1. 世界の結核とDOTS
結核、というと名前は知っているけれど小説やドラマの中でしか、という方も多いのではないでしょうか
。野麦峠やら新撰組やらふた昔くらい前の。これはひとえに抗生剤の発見と日本の公衆衛生に尽力してくだ
さったご先祖様(?)のおかげです。世界では毎日25,000人が結核を発症し、5,000人が死亡しています。ま
だまだ結核は世界の十大死亡原因の一つに数えられているのです。
なぜ結核は撲滅できないのでしょうか。原因の一つは結核菌がタフだからです。感染力が強く、一人が感
染すると周囲の人10人に伝染するとすら言われています。治療も数種の抗生剤を最低でも8ヶ月飲み続けな
ければ結核菌が倒せません。中途半端に薬を飲んで再発させるケースが多くなってくると、結核菌は賢くも
薬に耐性をもちはじめ、イタチごっこの様相を呈してきました。
しかし結核が撲滅できない最大の原因は治療や予防以前の問題、環境にあるようです。予防法も治療法も
あってもそれを行なえない状況。たとえば上から空爆、下から地雷、庭で遊んでても撃たれちゃう。たとえ
ば病院に薬なし、BCGなし、医者もなし。そんなところでバランスのよい食事をとりましょう、うがいをし
ましょう、健診に行きましょうっていわれても無理。政治や経済といった基盤が安定してくれないとなに
を積んでもぐらぐらしてしまいます。結核撲滅ができないということは、そういった病気以前の問題がある
国がまだ多いということにつながります。結核よりたちの悪いのに侵略されてますとか。
なにはともあれ、結核に対する取り組みは世界保健機関(WHO)により世界的なプロジェクトとして行な
われています。そして現在推奨されている結核の治療法がDOTS(Directly Observed Treatment Short-cours
e,直接監視下短期化学療法)です。
DOTSは患者の服薬管理に主眼を置いた治療方法です。結核は長期の確実な服薬ができるかどうかが、治療
の鍵となります。そこで専門の知識をもった医療者が特に最初の2ヶ月間、毎日患者を監督し、目の前で服
薬させ、病気について教育することによって、治癒率をあげるというものです。
このDOTS の利点の一つとして、在宅治療が可能であるため、安価で多くの患者の治療が同時に行なえる点
があげられます。日本では感染力のある結核というとすぐに専門病院へ隔離しますが、患者数が多い国では
隔離施設の数も足りず、入院費もまかないきれないのが実情です。結核治療専門施設への入院ができず未治
療のまま患者が放置されるより、隔離はできなくともすぐに治療が開始できる、DOTS はそのような実情に
即した治療法とその実績から高い評価を得ています。昨年までにWHOは1000万人の結核患者がDOTSによって
治療されたと発表しています。
2. 難民キャンプの現状とDOTS
2001年にAMDAがアフガン難民キャンプの保健医療活動を開始した当初から、結核感染患者の治療をどのよ
うに行っていくかは私たちにとって大きな問題でした。各キャンプで検査も治療も受けたことのない結核患
者さんが何人も見つかったのです。何年も咳に悩まされ、吐血するほど症状が進んでいても医療機関に今ま
でかかったことがないという患者さんもいました。
キャンプの生活は人の移動が激しく、互いに近接した暮らしのため、結核にかぎらず感染性の疾患が蔓延し
やすい状態です。なんらかの対策を早急に打ってほしい、との強い要望が同様の状況に直面した他のキャン
プ地からもあがりました。
最初にとられた結核に対する予防方法は、小児へのBCG接種です。5歳以下の全児童に接種が行なわれ、現
在もキャンプ内で産まれた新生児に対する BCG接種は継続されています。次にすでに結核に罹患していた患
者さんを結核専門病院へ移送し、治療を開始しました。当初キャンプには結核の検査のための設備もなく
、確定診断ができなかったのです。 また治療を行なう医療者側の専門知識も十分なものではありませんで
した。しかし、8ヶ月以上に亘る長期の入院は多くの問題をはらんでいました。
1. 患者ひとりに掛かるコストが高くなる。
2. 長期の入院が家族にも負担となる。
