同行メンバー
キバガバガ 健診後
Kigali(キガリ)はこの国の首都である。ウルチョ・ムイーザ学園という私学に通う小学生は溌剌としており、キニヤルワンダ語、英語、そして日本語をも話す。この国の将来を担っていく子も出てくるのだろうなという期待を抱かせるような学校である。比較的裕福な子も多く、中にはobesityな子もいる。
Miyove(ミヨベ)という地域にある学校は対照的である。ここはルワンダの最貧困地域の一つであり、わずか2年前までは「子どもたちの顔には表情がなかった」地域という。2年前にマリールイズ永遠瑠氏が代表を務めるNPO法人「ルワンダの教育を考える会」がfeeding projectを開始し、今では子どもたちの顔に笑顔が戻り、サッカーや遊具で遊ぶ様子が見られる。しかしながら、国は違えど明らかに年齢に比して身体は小さく、低栄養のため髪の毛が生えていない子も少なくない。
そして今回最も考えさせられたのは3つ目のKigabagaba(キバガバガ)という地域での健診についてである。
Kigabagabaは首都キガリのウルチョ・ムイーザ学園から車で10分程の場所に位置しており、経済レベルで言うと、KigaliとMiyoveの間に位置する。しかしながらKigabagabaに住む家庭はその日暮らしのシングルマザーの家庭が多く、経済状況は決して明るいとは言えない。
「お金がなくて保険に入れていないので病院には行けません。」
健診で問題が見つかり、後日の病院の受診を指示した時に返ってくるこの答えに何ともやるせない気持ちになる。中には、3ヶ月前に大腿骨頸部骨折を起こしたが病院に行くことができず、疼痛を抱えたまま過ごし続ける13歳の女の子もいた。目覚ましい速度で発展する国の裏には、歴史が大きく影を落としている地域がまだあるのだ。いかに医師として問題を拾い上げることができたとしても、つまる所治療ができないのであればそれはデータの収集に過ぎず、患者は「悪い部分を知った」だけで終わってしまう。目の前の患者に何も手助けすることができないわだかまりが残り、そしてもしこう言った地域で医療活動をするのであれば、そういった問題まで含めて対処できるだけのものを持ってくる必要があるのだと強く感じた。
こうした背景にあるのは、やはり1994年のジェノサイドなのだ。
ミヨベ 健診前
健診風景
その他、保健省やMiyove市長表敬、地域の基盤となっている大きな教会、保健所等や国際的な保健機関などを、ルワンダの産婦人科医Dr. Calliopeと共に訪問した。彼が取り組んでいるのは今回行ったような健診事業、そして母子保健事業の確立である。今、まだ医療や公衆衛生が行き届いているとは言い難いこの国で何かを変えようと思った時、大切なのは孤軍奮闘することだけではなく、様々な機関と協力していくことであると学んだ。また、今回同行させていただいた AMDAの先輩方のように、自身に実力がなければ想いだけではできないことを痛感した。そしてその国の背景にある歴史と人々の環境を理解しないことには、一方的な支援でしかないのである。
カリオペ医師とともに