はじめに
アンゴラと聞いて、それがアフリカにある国の名前であると認識できる人が、日本にどれくらいいらっしゃるでしょうか。「アンゴラうさぎ」は聞いたことがあるという方も多いでしょうが、実は、全く関係ないそうです。
(余談ですが、アンゴラうさぎの「アンゴラ」とは、トルコのアンカラ地方の旧称で、そこに生息するうさぎの毛は長く柔らかいことから、セーターなどの織物に使われています。)
私も、アンゴラへの赴任が決まったときには、「内戦」や「地雷」というイメージしかなく、改めて地図を開いたり、本で調べたりしたのを覚えています。あれから、早、2年が経ち、事業を無事に終了することができました。
今回は、2000年8月の事業開始から2002年6月の事業終了までアンゴラで活動した報告をさせていただきます。
背景
アンゴラ共和国は、アフリカ南部に位置する国である。125万平方キロ(日本の約3倍)の国土に1000万人以上の人口を擁する。この国は、1975年、旧宗主国であるポルトガルから独立して以来四半世紀以上もの間、政府と反政府組織による絶え間ない内戦に見舞われてきた。
石油、ダイアモンド、金、鉄鉱などの豊富な天然資源に恵まれているにもかかわらず、その収益は一部の人間に掌握され、あるいは、戦争に費やされ、一般の人々は貧しい生活を強いられている。
内戦の影響で、自国で生産できるものが非常に限られており、食料品から日常必需品まで、そのほとんどを輸入に頼らざるを得ない。そのため、物価は日本並の高さである。戦禍を逃れるため、人口のおよそ4分の1にあたる300万人が国内避難民となっている。
AMDAは、国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)の要請を受け、2000年6月に同機関とともにアセスメントミッションに参加した。
このアセスメントで、国内避難民支援が急務であると確認され、AMDAは、首都のルアンダから600キロほど離れた北部のザイーレ州の州都ムバンザ・コンゴ(M'Banza Congo)にて、州立病院の復旧事業を実施することが決定した。
当時、ムバンザ・コンゴは、長引く内戦により、公共サービスを提供するシステムが破壊され、地域住民のほとんどが医療、教育、電気、水道などにアクセスできない状態であった。
特に、医療分野でのニーズは高く、マラリア、結核などの感染率が高いにも関わらず、住民はまともな医療サービスを受けることはできなかった。80床を超える州立病院には政府からの医薬品や医療器具の供給がほとんどなく、常駐の医師も存在しなかった。
病院運営も機能しておらず、患者の記録も取られていない状態であった。そこで、AMDAが、医療・保健分野での事業を行うこととなった。
事業内容と成果
このプロジェクトは、UNHCRの委託事業として、ザイーレ州立病院復旧を通じて、医療システムを回復・改善し、国内避難民を含めた5万人を超える住民の健康向上を目指したものである。以下、具体的な活動内容および成果について順を追って報告する。
1. 派遣医師・看護師による診療の向上と地元の医療スタッフへの技術移転
 |
| ラジェンドラ医師と外科の看護師による足の切断手術 |
AMDAは、バングラデシュとネパールより医師2名、日本より看護師1名を派遣した。外来および入院患者への診療を行い、州立病院の医療サービスの向上を促進した。また、同時に、講義・実務研修を通じ、病院スタッフに医療技術の移転を行った。
病院スタッフの教育水準は平均的に低く、理論的な知識を持たないまま、経験により身につけた技術だけで診療を行っていた。さらに、教育を受けてからかなりの月日がたっており、知識が古びていることもあった。
そこで、質の高い医療サービスを持続的に提供できるように、AMDAの医師により、毎日の診療時における実務研修が行われた。これに加え、講義やディスカッションを含めた特別のトレーニング・プログラムも実施された。
具体的には、(1)罹患率の高い病気に焦点を当て、診察・治療方法を教えるプログラムや、(2)国連人口基金(UNFPA)および保健省と協働で、母と子の健康やジェンダーの意識を高めるプログラム、(3)救急患者への対応を向上させるプログラム、(4)運営スタッフのためのコンピューター研修プログラムなどがあった。
これらの研修プログラムを通じて、病院スタッフの知識および技術は向上され、日々の外来および入院患者への診療のレベルアップが実現された。
さらに、医療分野だけでなく、管理・運営においても、病院当局および運営スタッフとの協議を重ね、患者の記録や薬局の在庫管理をはじめとして、効率的な運営への改善がなされた。
2. 医薬品と医療機器の供与
