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紅海に浮かぶ色は
 
AMDAジブチ 藤田真紀子
 AMDAジブチ事務所の前には、紺青の海が広がる。週末になれば、ジブチ市内から多くの人々が海水浴に訪れ、須磨海水浴場さながらの賑わいになるが、平日は静かな波の音だけが聞こえる。この目の前に広がる海が、地図で見るあの細長い紅海の入り口だとは、俄には信じられない。ずいぶんと遠いところに来てしまったものだな、とつくづく思う。そして、今日もジブチでの一日が始まる。
 

■ ジブチ事務所の朝

 ジブチの朝は早い。スタッフが業務を開始するのは朝7時半だ。8月の猛暑には日中50度、普段でも軽く40度は越すという凄まじい環境の中、ジブチでは7時半から2時半までが勤務時間となっている。一日の勤務時間が日本よりも1時間短いので、少し得した気分である。7時を過ぎると、「ブーブー」という両脇を縫っただけのだぶだぶのドレスに身を包み、頭から大きなスカーフを被った女性スタッフ達が出勤し始める。「アフリカ」と言えば、サバンナを野生の動物が走り、のんきな性格の人々が暮らす地をイメージするが、東アフリカの小さな国、ここジブチではそれらの要素がほとんどなく、荒れ果てた岩地に敬虔なイスラム教徒の人々が暮らし、彼らの文化や習慣は、海のすぐ向こうに広がる中東地域の影響が色濃い。

   事務所前の海を背景に、AMDAスタッフと。
後列左からティマデ、フセイン、アリヌール、Dr.リラ、筆者  前列左からニマ、ネイマ
ニマ(前列左):難民キャンプでのカウンセリングは、難民を励まし、彼らに活力を与えるためにも大切です。これからもっと支援をしていきたい分野です。
ネイマ(前列右):ジブチには支援を必要とする人たちがまだまだ沢山います。皆様のご協力をお願いします。
アリヌール(後列左から三番目):ジブチは小さく貧しい国ですが、アラブとアフリカの十字路に位置するとても興味深い国です。皆さんも是非一度遊びに来てください。

スタッフたちがやってくると、海辺のAMDA事務所は一気に賑やかになり、「Bon jour! Ca va?(おはよう!ご機嫌いかが?)」という挨拶が飛び交う。1977年に独立するまでフランスが宗主国であったジブチでは、フランス語が主な言語として通用している。その他にも、英語、アラビア語、ソマリア語、アッファール語、オロモ語など、民族によって使用する言語は異なるため、スタッフとのミーティングの際も、英語で話していると思ったらフランス語になっていて、その中に時々ソマリア語やアラビア語が混じる、といった状況だ。

 さて、スタッフの中でもとびきり明るく、元気良く出勤してきたネイマは、AMDAジブチで働いて15年になる。ネイマは私の優秀な秘書であると同時に、
AMDAが1994年からUNHCRと連携して行っている難民キャンプでの保健医療支援のサポートを行っている。具体的には、キャンプのAMDA診療所から病院へ搬送されてきた患者への支援、食費や交通費などの手当ての支払い、UNHCRや他のパートナーとの連絡など多岐にわたる。次に、フルフェイスのヘルメットでバイクに乗って颯爽とやってくるのはフセイン。スタッフの中で唯一のアラブ系であるフセインの勤続年数は12年。医薬品の調達から、海風による塩害によって次々に壊れていく事務所の備品修理まで、何でもこなすスーパーロジスティシャンだ。また、会計アシスタントのニマはAMDAで働いて5年目を迎えるが、複雑な会計処理を次々と片付け、時にはUNHCRとの予算交渉も粘り強く行ってくれる、心強い金庫番である。

