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 AMDAジャーナル(html版)

ネパール中部地震 被災地で感じたこと〜南海トラフに向けての提言〜(2015/6発行ダイジェストNo.44掲載)

公開日:2015年06月25日
 
AMDAグループ代表 菅波 茂

私はネパール地震の発災を海外で知ることとなった。被災地ネパールはAMDA設立初期の頃から積極的に支部としての活動をしてくれている心強いメンバーの集まりである。苦労を共にしたネパールの医師たちのことが何より心配であった。すぐに日本に居る本部のスタッフが現地との連絡を開始し、一人、また一人と無事が確認でき、喜びと同時に、すぐにでも被災地に駆けつけたい思いに襲われた。それは、AMDAネパール支部の医師たちが、それぞれ自宅が被災しながらも、傷ついた被災者のために震災当日から懸命に医療支援活動を行っていたからである。

 

トリブバン大学教育病院を訪問

AMDA本部からもすぐに医療チームを派遣。私自身は30日に日本を出発し、被災地に到着した。そしてAMDAネパール支部長が奮闘していたトリブバン大学教育病院で目の当たりにしたのは、日本を含む多くの欧米の医療チームが医療支援のサポートに訪れる中、受け入れを断りネパール人医師のみで数多くの外科的手術を成功させていたという事実であった。それだけネパールの医療技術が向上しているのである。ここで特筆すべきは、震災から続く余震で市内でも多くの建物が倒壊の危機にさらされる中、多くの手術が実施できたのは日本のODAで建てられたトリブバン大学教育病院の施設が余震に耐えうる強固なものであったからだということである。

 

カトマンズ近郊の街に診療を行う菅波医師

市街地を後にし、支援が行き届いていない市街地近郊や山間部の被災地へ。AMDAはAMDAネパール支部の医師とともに巡回診療を実施。震源地に近いこともあるが、レンガ造りの建物は跡形もなくつぶれており、舗装されていない道路に土砂が覆いかぶさり、支援に行くことすら困難な状況。医療だけでなく物資も通信も届かない山間部。この光景から、南海トラフ地震が発生した際に、四国の山間部が置かれる状況を突き付けられた気がした。今回、被災地の混乱の中で確信した。被災地の状況、支援ニーズの把握と役割を調整し、的確に医療チームを受け入れる「コーディネーションセンターの設立」が南海トラフ地震では必須であることを。
 

第1次医療派遣チーム

調整員 大政朋子(岡山県在住)
看護師 柴田幸江(岡山県在住)

私達は震災3日後のカトマンズに到着しました。今回の大地震に対し、市街地は騒然としていましたが、目についたのはどうしていいかわからず、毛布をもって路上をただ歩く人々の様子でした。大きな地震を始めて経験する人が多く、余震が起こるたびに、不安になり、路上でパニックになっている人も多く見かけました。日本からの医療チームとわかると「日本人は地震に慣れているから、怖くないの?」と声をかけられる場面もありました。「日本人でも地震は怖いんですよ。余震があったら、必ず避難してくださいね。」と声をかけると、ほっとした表情を見せられたのが印象的でした。
 

被災地・母国ネパールのために 第3次医療派遣チーム

調整員 シュレスタジョシ・アルチャナ

5月1日に救援活動のために、カトマンズ空港に予定より1時間遅れて到着しました。ネパールでは80年ぶりに起きた大地震は誰もが想像を絶するもので、病院、学校などで被害が多く、病院内では治療もできず、屋外で治療をする病院も多くあると報道されていました。しかし、私たちが最初に訪れたトリブバン大学教育病院は地震の被害は受けていないために、地震の後に起きた頻繁な余震にも関わらず、院内で350人の怪我人の手術を行っていました。この大学の建物は1983年に日本政府の援助によって建てられていて、地震対策をされていたそうです。改めて日本の支援に感謝をしました。

菅波代表とともに調整員兼通訳として被災地の仮診療所や巡回診療の視察、大学病院などを訪問しました。ネパールでは医師の数も増えつつあり、技術も高まったことが実感できました。しかし、資金的な援助を必要としている現状が確認できたことから、AMDAではその状況を踏まえて、被災地で実施する復興支援としての巡回診療を支援するために資金援助をすることになりました。ネパールで起きた災害をネパール人が乗り越えるための最高の支援だと感じ、私は感謝の気持ちでいっぱいでした。

災害はいつどこで起きるかは分かりません。国よって災害に対する準備の差があったり、災害支援活動のやり方が違ったりすることは当然だと思います。AMDAが相互扶助の精神に基づき、災害が起きた地域や国のことを配慮しながら行っている緊急医療支援活動はとても重要で、今後長いスパンで被災地をサポートしていくためには大切なことだと改めて感じました。

私は、2013年に岡山県立大学に入学してから、AMDAの活動に間接的に関わり、現在AMDAでインターンとしてスタートを切ったばかりです。

今回のネパールで起きた大地震に対する緊急支援活動に参加してくださった医療従事者の皆さん、そして活動を支援していただいた皆様に心より感謝を申し上げたいと思います。また、 母国が大変な時に自分が何もできないと思っていた私に、AMDAが私に大きな役割を下さったことに心から感謝します。そして何より私は、AMDA の一員として働けたことを誇りに思います。
 

第4次医療派遣チーム

医師 高橋 宗康(岩手県在住)

今回参加し、ネパールは貧しいいながら優しい心と静謐さを備えていると感じました。それは住民だけではなく、現地AMDAの医療関係者すべての方に共通するものでした。私はそのようなネパールの方々に長期的に関われればと感じました。

特に岩手県は東日本大震災で世界から多くの支援を頂きました。震災から立ち直りつつある岩手が今度は困難な国に支援に歩み出す時と思います。ぜひ岩手全体でサポートできればと思います。

AMDAの高尚な精神を岩手で伝えてまいりたいと思います。どうもありがとうございました。
 

第5次医療派遣チーム

理学療法士 西嶋望(ネパール在住)
 

医療支援活動の様子

貴重な経験をさせていただきました。前半は現地のスタッフとの同行で、多くの患者さんを診るようにしました。中盤には、頸髄損傷患者や呼吸器疾患など、肺理学療法の依頼があり、可能な限り引き受けました。後半には、震災による入院患者が退院し、外来も慢性疾患の患者が増えてきました。被災し障がいを負った患者の退院後が心配です。また今回、AMDAが障がい者の避難所への訪問、災害弱者への対処を早めに行った事。これは大きな意味があると思います。本当にありがとうございました。
 
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