1984年設立、国連経済社会理事会総合協議資格NGO 特定非営利活動法人AMDA

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ロヒンギャ難民医療支援活動17 〜ロヒンギャ難民キャンプを訪れて(3)〜

公開日:2018年05月02日
 
AMDA グループ代表 菅波 茂
 

パレスチナ難民キャンプの様子

2018年2月。ヨルダン在住の清田(せいた)明宏、国連パレスチナ難民救済機関保健局長(UNRWA、WHO世界保健機構からの出向)から私宛にメールが届いた。「パレスチナ難民出身の医師たちが同じような難民であるロヒンギャ難民に医療支援を行いたいという希望がある。是非AMDAと一緒に活動ができないだろうか」と。私に「NO」の選択肢はなかった。非常にうれしい提案だった。AMDAバングラデシュ支部との調整後、2名の医師がコックスバザールのロヒンギャ難民キャンプ内にあるAMDA診療所にて、バングラデシュ医療チームを通じてロヒンギャ難民への支援を行い帰国した。彼らの旅費は清田明宏保健局長が個人的にいただいた賞金を費用としてあてた。また、2名の医師たちも貧しいロヒンギャ難民の子ども達に喜捨をした。自分たちが難民キャンプの子供だった頃と想いを重ねたのだろう。基本的にAMDAのロヒンギャ難民医療支援プロジェクト自体が多くの人たちや団体の善意で成り立っている。善意の結集のプロジェクトともいえる。このような活動を主宰できることにAMDAとして本当に感謝したい。
 

ロヒンギャ難民キャンプの様子

ロヒンギャ難民の子どもたち

パレスチナ難民でひらめいた記憶がある。1996年にパレスチナ難民の医療支援のためにレバノンへAMDA医療チームを派遣。チームリーダーは吉田修医師(現在は、徳島で国際医療協力を考える会TICO代表)だった。当時、イスラエルがレバノン南部にある難民キャンプを爆撃するとのうわさにおびえてレバノン北部に逃れた40万人からの難民がすべての面で困っていた。空爆がありたくさんの市民が亡くなり、爆撃で多くの家が破壊された。この時に一緒に働いた赤十字のスタッフから「我々は同じアジア人だ。支援によく来てくれた。ありがとう」とお礼を言われた。今回のパレスチナ難民出身の医師たちにも「我々は同じアジア人同士として助け合わなくては」という気持ちがあったのかもしれない。困ったときはお互いさまの「開かれた相互扶助」は時空を超えて成立する。すばらしいコンセプトである。

レバノンで活動したAMDA医療チームと
赤十字スタッフ

AMDA医療チーム、吉田修医師(中央)

清田保健局長は高知医科大学の学生の時からアジア医学生連絡協議会(AMSA:1980年設立)の初期のメンバーとして西へ東へと大活躍。卒業後は東京都の清瀬にある有名な結核研究所で医師として修練後に海外の結核撲滅のために活動をした経歴がある。今や、海外医療協力の本筋の専門家である。AMSAとAMDAに関係した医師たちが国際医療分野で数多く活躍をしている。AMSA+AMSA同窓会+AMDAの3者連携も大いに進めたい。
一方、徳洲会グループのTMAT(福島安義理事長)がロヒンギャ難民支援医療活動への参加を表明してくれている。TMATの創設者の一人に原野和芳医師がいる。1995年のAMDAルワンダ難民医療支援プロジェクトに参加。空手家であり常に人生の修行者としての謙虚さが感じられる医師である。TMATとは2016年にハイチ災害被災者救援医療プロジェクトを合同で実施。ロヒンギャ難民医療支援活動が2回目となる。志高く実行力のあるTMATとの連携活動は国内外を問わずAMDAにとっては本当に貴重である。AMDAバングラデシュ支部がロヒンギャ難民支援医療プロジェクトを2018年10月まで続ける予定でバングラデシュ政府NGOビューロに申請手続きを進めている。これを契機として1980年設立のAMSA以後の貴重な人間関係を再結集したく考えている。

ハイチで手当をするTMATメンバー

ハイチで手当をするTMATメンバー


皆様方のご支援に心から感謝すると共に今後ともによろしくご指導をお願いしたい。
 

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