アンゴラでの医薬品および医療器具の調達は、非常に困難なものであった。調達できる物の種類が限られており、そして、なにより、価格がとても高い。そのため、このプロジェクトでは、大半の医療物資を海外より輸入することとなった。
ただ、アンゴラの税関では、極めて官僚的なシステムを通過せねばならず、現地のエージェントを通しても、2ヶ月以上も空港や港に留まってしまうことが普通であった。
 |
| 様々な医療品が揃うようになった薬局 |
首都から事業サイトへの物資の輸送も悩みの種であった。アンゴラでは、反政府組織のゲリラ的活動が続いており、また、地雷の危険性もあり、人と物の輸送はすべて空路に頼らざるを得なかった。国連食料計画(WFP)による飛行機が運行されていた。
貨物便は不定期に、12人乗り乗客機は週に2便、事業サイトと首都を結んでいる。どちらも、1ヶ月前からの予約が必要で、さらに、遅延やキャンセルがしばしば起こった。
こうしたロジスティック面での苦労は絶えなかったが、必要とされる医薬品と医療機器は無事病院に運ばれ、マラリアをはじめとする病気の治療に大きく寄与した。事業開始前には、ほとんど空に近かった薬局には、今は、多くの種類の医薬品がずらりと並んでいる。
さらに、手術灯、分娩台、顕微鏡をはじめとする様々な医療器具も各病棟に設置され、派遣医師の指導のもと、診療に利用されることとなった。
3. 発電機、簡易水道設備の設置による電気および水の供給
病院にとって、電気と水の確保は、医療サービスを提供する上で必要不可欠である。しかしながら、この州立病院では、夜の数時間を除いて電気の供給はなく、また、水を確保する設備も整っていなかった。
この事業では、発電機を設置し、電気が24時間使えるようになった。これは、特に、深夜の手術や分娩において、とても効果的であった。また、貯水槽および水道パイプを配備する事により、水が使用できるようになった。
これに、シャワー・トイレの設置も加わり、病院の衛生環境も改善されることとなった。
4. 栄養プログラム、予防接種プログラム、およびコミュニティーでの保健衛生教育
 |
| 松本看護師による栄養プログラムでの患者のモニタリング |
病院での治療とともに、予防面での活動も行われた。これらのプログラムは、主に看護師の指導のもと実施された。
栄養プログラムでは、約200人の子どもが国連児童基金(UNICEF)より提供された粉末ミルクにより治療された。予防接種プログラムでは、地元の予防接種拡大計画(EPI)の活動をサポートした。
AMDAの主な活動としては、冷蔵庫を提供し、コールドチェーン(ワクチン冷蔵流通システム)を強化、物資の輸送、ポリオの予防接種への参加などがあげられる。また、コミュニティーでの活動にも力を注いだ。
看護師により、マラリア、結核、栄養管理、HIV/AIDSの保健教育が行われた。
5. 国連人道問題調整官事務所(OCHA)との連携による、救急病棟と眠り病棟への支援活動
2001年6月より10ヶ月間は、OCHAとの連携事業も実施された。ここでは、州立病院の救急病棟と眠り病棟にターゲットを絞り、両病棟の活動を支援することとなった。
救急病棟は、先に述べた研修プログラムの実施、担架や酸素供給機、救急医療物資の供与を通じ、24時間態勢で救急患者を受け入れられるようになった。
 |
| 改善された州立病院の外来診療と運営事務所のための建物 |
眠り病とは地域特有の病気であり、アンゴラ北部はアフリカでも感染率の高い場所に挙げられる。ツェツェバエを媒体として感染するこの病気は、睡眠パターンが不規則になるのが特徴で(眠り病という名前の由来)、進行すると死亡率も高い。
AMDAは、眠り病棟の通常の診療活動へのサポートに加え、コンゴ民主共和国との国境に位置するノキ郡において眠り病検査を支援した。この活動で、一万人以上が検査を受け、約300人が眠り病の治療を受けた。
この2年間の活動で、州立病院は、基本的な医療サービスを持続的に提供できるレベルになった。
政府が担当することとなった建物の建設は、完成までもう少し時間がかかりそうであるが、完成時にはAMDAの活動が長期にわたりさらなる効果をあげることが期待できる。これからも、州立病院を見守っていきたい。
おわりに
2002年4月4日の政府と反政府組織による和平合意の調印を機に、アンゴラにも希望の光が見えてきたように思われる。しかし、反政府組織の支配下にあった地域へアクセスができるようになり、反政府軍とその家族を含めた人々への支援が注目される。
また、コンゴ民主共和国(DRC)、ザンビアなどの周辺諸国からの帰還民の流入も予想される。ザイーレ州立病院が、国内避難民やDRCからの帰還民に対して十分な医療サービスを提供できることを期待したいと思う。
|