1984年設立、国連経済社会理事会総合協議資格NGO 特定非営利活動法人AMDA

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インドネシア・スラウェシ島地震緊急医療支援 参加調整員兼看護師からの報告

公開日:2018年11月01日
 
緊急救援ネットワーク 看護師・調整員 米田 恭子
(派遣期間:平成30年10月5日〜平成30年10月17日)
(派遣場所:スラウェシ島・インドネシア)

インドネシア・スラウェシ島地震の被災者に対する緊急支援活動に参加された、看護師兼調整員の報告をご紹介いたします。
 

1)    支援活動参加の経緯

大学院を9月に卒業して久しぶりの自宅に戻った矢先に、インドネシアのスラウェシ島で地震と津波災害が起きたことを知った。インドネシアはムスリムが多い国である。イスラム教では盗みを強く禁じており、私が8ヶ月住んだヨルダンでも、カフェでパソコンやカバンを置いたままにしても誰に盗まれることもなかった。そんな敬虔で礼儀正しい人たちが、被災した店舗から食料などを運び出しているとの報道は、彼らの差し迫った状況が慮られ、また同時に、被災地での支援活動の遅れを感じさせられた。津波による災害は、AMDAで入った東日本大震災での岩手の被災地も思い起こされた。今回の災害が他人事に思えず、手を上げるのに迷いはなかった。東日本大震災、タイ洪水、熊本地震と今まで派遣してもらい、私自身今回がAMDAで経験する4回目の活動になる。最初の派遣時は不安と緊張に押しつぶされそうだったが、現地での動き方が予測できるようになってきた。今までの自分の経験が現地の役に立てるのではと思ったのも、今回の派遣への応募を後押ししたように思う。

 

2)活動に参加して気づき、感想

到着した翌日に、医師と看護師各1人が現地入りしたのち、インドネシア政府が外国人の被災地入りを禁じたこともあり、マカッサルに残って調整業務をすることになった。調整員の仕事は今回初めて行ったが、意外にも神経を使うことが多かった。活動がスムーズになされるためには、基本的に何でもやるスタンスだったが、現地の状況をネットで配信されるニュースやインドネシアのテレビの報道もチェックしたり、マカッサルにいる支部スタッフや現地スタッフから情報を掴んで、総合的に今の状況を把握し、次に何が起きるかをイメージしたりと、あまり気が休まらない日々だった。今まで看護師・助産師で派遣されていた時もこうして調整員の方々が環境を整えていたからこそ安心して活動できていたのだと、改めて気づく機会にもなった。当初、現地に入れないもどかしさはあったが、気持ちを切り替えて、現地入りしたお二人がご自分たちの得意を活かして、不安や心配なく活動できること、また今回の派遣を支援して頂いている支援者の方々にフィードバックできるよう、現地からの報告を仔細に聞き取り、報告することを心がけたつもりである。帰国後の報告会で、「米田さんは調整員として何をやったのですか」との質問を頂き、うまく答えられず自分でも苦笑したが、調整員は派遣者が安心して活動できるための環境を整え、現地のニーズとマッチさせていくプロデュース役だな、と改めて感じた。

 

3)現地支部や現地協力者との関わり

マカッサルのAMDAインドネシア支部のスタッフは、こちらが困ったり、一人にならないよう、いつも細やかに気を配っていただいていた。現地パルでもDr Yusufがパル在住の妹さんの家を提供してくれて、食事を始め、安心して休める場所を確保してくださったことは、本当に感謝したい。インドネシアの方々はホテルやお店の従業員の方をはじめ、とても謙虚な方が多く、来訪者に対して出来る限りのもてなすのが特長なように感じられた。

パルでは、現地の大学の医学部関係者からなる協力団体とも出会うことができたおかげで、モバイルクリニックもでき、派遣者の力を最大限発揮して活動できたように思う。派遣者のお二人が救急に強いこともあり、骨折や挫傷といった整形外科疾患患者さんに対してケアができたのも効果的だった。医療ニーズがありそうな場所を車で住民に聞きながら探し、診察をしてその場で治療も行っていたため、派遣期間中に対応した患者さんの数は決して多くはない。しかし、それだけ丁寧に患者さんのケアをしていたことの証でもある。実は派遣者が患者さんたちに会った時点で既に震災から10日以上過ぎている。それまで病院にかかれず、医療を受けられなかった方々を見つけ出し、治療できたことは、患者さんたちにとっても大きな助けになり、安心に繋がったことだろう。被災地では患者さんが病院や施設に来るのを待つだけでは、本当に医療が必要な人たちに支援が届かない。こうした積極的な活動ができたのは現地協力団体との連携と、派遣者お二人の頑張りのおかげだとつくづく思う。

