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2006年度静岡県・浜松市総合防災訓練内
広域医療搬送訓練報告

【訓練概要】
日程:2006年8月31日(木)から9月1日(金)
会場:航空自衛隊浜松基地
参加者(括弧内は専門/所属):
 矢野 賢一(外科医/聖隷三方原病院)
 上田 明彦(小児科医/ERN登録医師)
 鵜野 明美(チームリーダー/看護師/武田総合病院/ERN登録看護師)
 渡邉 美英(看護師/ERN登録看護師)
 山田 裕子(看護師/洛西ニュータウン病院/ERN登録看護師)
以下3名、本部職員:
 小西 司事業部長(統括調整員)
 館野 和之(通信記録担当)
 佐伯 美苗(調整員)
スーパーバイザー:
 岡田 眞人医師(聖隷三方原病院院長補佐)
 早川 達也医師(聖隷三方原病院ICU部長)


SCU・AMDAチームによる治療

【災害設定の概要とAMDAの役割・目的】
 9月1日午前9時30分、マグニチュード8.0の地震が遠州灘にて発生。浜松市各地に設けられた救護所と日本赤十字社の救護病院に多数の傷病者が運び込まれる。
 広域搬送開始の発令を受け、午前10時30分、上記日赤救護病院、ならびに静岡県西部の災害拠点病院3ヶ所より、安全な被災地圏外の病院での治療が緊要と判断された重篤な患者を、航空自衛隊浜松基地に設置されたSCU(ステージング・ケア・ユニット:救護、患者輸送の中継拠点)に向けて、ヘリによる移送開始。
 AMDAは、外部からの救援団体としてSCUでのトリアージならびに救護活動、またヘリ搬送への支援の要請を受け、SCUに合流。

 AMDAでは長らく静岡県の訓練に参加させていただいており、広域医療搬送訓練の開始後には、とくにこの訓練に参加することになった。とくに04年度、05年度の2回の広域医療搬送訓練では、搬送を支援する援助者として参加し、根本的な限界(例えば予算の不足)は残るものの、それぞれの回で課

題を見出し、事故なく取り組んできた。つまり、広域医療搬送という大がかりな枠組みに「県外から被災地に入った医療援助団体」として入り、一定の役割を果たす一方、現状での課題も明らかになっている。

 今回の訓練はその集大成ともいうべき回であり、なおかつ今回の訓練は、参加機関が少なく、中部地方のチームのみの参加が計画されていたため、地道で丁寧な訓練が期待できた。
 このため、今回の訓練には次の目的が加えられた。
1)これまでは、患者引継ぎなど他のチームとの連絡を正確に行うことに重点があったが、それに加えて今回はチーム編成を変更し医療チーム内の連絡系統を整理すること。具体的には、連続参加の鵜野看護師をチームリーダーとし、連絡調整の要とした。
2)これまでは扱った患者の詳細な状況が手元に残らなかったため、後日のデータ分析が可能なかたちでAMDA側に記録を残すこと。
3) 停止していた衛星通信訓練を再開し、衛星通信システムの改善を図ること。

【広域医療搬送=医療+物流】
 周知の通り、静岡県は予測されている東海大地震において最大被災地となりうることが指摘されて久しく、同県では「減災」を掲げ、県民の生命と財産を守るため、全国に類を見ない高度に組織化されかつ実践的な訓練を毎年9月1日に実施している。
 とくに、4年前より「広域医療搬送訓練」が並行して行われるようになり、国の機関との連携も訓練のひとつの主眼とされ、県内外から官民合わせて多くの機関が参加し、継続されている。
 広域医療搬送は、まだひろく国民の耳目に親しむというべき制度ではないが、災害医療のひとつの手段としてますます重要視されている。

