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グアテマラ豪雨災害医療支援活動報告
 AMDAホンジュラス 渡辺 咲子(医療調整員)
中米グアテマラ共和国では、10月にハリケーン「スタン(STAN)」による集中豪雨に見舞われ、被災者約45万人、死者・行方不明者約1500人(10月28日現在 国連報告)と伝えらた。AMDAは特に被害が大きく孤立状態となり、医療ニーズが非常に高いグアテマラ西部サン・マルコス(San Marcos)県在住の日本人コミュニティからの支援要請を受け、同国厚生省県保健局及びJICAグアテマラ駐在員事務所の協力のもと、医療支援活動を実施した。
 災害発生当時、ホンジュラスでもグアテマラの被害は毎日のように大きく新聞やテレビで報道されていた。AMDA本部から連絡があるのではないか?この状況は日本ではどのよう報道されているのだろうかと、インターネットで毎日、日本の情報を得ようとしても、中米に関する記事はほんの僅かであった。
そんな中、パキスタン北部地震発生、グアテマラ災害は忘れられた存在となった。
 AMDAホンジュラス事務所では、エルサルバドル大地震医療救援経験のあるスタッフが「グアテマラ救済はAMDAの使命ではないか、必要としている人達がすぐそこにいるのに、なにもできないのか、僕はいつでも出かけられる。」という言葉が飛んできた。ホンジュラスから空路1時間、陸路でも12時間で首都グアテマラ・シティに到着できる。手の届くところに助けを必要としている人がいる。
 災害被害の情報が復興事業情報に変わりかけてきた中、「AMDA医療救援に関して、独立行政法人国際協力機構(JICA)グアテマラ事務所が調整業務の協力を行っていただける、日本からは沖縄支部の医師を1名派遣する、ホンジュラスでもスタッフの手配を」と、本部から連絡が入った。早速、AMDAホンジュラス協力医師達に連絡。
 11月7日、ホンジュラス事務所スタッフと共に、空路でグアテマラ入り。JICAグアテマラ事務所で診療調整、薬品調達業務を開始。
 11月8日、深夜、日本から派遣された渡久地医師とホンジュラスからのメヒア医師と合流。
 11月9日昨日購入した薬品を車に詰め、首都を出発。目的地サン・マルコス県保健局まで約270KM、途中何箇所も土砂崩れのあとや、道路が陥没、切断され、復興工事が行われていた。
 サン・マルコス保健局では、AMDA多国籍医師団派遣に積極的に調整作業を進めてくださった、サン・マルコス市在住日本人山口景子さんと保健局職員にお会いし、被害状況の説明を受けた。山口さんはアメリカの大学の博士課程に在籍し、サン・マルコス県での母子保健プロジェクト評価調査の実施途中にこの災害に遭遇された。
 11月10から12日までタカナ市内マハダ村、サックキン村、ピンピン村で診療を行った。タカナ市は標高2,800m、朝晩は10℃以下になる。
  患者は、感冒、呼吸器感染症、胃腸疾患が主な疾患であった。災害後、飲み水の汚染の可能性が高く、診療に訪れた患者すべてに、駆虫剤の投与を行った。
  診療には、男性の姿も多く見られた。この診療場所での特徴は、土石流被害の恐怖がいまだにトラウマとなり、不眠や精神不安を訴える患者、小児の食用不振が多くみられた。なかには熱心に耳を傾ける医師の前で涙を流す老人もみられた。
 11月14日から16日テクン・ウマン市チキリネス村、リモネス村、サン・ロレンソ村で診療を行った。当市は太平洋に近く、浸水、河川の氾濫の被害を受けた。リモネス村では、災害後1ヶ月以上経過しているにもかかわらず、村内には泥水の臭気が残っていた。この2村では、簡易保健所でキューバから緊急援助のために派遣されているキューバ人医師と共に診療を行った。
 患者は、呼吸器感染症、皮膚疾患、消化器疾患が主な疾患であった。なかには3日前に脳卒中を起こした患者もあり、国立病s院を紹介した。また、アメーバー性の下痢症状を訴える患者が多くみられた。
 診療最終日に、県保健局に医薬品などを寄贈した。

 17日、首都グアテマラ・シティに到着。18日、派遣者は日本とホンジュラスへそれぞれ帰国の途についた。
 


 
 

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