チュア先生と筆者
2014年アマイパクパク医療センター視察
2014年アマイパクパク医療センター病棟視察
2011年12月。ミンダナオ島カガヤンデオロ市地域を巨大な台風が襲った。死者は1,259名。8万世帯以上約44万名が避難を余儀なくされた。AMDAはチュア先生が以前に会長していたフィリピン家庭医学会カガヤンデオロ支部の会員と共に被災者医療支援を実施した。この時にチュア先生がアマイパクパク医療センター院長であったサベール医師を私に紹介してくれた。彼はマラウイ市のスルタンだった。スルタンはムスリム社会では宗教的・社会的指導者である。ミンダナオ島はしばしば自然災害に襲われる。しかし、外部(特にマニラをさす)の医療チームはムスリムの地区には入れないことが多かった。警戒心からである。この台風によりカガヤンデオロ地域より奥の地域で甚大な被害があったが、入れなかった。本当に残念な思いをした。
ミンダナオで被災者を診療するチュア医師
ミンダナオで被災者の診療をするAMDAフィリピン医師
アマイパクパク医療センターと協定を結べることになったら、協定に入れる内容は2項目ある。1項目は内視鏡及び腹腔鏡検査及び手術技術移転である。2項目はミンダナオ島災害医療支援に関してアマイパクパク医療センター医療チームとAMDA医療チームが合同チームとして医療支援活動を実施することである。アマイパクパク医療センターには災害医療チームがあり、ミンダナオ島内の災害被災地には必ず派遣されている。
アマイパクパク医療センター外観
アマイパクパク医療センターの歴史
アマイパクパク医療センターの歴史は米国植民地時代に始まる。第二次世界大戦中は日本軍によって使用された。アマイパクパク医療センターの後ろにある山の中腹にはミンダナオ州立大学がある。ミンダナ島を統括する時にマラウイ市が重要な地理的位置にあることが推察される。従来の医療従事者による活動を超えて、関連する団体間の連携が求められる中、団体の特性を生かし、さらに効果的かつ効率的に災害支援へ取り組むべく、AMDAは7者(国連、政府、医師会、NGO/NPO、大学、公益団体、企業)連携をもとに、世界災害医療プラットフォーム構想の具現化をめざしている。ミンダナ島および付近の島々における災害医療支援に大いに期待したい。