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ロヒンギャ難民医療支援活動6: 11月難民キャンプ視察報告

公開日:2017年12月15日
 
AMDA本部より看護師1名が11月14、15日にバングラデシュ、コックスバザール県内クトゥパロン(Kutupalong)のロヒンギャ難民キャンプに入り、AMDAバングラデシュと日本バングラデシュ友好病院と共に1年間活動を予定している仮設診療所を訪問しました。キャンプ内で、難民の方々の生活状況を視察、実際に難民の方からもお話をお伺いしてきましたので報告いたします。

難民の方が越えてくる国境

ミャンマーとバングラデシュの国境は、ナフ川(Naf River)という一本の川を挟んで位置します。ロヒンギャ難民の方はこの川を渡ることで国境を越えてきます。この川の幅は最も近い距離でも約500mはあり、少しでも現金を持っていて船代を払える人は船で渡ってきます。しかしながら、ほとんどの人は船代を払えずいかだを手作りしたものに乗り国境を越えてきました。途中で落ちて命を落とす人もいます。こうした命がけでの国境越えに加え、さらに歩いて難民キャンプまで何日もかけてたどり着いてきたそうです。
 

難民の方の人数

1991年以降、徐々に増加した難民の数がバングラデシュ国内におよそ20万人、今回の難民大量流入を受けバングラデシュ各地で暮らしていたロヒンギャ難民はキャンプに戻るよう通達が出ており、キャンプ内の人数が更に増えています。8月25日以降の難民の大量流入にあたっては、全ての方の登録はできておらず、実数の把握は困難となっています。キャンプには、キャンプリーダーと呼ばれるまとめ役がおり、視察時の時点で1012名存在することがわかりました。このリーダーは主に教育を受けたことのある若者が担っており、彼らは仕事がある時の割り振りや受けられる支援の情報提供を行います。リーダーの方によれば、1名あたり平均して100〜200家族を受け持っていることから、実際は100万人近くがキャンプ内に暮らしていると予想します。また新たに到着している難民の数は、多い時で1日あたり5000人にのぼるとのことです。
 

どこまでも仮設テントが続く

新しく到着した難民の方
(クトゥパロン難民登録センター)

仮設テントの状況

難民の方が暮らす仮設テントは竹と黒いビニールシートで作られた簡素なもので、難民キャンプ内で見渡す限り続き、いくつか山を越えても同様の光景が続いていることが衝撃的でした。しかしながら、訪問時にはこのテントを作る竹や木材、ビニールシートが足りていない状況でした。また、キャンプ内の商店でごくまれにソーラーパネルが使われていますが、難民の方が暮らす仮設テントには電気はありません。キャンプ内の道は元々山道のため、でこぼこして歩きにくい道が続きます。
 

難民の方の暮らし

難民の方によると、1家族に対し1週間に1回、決まった量の米、豆、油などが支給される計画ですが、計画通りに受け取れていないそうです。キャンプ内では常にどこかで列ができており、皆いつも物資を持ち運び歩いています。トイレは当初、バングラデシュ政府が設置をしましたが、管理を継続することが困難で糞尿があふれ、臭いがきつく、むき出しになっている状態です。トイレの数は人数に対し数が足りておらず、トイレは200名あたり1カ所です。井戸についても400名あたり1カ所と人数に対して十分にいきわたっておらず、政府が急ぎ新たな井戸を作っています。生活用水は、井戸のほか、タンクを積んだ支援トラックから得ています。また、大きめのペットボトルで配給されることもあります。また、生活スペースも限られており、仮設テントには衣類がところ狭しと干してあります。女性はプライバシーを保って水浴びをするのが困難で、家屋の隙間で水浴びをしたり、水浴び用の簡素な家屋を自分たちでつくっている光景もみられますが、充分ではありません。難民の方々の暮らしとしては、支援物資の列に並ぶ以外はすることがなく、日陰で何もせずに話をして過ごす大人もいます。食事をつくるための調理道具は揃ってきていますが、野菜などを料理するために火をおこす薪や器具が不足しています。
キャンプ中心部に近い場所は、商店街や市場があります。市場では、野菜、水、ジュース、魚、豆、スナック、パン、お菓子、薪、油など色々売っています。しかしながら、商売が可能になっても輸送コストがかかり、利益は非常に少ないとのことでした。
 

難民の方の思い

難民の方への何が最も困ることかという問いかけに対し、難民の方は、「食料はまだ支援があるのでなんとかなるが、仕事がなく、現金収入を得ることが最も難しい」と答えていました。教育を受けたことのある方は支援団体での通訳や補助業務、そうでない方は道路や家づくり、井戸や家屋づくりなどの肉体労働に従事します。競争率が非常に高くなっています。教育関係で最も問題なのは「学校がない」ことです。ロヒンギャ難民の方々はミャンマーでも学校に行くことを認められていなかった方が大勢いるため、大多数の方にとっては教育環境に大きな変化はないという現実もみえました。
 

子どもたちの様子

子どもたちは手作りのおもちゃなど、例えばビニール袋の切れ端で作った凧、ペットボトルをくりぬいて車にするなど自分たちで工夫を凝らして遊んでいます。ペットボトルの水の配給など、子どもでも運ぶことが可能な支援物資に関しては列をつくっているのが全員幼い子どもという場合もあり、子どもへの負担が大きくなっています。
 

水の配給に並ぶ子供たち

水汲みをする子どもたち

視察した看護師の感想

仮設テントを訪問するとテント内の様子を見せて下さり、何名かの方が直接インタビューに応じて下さいました。中には暴力行為により家族を殺された方、住んでいた家を焼かれた方、中には痛々しい熱傷瘢痕が複数のこる子どももみられました。迫害から逃れ着の身着のままで国境を越え、やっとたどり着いたバングラデシュでも困難な環境で暮らさざるを得ないということは伝えていくべきことだと感じました。一方、定刻になればイスラム教の祈りであるアザーンが響き、大人は頭を垂れて静かに祈りを捧げ、子どもはコーランを暗唱するために何度も諳んじている姿を見て、厳しい状況でも自分たちの信仰を大切にし、慎ましく暮らしている難民の方々の姿が印象的でした。今後は、日本からも医療者の派遣を行いながら、難民キャンプでの医療活動を継続していきます。
 
 
(文責 橋本千明)
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