践する、ということです。そのため、研修のフォローアップに特に力を入れ、数々の地域活動にAMDAも参加してきました。AMDAは直接地域活動は行わず、助産師やボランティアの活動を支え、その活動の結果を話し合い、次の戦略を練ることに協力してきました。モニタリングや評価を県保健局に伝えるなどし、助産師や医師が自発的に活動していける仕組みを作ってきました。
事業の成果
上述の活動が功を奏し、助産師による地域活動は活発化し、特に地域の周産期女性の母子保健に対する知識の向上が見られました。また、彼女らの行動にも変化が表れ、より予防的な行動をとるようになりました(当団体質問調査より)。地域での輸送、搬送システムも改善し、ワウニア県の周産期死亡、乳幼児死亡共に減少が見られました。地域での家庭分娩は激減し、地域病院の利用率の上昇、総合病院の一極集中も事業開始前と比較し、10%の減少がみられました。
もちろん、まだまだ問題点はたくさんあります。基礎的な知識は向上したとしても、改善すべき点は多々あります。妊娠の危険兆候がわかるようになったとしても、それを予防する方法を身につけ、実践していかねばなりません。また栄養に関する知識を得ても、実際にそれらを接種しなければ意味がありません。課題はまだまだありますが、事業開始時期に設定した、地域住民のうけられる保健サービスが拡充すること、周産期女性の基礎的な妊娠出産に関する知識が向上すること、等の目標は概ね達成されました。
事業実施における困難・・・
事業を実施していて、一番難しいと感じたことは、助産師や、地域病院で働く医師の意識改革です。彼・彼女らの多くは「一生懸命働いたところで、誰にも評価されない。たくさん働くだけ損だ」という考えを持っていました。また、「村の人たちは無知だから、一生懸命教えたところでたいした結果は出ない」という考え方も根強く残っていました。助産師や地方病院の医師らの待遇はけっしてよいものとは言えず、また、地方病院医師においては、ワウニア県で働くことは、ある意味「島流し」的にとらえており、仕事に対する意欲は低いものでした。配置された直後より次の就職活動を始め、半年もたたないうちに他県へ移動してしまった医師が6割を超えます。
この意識を変えるために私たちがとった活動は、地域住民の声を伝えることでした。質問調査や統計調査を行い、その結果を助産師や地方病院医師らに伝えることにより、問題点を明確にしていくと共に、改善された点を大きく取り上げ、助産師らの働きがいかに地域住民の意識や知識に影響を与えるかということを伝えるという点に力を入れました。また、各地域で集会を行い、保健ボランティアと助産師でその地域の問題点を話し合い、それを解決するための活動を実施し、その評価を行い、結果を県保健局に報告する、という活動をしてきました。「誰かにみられている、誰かに評価されている、私の活動が地域の人や保健局の上部の人たちに伝わっている」そんな気持ちをそれぞれの医療従事者にもってもらい、意識の変革に努めました。
徐々に助産師や医師らの意識は変わってきました。自分たちの行動がどれだけの人たちに影響を与えるか、教えることや、実演することでどれだけの人がそれを理解し、実施してくれるかを、身をもって感じることができるようになったのだと思います。もちろん、全員が全員、変わったという訳ではありません。しかし、確実に事業実施前との違いを見ることができます。
この意識の変化と共に、活動にも変化が見られました。職務に対する充実感を見いだすことができてきたのだと思います。そしてそれは地域保健医療の向上へと結びついて行きました。
もう一点、上述のこととは少し毛色が違いますが、難しいと感じた点があります。
それは、停戦中であるとはいいながらも、各地で続く小競り合い、爆弾の投げ込みや銃撃戦が行われる中、どのように事業を実施していくか、という点です。停戦中とはいえ、北東部では政府軍とLTTE軍のお互いの挑発行為が続いていました。仕掛け爆弾や銃撃戦、両者が両者を責め、お互いの立場を悪くしようという試みが続いていました。時にそれは活発化し、何日も続けて起こることもありました。また、縄張り争いのような殺し合い、資金集めのための恐喝、強盗行為なども頻繁に見られました。外国人や外国のNGOが襲われる可能性はほとんどありませんが、日常起こる事件にたまたま居合わせて巻き込まれる、という可能性は否定できません。戦争や内戦など経験したことのない私にとって、これらの事件に対しての行動予測は大変難しいものでありました。状況が悪化するのか、それとも沈静化に向かうのか、昨日は爆弾事件が多発したが、今日はどうなるのか・・・ これらの状況と共に生きてきた地元の方々は、特に怯えることもなく、「大丈夫よ、何とかなるわ」といって毎日の業務を続けていました。しかし、スタッフや関係者を危険に巻き込むようなことは絶対に避けなければなりません。自分たちや関係者の安全を確保しつつ、事業を遅延なく進めていくための判断は大変難しく、頭を痛める毎日があったのも事実です。
2年間を振り返って
この2年間を通し、事業の成果を出したいと、一生懸命がんばってきました。反面、事業を実施しながら、常に「本当にこれでいいのだろうか」という疑問も持ち続けてきました。私たちにとっては2年間ですが、地元の人々にとってそれは長く続く毎日の中のほんのひとときでしかありません。私たちが持つ「この2年間での成果を」という考えと、地元の人々の事業に対する取り組みかたは全く違ったものです。
県保健局側にとっては、AMDAは特別な存在でもありますが、変わりのきく単なるひとつのNGOでもあると思います。私たちとしては「AMDAでなくてはできないこと」「AMDAだからできること」という独自性を活かして事業を進めてきたつもりです。しかし、その思いは単に私たちだけのものであって、それを県保健局側、スリランカ人側に押しつけることはできません。彼らにとっては結果さえよければ、誰であろうと、何であろうと大差がないわけです。 この事業における日本人の、そしてAMDAの介入は、現地の人々にとって有益なものであるのか、それともそうではないのか、という疑問を常に頭の中に抱えていました。2年間やってきて思うことは、当たり前のことのようですが、やはりそのどちらも存在する、ということです。私たちの介入が、プラスに働くこともあれば、マイナスに働くことももちろんあるのだと思います。しかし、結果的にそれが以前の状態と比べ、少しでも改善の方向に向かっているとしたら、それはやはり「意味あること」であるのではないかと感じています。そしてこのAMDAの2年間の活動により、改善を見たものは、少なくともマイナスに働いたものよりは多くあると感じています。
どこの国でもどんな人々も「健康になりたい、健康でいたい」という気持ちは変わらず持っていると思います。治せる病気を治すこと、死ななくてもいい病気で死なないこと、飢えをなくすこと、それらに向かって活動していくことは、やはり「意味あること」だと思っています。
一つの事業が終わりましたが、それはワウニア県の保健システムへのニーズすべてが満たされたという訳ではありません。まだワウニア県では多くの人が問題を抱え、より充実した保健サービスが望まれています。AMDAはこの事業で作り上げたものをよりよい方向に進めていけるよう、県保健局と協力しながら、次なる事業を実施していく予定です。
少しでも多くのスリランカの人々が「健康である」という恩恵に携われるような環境作りの手助けを、AMDAを支えてくださっているみなさまの協力と共に、実施していきたいと考えています。
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