ヘリで運ばれてきた患者をSCUに運ぶ地上搬送班
 傷病者をなるべく多く的確に診療する被災地の救護所や各病院での救護活動と並行して、重傷のけが人、そして病院が被災したために適切な治療を受けることが困難な重篤な(または重篤に陥るであろう)患者を安全な専門病院に空路で手配する、いわば「医療+物流」のシステムが、この広域医療搬送システムである。
 近年、救急救命においてはドクターヘリシステムが浸透しつつあり、その経験が臨床現場で積み上げられてきたこと、災害医療においては厚生労働省によりDMAT(災害医療支援チーム)の整備が各都道府県で進められていることなどが複層的に影響し、広域医療搬送システムの構築が進められている。
 ところで、搬送を決定するトリアージは、患者の症状により治療優先順を判断する方法である。重傷であればあるほど先に搬送されるというのではなく、災害医療現場において、乏しい医療資源と人材を有効に活かすために、またできるだけ多くの被災者に効率的に治療を施すために行われる、患者の分類である。
  広域搬送には、ハブを設置し、これを近年SCUという概念を用いる。SCUに搬送される患者は、被災地域外の災害拠点病院で治療を受けることが適切、と病院で判断されたことが前提となるが、SCUから治療可能な各地の災害拠点病院に受け入れられるまでには、各地の受け入れ病院の態勢と航空管制が整い次第、医療職の判断に従って、例えば浜松市から再度1時間以上もヘリに揺られ、着いた飛行場から陸路で病院に送られる、その時間と道のりに耐えうる状態であることも前提条件となる。
 今回の訓練では、搬入された患者全員に対して、埼玉、青森、福岡を目指して再度搬送を要するとの判断が下された。
【訓練の流れ】
 8月31日、岡山より本部職員3名車輌で出発。午前中京都で看護師2名、夕刻浜松駅にて残る医師、看護師と合流。聖隷三方原病院に入り、岡田医師、早川医師、矢野医師と打ち合わせ。夜間、最終打ち合わせ。
 9月1日朝9時、未明から続く大雨の中、浜松基地に入場。SCUの設置場所とされる消防小隊格納庫に入り、受付、医療チームと通信担当に分かれて機材の準備、全体ブリーフィングなど準備を開始。
SCUは、A、B二つのユニットに分かれ、各1チームが担当する。AMDAは単独でBユニットを担当。強い雨のため、患者搬入の計画が大きく変更。ヘリ班として予定していた人員もSCUに振り分け、全員であたることになる。
 9時45分、最初の患者の搬入、Aユニット(JVMAT/労災中京病院担当)へ。9時50分、二番目の患者がBユニットに搬入される。
 10時半ごろ通信訓練を完了、担当の館野も医療チームに合流。


模擬患者になって
 この後、BユニットのAMDAチームにてさらに4名の患者を受け入れ、それぞれ被災地外への搬送が適当と判断され、患者を搬出ヘリに引継ぎ。12時ごろ、すべての患者が搬出され、機材撤収。
13時訓練終了。浜松駅にて昼食兼反省会を行い、事務処理を完了。3名は駅にて解散、京都にて1名下車、23時、本部に帰着。
【訓練の成果と課題】
 1) 連絡調整:チームリーダーを定めて連絡ポイントとするだけでなく、トリアージ結果や診断内容のフォーカルポイントとして固定するなど、さらに役割を明確にするべきであった。
 2) 患者データ:これまでは、扱った患者のデータが、外部団体である我々には残らず、特に医療職にとっては訓練成果が蓄積されにくく、「その場限り」で終わる傾向があった。このため、扱った患者の設定症状、診断とトリアージ、搬送順など、患者ごと写真と口述筆記でおさえてゆくことで解消しようとしていたのだが、今回は、全くの偶然により、すべての記録が入手できた。

 しかし、ここにも陥穽はあり、記録と患者写真が一致しない、記録形式が医療情報に偏るために患者の動きが不明瞭、といった大きな問題点が指摘された。今後は、医療チーム独自に「受付」を構え、患者の動きを把握することに焦点をおく形式の記録をとり、医療情報と照合できるように整えることが必要と思われた。
 3) 今回は、通信訓練にはお誂え向きの大雨であった。半屋内での衛星補足拠点の設置時に
は、県の担当職員も同じ場所でそれぞれ同様の作業に入っており、作業のしやすい環境だったといえる。通信事情に問題はなく、画質をやや落とさざるを得ないものの、無事本部で画像とメールを受診し、通信訓練を完了した。
【最後に】
 前日までの晴天と打って変わって、非常に激しい雨となった9月1日であった。10m先が煙って見えず、声を張り上げないと会話も出来ぬほどの強い雨である。しかし、訓練に影響のあるはずもなし、と高を括っていたら予定は大幅変更・縮小が発表され、医療職の落胆は明らかであった。
 予定変更によりいささか慌しい訓練開始となったが、搬送ヘリが中止となったために医療職は全員SCUでのケアに入ることになり、診療面では丁寧な訓練ができたのではないかと思う。
 ロジスティクス面では、いみじくも上田医師が前夜の最終打ち合わせで「宅配企業が参入しないだろうか。きっとそのノウハウが活かせるのに」と言われたが、まさしく「物流システム」の整備の必要性を痛感することになった回であった。
 今回も多彩なメンバーに恵まれ、お互いによい刺激となったことと思われる。訓練前夜は遠州灘の旬の皿を囲みながら、互いの近況報告から現在の救急救命医療の抱える課題などまで飛び出し、にぎやかなうちにも真剣に議論する場ともなった。防災訓練のひとつの目的は、災害時を想定していかに事故を避け、かつ効率よくチームに合流し、被災地に入るか、そしてそれぞれの自宅に戻ることができるか、という点も挙げられるが、変更も生じたが、たいへん自律的かつ協力的に合流・解散まで完了することができた。関係各位の尽力に感謝を申し上げる。
 


 
 

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