3. 難民患者により結核病棟が満床になってしまう。
などです。
さらに当時入院していた患者さんは氷山の一角に過ぎないと言われていました。アフガンで行なわれた
リサーチの結果から、結核患者は1000人に一人の割合で存在すると考えられているのです。この数値からするとパキスタン・バロチスタン州全体では肺結核だけで
も300人以上、結核性髄膜炎や腸結核など肺外結核も含めると600人以上になるだろうと推定されました。
その全てを一つの施設に長期入院させるのは不可能です。そこで2002年1月から国連難民高等弁務官事
務所(UNHCR)主導のもと、難民キャンプにもDOTSを導入し、各キャンプ地で治療が受けられるように体制
が整えられました。
当初、他組織がこのプロジェクトの統括を行なっていたのですが、諸事情により2003年8月からAMDAにこ
のプロジェクト全体の管理を任せられることとなりました。対象となるのはパキスタン全土の4分の1をし
めるバローチスタン州の難民全て、約30万人です。
パキスタン政府は以前よりDOTSに取り組んでいました。しかし難民に対するDOTSは、移動が激しく調査や
治療の継続が難しいと報告されています。 今回もキャンプ地までの道路の整備も行なわれておらず、
治安の不安定な地域もあります。さらに組織的な問題がプロジェクトを難しくさせています。クエッタのあ
るバローチスタン州は大きく分けると6地区に分けられ、その中に17のキャンプがあります。難民の健康管
理はキャンプ内に設置された BHU(基礎診療所)で行なわれています。基礎診療所の合計数は27箇所。
DOTSはこの各基礎診療所がポイントとなります。
DOTSのための人員や場所を新しく配置するのではなく、すでに活動している基礎診療所にDOTSを行なっても
らうのです。AMDA はその医療者への指導と教育、データ管理、薬等の必要物品の供給、他組織や病院との
連携などプロジェクト全体を統括します。各基礎診療所はそのほとんどが他の組織によって運営されていま
すので、DOTSを行なうに当たってはAMDA だけでなく、これら複数の組織の理解と協力が不可欠になってき
ます。広域の中に点在するこれらの基礎診療所と連携し、一日でも早く、一人でも多くの患者さんを見つ
け出し治療を開始することが私たちの課題です。
WHOはDOTSの具体的な目標として
1. 患者の発見率70%以上
2. 患者の治癒率85%以上
という数値をあげています。
難民キャンプにおいてもこの目標を達成していくことが望まれています。
3. 調査結果と活動内容
DOTS を軸とする結核診療・予防活動を立ち上げるにあたって、私たちは 27箇所全部の基礎診療所にスタ
ッフを送り、現状を把握しなおすところから始めました。
2003年9月の時点で49名の肺結核、55名の肺外結核の患者さんが各キャンプでDOTS による治療を受けてい
ます。人口から推察される患者数に対する実際に見つかった患者数の割合は、まだ全体平均30%程度に留まっています
。つまり、まだ多くの結核患者がキャンプ内で発見されていないと推察され、今後いかに結核に対する関心
を高め、患者を見つけ出し、治療を開始していくかが大きな課題です。識字率も低く、日本のようにテレビ
やラジオも普及していない国では、情報を広めるには口伝えで根気よく行なって行かねばならないのです
が、それには現場のスタッフの自主性や知識が大切です。
実際、発見率が70%を上回っているキャンプでは、現場の医療スタッフの関心が高く、結核菌検出のため
の喀痰検査が多くの患者さんに実施されていました。また公衆衛生の教育プログラムの中に結核について
のクラスを設けるなどの試みもなされ、積極的な取り組みが発見率を左右しているといえます。逆にまだ
DOTSを始めていないというキャンプ地も2箇所あります。やはり州全域で足並みが揃うまでにはまだ時間が
かかるようです。
治癒率は調査対象がまだ治療途中の患者ばかりのため、まだ正確な値はわかりませんが、8割以上の患者
の治療が順調にすすんでいます。残り2割の患者さんも治療を途中でやめてしまっているわけではなく、