 

4)被災地の様子、被災者の声

被災地を直接目にすることができなかったため、医師と看護師が診察やケアの合間に撮影してくれた写真や報告を通して知ることになった。被災地というとどうしても悲惨な写真や記事が目を引く一方、ポジティブな面が強調されるきらいがある。もちろんそうした悲しい出来事があり、希望に満ちた事もあるのだが、共通して言えるのは、被災した方々はただ支援を待っているだけの弱者ではなく、何か自分たちができることを探し、日々を生き延びていく力を持つ方たちだということである。そして海外の被災地では言葉の問題上、なかなかご本人たちの本音を聞くことが難しいのだが、何か日本の被災地とはまた違う、命や失った物に対して諦念しているような様子を感じることがある。これが良い、悪い、といった判断は私にはつかない。以前行ったタイの洪水被災地では「今回の洪水で困っているのは金持ちだけ。もともと持っていない私たちは何も変わらないよ」との声を聞いたことがある。もちろん背景には格差といった深刻な問題も横たわっているのだろうが、あまりにあっけらかんとした様子に、持たないことによるレジリエンス(復元力)の強さがあるのかもしれない、と考えたことがある。今回も現地の方々は意外にもお元気そうだったとの報告を受けた。

ただ、被災した方々の心理状態は、被災のフェーズによって変わっていくこと、また年齢や性別、置かれた立場によっても違うことを、心しておかなければならない。一緒に働いたAMDAインドネシアのスタッフのお子さんが通う幼稚園での出来事である。被災地のパルからマカッサルに避難してきた家族の子どもたちが新しく入ってきたが、その子たちは突然泣き出してしまうため、安心できるように幼稚園の先生たちがケアしているとのことだった。小さい子どもの心にも、地震は大きな傷跡を残している。被災地での救援活動が一段落し、野戦病院で過ごすような日々を被災者の方々が乗り越えた後、やってくるのは精神的な落ち込みであるとも言われる。この点において、AMDAインドネシア支部代表のタンラ医師は、次は宗教家や心理士たちと一緒に心理的サポートを軸とした支援を行う、と方針を立てている。被災地のニーズの変化を念頭においた柔軟な対応であり、さすがだと感じ入った。被災地にいると、自分の辛さをなかなか言えずに抱え込む方も出てくる。そんな時、自分の話を何の評価もなく、ただ聞いてくれる人がいるだけで、救われる方はいるだろう。インドネシアのように宗教が日常生活に深く関わり、人々の行動規範にも根付いている地域では、神と繋がることで心の安寧を持つことができる人も多いかもしれない。AMDAインドネシアの活動を、これからも応援していきたいと思う。

 

5) 感想など

近年、特に今年は国内外で災害が多い年だった。一度に多くの人命が失われる災害は、もはや人々が恐れる感染症流行の脅威と同じぐらい公衆衛生的な危機を作っていると言えるのではないだろうか。災害に対するリスクヘッジは、準備による減災と、災害後の広い意味での人命救助の2つを扱う必要がある。予防とケアを行う点はある意味、医療と同じであるが、災害の場合、医療よりもさらに多分野を横断する協力体制が必要になる。例えば土木工学・河川工学といった工学系を始め、人々の避難行動や復興期の街づくりに関係する行動科学、文化社会基盤を見ることも必要だ。AMDAが従来より行ってきた取り組みが医療に特化したものだけでないのは、こうした災害支援の特徴をよく知っているからだと思う。自治体連携で過去の被災地の経験が引き継がれ、宗教家による祈りが捧げられる。AMDAは、災害を生き延びて助かった命を再び危機に晒さない、その願いから行動しているように思われる。AMDAの理念が広く共有されるよう、国内、海外でも様々な人々と連携して、命を粗末にしない社会の実現に、また微力ながらお手伝いできることを願っている。
 
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