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9月19日に行われたモンゴル、ウランバートル80周年記念シンポジウム

公開日:2018年10月10日
 
AMDA 難波 妙

9月19日に行われたモンゴル、ウランバートル80周年記念シンポジウムで佐藤医師が緊急医療支援活動に関する発表を行いました。
それに関する地元新聞記事を翻訳とともに紹介いたします。


 

地元新聞記事と翻訳

日本の医師に救命救急を学んだ

「暗いところで行う治療は通常の診療とは全く違う」と佐藤拓史医師は語った。ブルースカイタワーで行われたドイツモンゴル病院衛生環境対策シンポジウムで、佐藤医師(AMDA派遣医師)は多くの国々での自らの経験の中で、2016年に起きた熊本地震の被災地での対応について説明をした。
 


地元新聞記事(クリックで拡大します)

 

  地球上で災害が頻発する昨今、モンゴルでも被災地医療を学ぶ時期が来ている。スクリーンに映し出された被災地の惨状とともに、経験に裏打ちされた佐藤医師の話に参加者は皆、真剣に耳を傾けていた。近年、世界中のマスメディアを通して、地震の影響でおきる火災や、津波の危険性については知られている。津波の被害と違って直下型地震では、車を失う事が少なく車中に避難する被災者が多数いたと佐藤医師は語った。
地震後の停電の中で、医師たちはヘルメットにライトをつけて診療していた。数日後に必要な薬などが入ってきた。佐藤医師は益城町の小学校で診療を行っていた。震度5以上の地震が24回起きたがそれ以下の規模の地震も含めれば1000回以上にも上った。避難者の治療には、地元医師たちとの協力体制の構築が必要である。そのために地震直後から緊急医療体制を立ち上げた。一人ひとりの命を守るためにAMDAチームは奮闘した。自衛隊は水の供給やトイレを設置した。避難者のために布団や段ボールベットが徐々に用意され、車いすの避難者やお年寄りのための専用ポータブルトイレも設置されていった。熊本地震においてAMDAは数週間の緊急救援活動を続けた。震災直後のみならず数週間の間ずっと多かったのは外傷であった。倒壊した自宅に必要な物を取りに戻ったりする人が多かったからだ。また、大きな余震も続いていたため二次的な被害による外傷もあった。
2週目には感染症が発生し、皮膚病や上気道感染等が少しずつ増えた。医療者を含むスタッフの正しい対応によって感染症は減少。4月25日からは感染症の拡大発生を防ぐために、患者の隔離部屋を設置した。被災地で感染症を発生させないためには保健衛生管理が最も重要である。幸いにもインフルエンザの発生は、発症の可能性のある患者を早期に別の部屋に隔離する事でその後の蔓延を未然に防ぐ事ができた。感染症対応担当者を設けたり、手指の消毒を徹底した。トイレが汚れていると排便を我慢する人が多くなり便秘につながる場合があるため、トイレ掃除を徹底した。また不眠の人が増加した際には、専門の精神科医に対応してもらった。
避難者の体調や避難環境に合わせて医療支援の対応を変える必要がある。例えば栄養状態の劣悪な環境にある国においては、栄養食の提供も行ってきた。
現在の被災地医療は、2011年東日本大震災の経験が非常に生かさている。車中泊をしている被災者に対しては、巡回診療によって早期に疾病を発見することが可能であった。4週目の避難所ではパーテーションが導入され個人のスペースも確保でき、医療面の支援が必要な人達への環境整備も整ってきた。この頃には地元の医療機関が患者の受け入れを始めた。今までの被災地の経験から、病気の発生は週ごとに変化していく。その時どきで必要な対応を柔軟にしていくべきであると提言した。
佐藤拓史医師はこれまで3度モンゴルを訪問し、医療研修を実施した。ウランバートルエマージェンシーサービスの医師たちに災害時の緊急医療救援についての勉強会も行った。また、AMDAもモンゴル眼科協会と2010年からこれまで共同事業を実施し、ハルハ河戦争(ノモンハン事件)従軍者やその家族に白内障の手術を無償で提供したり、子どもの眼科健診も同時に行っている。
最後に「モンゴルの医師たちに貴重な知識を教えてくれてありがとう」とお礼を言った時、佐藤医師はこれからもモンゴルに何度も来ると、そして大好きなアロール(モンゴルの伝統食、ドライヨーグルト)を持って帰国すると笑顔で答えた。

 

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    •  モンゴル
    •  2018

 
 
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