継続して治療を受けているもののまだ好転していないケースがほとんどです。これは薬剤耐性菌による
ものと推察され、このようなケースは治療薬の種類を変える対応がとられています。最終的には治癒率は目
標値を超えるのではないかと予測されます。
実際に現場を回ってみると、
1. 携わっている医療者側の関心が低い、知識が不十分である。
2. 必要物品の管理が不十分であり、補充のルートが確立されていない。
など医療側へのサポート体制の不備が共通の問題点としてあがってきました。 AMDAはまずこの対応策とし
て各地区に担当スタッフを配置し、定期的に全てのキャンプを訪問することによって、個別に現状を把握
し、現場スタッフへのサポート体制を整えることにしました。ある地区は交通の便が悪いことが問題、ある
地区は健診対象の患者が多数行方不明、とそれぞれのキャンプが抱える問題に細やかな対応を図るためです
。一緒に問題に取り組み、 DOTSの必要性を理解してもらうのもねらいです。
次に医療者の知識の充実を図るため、トレーニングを積極的に行っています。トレーニングは対象者別
に4種類に分けられており、(医師、検査技師、看護師および薬剤師、医療者の補佐)参加しやすいよう
な場所、回数を設定します。また、以前に一度研修を受けたが忘れてしまった、さらに勉強したい、とい
う声に答えるため、リフレッシュ研修も計画しています。 第一回の研修は看護師および薬剤師を対象と
した研修で12名の参加者が集まりました。
3日間の研修日程のなかには疾患の知識、治療についての知識、具体的な患者対応のシミュレーションな
どが盛り込まれました。研修前と後に行なったDOTSの基礎知識に関するテストでは正答率の平均が20%から
80%へ上がる好成績となり、受講者からも今後この知識を生かして患者の治療にあたりたいとの意気込みあ
ふれる感想が聞かれました。 このような研修を行なうことによって参加者相互の交流もはかれ、結核と戦
うという共通の目的を持った仲間としての連帯感が生まれてきました。物品管理に関しても各基礎診療所の
在庫を明確にし、曖昧になっていた発注ルートを各組織に徹底してもらうよう呼びかけています。DOTSのよ
うに長期の服薬管理には、その必要性の理解と働きかけが不可欠です。医療者一人一人の熱意と知識が患者
さんにも伝わっていくことに期待しています。
4. 最後に
手探り状態ではじめたプロジェクトですが、多くの方の協力で進めることができています。AMDAが結核診
療・予防活動の統括を引き受けたのは、ひとえに必要性が高いプロジェクトだという思いが強かったからで
す。
10年前私がアフリカの病院にいたときには、そこの結核患者さんたちは 100%HIV陽性でした。収容できる
数の個室はなく、一部屋のベッドにも床にも患者さん。当然一人が何かに感染すれば全員に、といった状況
でなんとかしたいけどどうにもならない、治療しているとはとてもいえないなあ。と思っていました。パキ
スタン・アフガニスタンの女性の地位を巡る問題は個人的にもどうかと感じることが多かったのですが、
性行為感染症が広がりにくい土壌であったのは恩恵なのでしょうか。アフガニスタン周辺の状況も歯噛みす
ることが多い中、とりあえず結核の患者さんが治っていく、という事象は単純に嬉しかったです。
DOTSはかなり広域に行なわれてはいますが、結核患者さんが治療途中で帰還した場合、継続治療の連携な
ど細部に課題は残ります。きちんと治して帰るんだよ。これで人生変わるんだから。と患者さんに心のなか
でエールを送り続けています。
結核:結核菌感染による感染性疾患。飛沫感染や塵埃感染により生体内に侵入する経気道感染が主である。
肺結核は結核菌により肺に滲出性あるいは増殖性の炎症をおこす疾患で、その症状は全身倦怠感、体重減
少、咳、血痰、持続する微熱などである。初感染後10年以上経過して発症することが多い。 肺外結核とし
ては髄膜炎、腹膜炎、腎結核、副腎結核、骨関節結核、腸結核、皮膚結核、リンパ節結核などがあり、血
行性、リンパ行性、管内性転移により全身に広がる。
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