■ アリサビエ事務所の朝

 ジブチ事務所にスタッフが出勤してくるのと同じ頃、ジブチから約40キロほど南西に位置するアリサビエ事務所では、難民キャンプの診療所へと向かうランドクルーザーにエンジンがかかった頃である。現在AMDAが支援を続けているアリサビエの難民キャンプでは、内戦などから逃れてきたソマリア、エチオピア、エリトリアからの難民約1万人が生活を続けている。AMDAの医療チームは毎日その難民キャンプに足を運び、診療所で医師による診察を行うと同時に、難民キャンプの住民をコミュニティと位置づけ、彼らの参加を促した保健衛生活動や予防教育などを行っている。先ほどエンジンのかかったランドクルーザーは、AMDAネパール支部から派遣されている医師のDr.リラ、保健衛生活動を担当するアリヌール、医薬品管理をするティマデを乗せ、アリサビエ事務所
キャンプ内でのポリオキャンペーンの様子
から約1時間半をかけて、難民キャンプに向かう。街を離れると、赤茶けた大地をらくだがゆっくりと歩く風景に変わる。火山によって残された地形とゴロゴロ転がる赤茶色の岩は、「猿の惑星」の撮影に使われたことがあるらしく、ジブチが不毛の地であることを象徴しているかのようだ。国土は水源にも乏しく、農業は全くの未発達であるため、GDPの70%以上を占めるサービス部門が産業の中心であり、国の収入を鉄道輸送、中継貿易のほか、フランス軍やアメリカ軍駐留による経済的利益及び外国援助に依存している。そのため、特にジブチ市には近隣のエチオピア、コンゴ、イエメンから出稼ぎ、欧米の軍事施設関係者や中国から来ている人も多く見かける。  キャンプに到着すると、診療所はAMDAチームの到着を待つ患者たちとその家族で溢れている。Dr.リラは、直ぐに診察に取り掛かり、片言のソマリア語で患者に話しかける。赴任してまだ6ヶ月だが、簡単な診察であれば通訳を介さずに済ますことが出来るほどだ。ドクターが診察をしている間、ティマデは医薬品の在庫や保存状況などを細かく確認する。ティマデはソマリアからの難民で、キャンプで生活をしているときからAMDAの診療所を手伝っている。現在は家族と共にジブチ人としてアリサビエ市内で生活をしながら、AMDAのスタッフとして働いている。一方、キャンプ内ではアリヌールがボランティアであるコミュニティヘルスワーカーと一緒に各家庭を訪問して歩き、難民の健康状態を把握しながら保健衛生教育を行う。ボランティアスタッフを監督し、様々な問題に関して適切なアドバイスができる彼に信頼を寄せる難民キャンプの人々は多い。
■ 難民支援について思うこと
 難民キャンプでは、実に様々な問題が起こる。サービスへの不満、援助団体への不満、民族間の争い。今日も、入院のための交通費や食費などを目当てに、仮病を使ってやってきた患者がいた。問い詰めても、「仮病を使って涙を流して痛がらなかったら、ドクターは俺を街に搬送してくれないだろ?」と言って、悪びれる様子もない。仮病くらいならまだかわいい方で、先日は大きな石を持ってきてドクターを脅しにかかる患者もいた。平和な暮らしに慣れている私たちには、理解しがたい現実である。しかし、考えてみたい。15年という長い期間、祖国に帰ることも出来ず、難民としてただ毎日を過ごすだけの生活を続けることなど、想像できるだろうか?働く必要がない代わりに、娯楽もない。生きていくために必要な住まいと食料があっても、それ以上を持つことは許されない。その様な生活の中で、彼らが身につけたのは、如何にして援助を自らの利益にするかという術である。

しかし、難民が援助に依存するようになったのは、一概に彼らの責任とは言えない。援助に依存する環境をもたらした、そして難民の自立を促す環境をつくることをしてこなかった、援助機関側にも責任があるように思える。ところが、だからと言って難民の自立支援を重視したプログラムが簡単に難民支援に組み込めるかというと、現実には一筋縄では行かないものである。国連主導による難民支援は政治的要素を非常に多く含んでおり、難民の自立支援も、受入国側の情勢や帰還及び定住支援政策に応じて、慎重に取り扱われなければならない。手に職をつけたいと言う難民がいたとしても、難民に対する職業訓練は、定住支援をしていない受入国に定住させることを支援することになるのではないかという問題が浮上してくる。ジブチの共通語であるフランス語を子どもに学ばせたいという難民がいても、帰還後のソマリア語と英語による生活を考えると、フランス語による教育は受けさせられないとの結論に至る。現実との折り合いを見つけ、彼らに希望と未来を与えられるような支援をしたいと考える私は、まだまだ本当の現実を知らないのかもしれない。

■ 一日の終わり
 事業運営に関するUNHCRとの交渉、医薬品の調達、予算管理、様々な問題の処理などを細々と行っていると、あっという間に就業時間が終わってしまう。そして日が暮れて、私は、港近くにある幹線道路に向かう。潮風が気持ちよく、ジブチの夜景は一日の仕事の疲れを吹っ飛ばしてくれるので、近くのガソリンスタンドでコーラを買って、ここで夜景を見ながらのんびりするのが日課のようになっている。ジブチ市はソマリア国境近くの地形の先端部分が突き出しているような所にあり、ほぼ360度を海に囲まれたような形なっているので、町全体がまるで紅海に浮かんでいるかのようだ。近代的な港の施設は夜になるとオレンジ色にライトアップされ、太陽の光を浴びた宇宙ステーションのようにも見えて幻想的だ。美しく輝く紺青の紅海、不毛の地を象徴する赤茶けた大地、くるくると輝く子どもたちの黒い目、難民キャンプの白いテント。淡い理想と濃い現実の色が、幻想の向こうに見え隠れする。明日もまた、暑い一日が始まる。
紅海の恵み。獲れたてのマグロ4匹!
 


 

 

 

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