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今も続く少数民族との交流
―中国雲南省余楽小学校再建後の交流報告―
  岡山後楽ライオンズクラブ 医師 清水直樹
はじめに

 1996年2月3日の雲南省大震災で倒壊した余楽小学校は、AMDAの緊急救援活動後の復興支援活動である「小学校再建プロジェクト」によって建設された。岡山後楽ライオンズクラブは資金集めに協力することになり、岡山県の企業や個人の有志から援助を得たほか、チャリティバザー、街頭募金、貯金箱作戦などによって、6ヶ月間で目標額の300万円を集めた。翌年1997年8月18日には現地で盛大な竣工式が行われ、AMDAから20名、岡山後楽ライオンズクラブからも4名が参加した。日中友好の証しとして2本の八重桜を植えた。余楽小学校の子ども達の学校完成を喜ぶ笑顔を今も忘れることはできない。
 学校再建から10年が経過したが、今日まで岡山後楽ライオンズクラブは余楽小学校の児童・教師・村人と日本の小学校との文化交流のお手伝いをしてきた。その10年間の歩みを紹介する。


完成した余楽小学校(1997)

余楽小学校と日本の小学校との文化交流

 余楽小学校再建から3年後の2000年、岡山後楽ライオンズクラブのメンバー5名は岡山市立内山下小学校児童の絵・習字・作文と沢山の文房具を持って余楽小学校を再び訪問した。また、余楽小学校児童の作品を日本に持ち帰り、この年から子ども達の文化交流が始まった。
 当時の女村長は我々にこのような言葉をかけた。「村にはお土産に差し上げるものは何もなくて申し訳ありません。これから村人の信仰しているお寺へご案内します。」指雲寺と言うラマ教の寺に着くと、全員に手いっぱいの線香を渡して、「どうぞ願い事をして下さい。」と。お土産のお返しに、物よりも心を選んだ村長に感動した。
 2002年には、岡山市立岡山中央南小学校(内山下小学校が統合された)の児童4名と教師2名と岡山後楽ライオンズクラブのメンバー合計14名が余楽小学校を訪問。両国の子ども達は交歓会を開いて歌や踊り、楽器演奏をして親交を深めた。意見交換も行われ、将来の夢、好きな食べ物、好きなスポーツ、家で手伝うことなど、子どもらしい話を聞くことができた。日本の子ども達が訪問してから余楽村の人達に笑顔が見られるようになった。信頼関係が少しずつ生まれてきたのだと思う。
 2004年には余楽小学校の児童4名と教師3名が日本を訪問、岡山市立岡山中央南小学校の児童と交流した。岡山後楽ライオンズクラブ、岡山市立岡山中央南小学校はもちろんPTA、体育協会、岡山市観光協会、岡山駅などからも交流をご支援していただいた。学校では余楽の子ども達のためにプール教室、音楽会、大うちわ作り、盆踊り大会などを企画して下さった。観光では後楽園、岡山城、瀬戸大橋を見学。生まれて初めて見る海にびっくりしていた。余楽小学校の児童は全員、子どものいる家庭にホームステイしてもらった。言葉が通じない上に文化・生活習慣の異なる人々との交流に、初めは大分戸惑があった様だが、笑顔と真心で何とか楽しい交流ができた。帰国の日、岡山空港での別れの際には、どちらも涙が見られ、再会を誓った家族もあった。
 2005年、岡山後楽ライオンズクラブは創立45周年記念事業として余楽小学校と拉市郷の8つの小学校に文房具を贈呈し、両国の小学校児童の作品交換をするため4回目の訪中をした。文房具は250kgにも及び大変な運送作業となった。余楽村の人々は以前よりもずっと明るい笑顔で我々を歓迎してくれた。

住民検診をする筆者(1997)

児童による文化交流開始(2000)

親善訪問団派遣(2002)

熱烈歓迎の余楽小学校(2005)
余楽小学校のある町麗江

 中国雲南省麗江市玉龍県拉市郷余楽村が余楽小学校の所在地である。町の標高は2400m。空気はかなり淡い。日本から急にこの町を訪れれば、必ず軽い高山病になる。中国少数民族納西(ナシ)族の自治区最大の町である。この町には約20万人の納西族が住んでいる。納西族は東巴(トンパ)文字という世界で唯一今も使われている象形文字を持ち、東巴絵、東巴教など独自の文化を有する。争いを好まず、勤勉で、誠実な部族である。麗江の町並みは古城と呼ばれ、700年前の明時代に建てられたもので、世界遺産に指定されている。この町の北方20kmには玉龍雪山(標高5596m)があり、万年雪が氷河を形成している。山麓には高山植物や薬草が多種類見られ、この山全体が最近、世界自然遺産に指定された。
医療の奉仕 

 1997年8月、私はAMDAの医師として余楽村の住民診療を行う機会があった。貧血、腰痛症のほか老人性白内障の患者を診せてもらった。白内障患者に手術すれば視力は直ちに回復するという言葉を発したら、広州から同行した中国人看護師に、「白内障は手術で治るという話は、農民の前ではしないで欲しい。農民が白内障手術を受けられる可能性は0%ですから。」と言われ、大きなショックを受けた。麗江は高地にあり空気が澄んでいるため紫外線が強く、眼にとってあまり良い環境ではないのである。
 あのショックから10年後、2006年5月に岡山後楽ライオンズクラブは拉市郷に白内障調査団を派遣することを決めた。拉市郷人民政府、麗江人民病院との交渉で、単眼2000元のところ600元(約9000円)で手術可能となった。もちろん超音波メスを使い眼内レンズを入れる方法である。2006年5月までに2名が白内障手術を受けた。術後の調査で両者とも視力を回復している。本人はもとより家族にとっても大きな喜びとなっている。要介護者から農作業のできる働き手になったからである。2006年12月までに22名の白内障患者が手術を受ける予定である。術後調査と余楽小学校の修理のため、私は2006年12月30日に6度目の余楽村訪問をする。
まとめ

 1997年にAMDAの小学校再建プロジェクトで再建された余楽小学校と日本の小学校との文化交流の10年間の歩みを紹介した。
 両国の子ども達はもちろん教育関係者、岡山後楽ライオンズクラブのメンバーもこのプロジェクトを通して多くの事を学んだ。余楽村の人々、拉市郷の人々と日本人の間には信頼が生まれている。相手の生活や病気までも心配するようになっている。
 この様な機会を最初に与えてくれたAMDAと、ご支援いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。
 


 
 

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