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歴史


  Eberのパピルス(紀元前 1,500年)には既に本症の記述があり、エジプトの第20王朝(紀元前 1,000年)のミイラからは石灰化した虫卵が発見されており、これは S.haematobiumが存在していた事を明らかにしている。中世のアラビアの医師達はこれを、《Tombouctouから戻ってきたラクダ御者の血尿》と呼んでいた。 Bonaparte(ナポレオン)がエジプトに出征したときに同行した外科医らも、同様な血尿を記載している。17世紀になって、奴隷貿易により新世界のスペイン領やポルトガル領に S.mansoni が持ち込まれた。
  1852年にTheodor Bilharz がS.haematobium を発見し記述した。1904年にはMansonがS.mansoni の記述をし、さらに日本でKatsurada (桂田)がS.japonicum を発見した。そして1934年、Fisherがザイールで S.intercalatumを同定し、1978年ラオスでS.mekongi が見つかった。
  本症の疫学、免疫学的診断法、経口の誘導体による治療には、目覚ましい進歩があった。さらにS.mansoni の住血吸虫症の動物実験法は、蠕虫症の免疫機構を解明するために大いに利用されている。
  現実には住血吸虫症は社会経済学的な事柄が問題となっている。3億人以上の人々がこの病気に冒されているが、矛盾しているのは、熱帯地域の開発と大規模な干害事業が病気を増加させているのである。増大する経費と不完全な予防法の問題からも脱却出来ないでいる。
 

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